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「元気があれば何でもできる!」は世界最強の言葉ダァ~ッ!!

昼間、ドラックストアーで買い物中にちらっとスマホを見たら「猪木さん…」の文字が。
えっ?まさか?と思い、レジを済ましてから再びスマホを。

アントニオ猪木さんが亡くなられたとのこと・・・

昔の記憶が走馬灯のように蘇ってきた。

今、僕は猪木さんの記事を書いている。特に子どものころを思い出しながら。パソコンのキーボードをタイプしなから昔の記憶を呼び寄せながら。思い出せば思い出すほど悲しみが込み上がってきて・・・

でも、思い出せば思い出すほど「勇気」という言葉が浮かび上がってきた。

子ども時代、僕にとって、アントニオ猪木はスーパーヒーローだったんだ!

ワンランク上の正義を教えたもらった


僕がアントニオ猪木を知ったのは小学校3年生(1973年)のころだったと思う。記憶は曖昧だ。しかし今でも鮮明に覚えているシーンがある。というより猪木の存在を完璧に認知したシーンだ。

相手のレスラーがロープに逆さ吊りになっているところに、猪木が何度も蹴りを入れ、レフリーに制止されても止めずに蹴りを入れ続けて反則負けになったシーンだ。

相手のレスラーは誰だか覚えていない(たぶん外国人だろう)。試合内容も覚えていない。しかし猪木の情熱がとても伝わってきたのだ。

僕らが小学生のころは子ども番組がとにかく盛んだった。タイガーマスク、仮面ライダー、デビルマン・・・数え出したらキリがない。

彼らも僕にとってヒーローだった。ヒーローと言えば正義の味方。正義の味方と言えば悪いことはしない。反則はしない。正々堂々。それがカッコいい。

しかし、あのときの猪木は反則負けだった。しかし、しかし、それでも猪木はカッコよかった。

あのとき僕はどんな気持ちであのシーンを見ていたのか? 想像レベルだが考えてみた。

きっと猪木は、相手のレスラーに散々悪徳なことをされ、それに耐えながら戦っていた。そして、遂にブチ切れて最後に相手をやっつけた。しかし、猪木の怒りは収まらず、レフリーの制止も受け入れずやり続けたのだと思う。

だからこそ、あのシーンはカッコよく見えたのだろう。

猪木の最大のライバルである、タイガー・ジェット・シン。彼との数々の死闘でも、やはり最初は劣勢だが最後は勝つのである。
タイガー・ジェット・シンと言えば、サーベルを片手に次々と反則攻撃をする悪役レスラー。猪木は何度も窮地に追い込まれていた。しかし、ブチ切れた時の猪木がカッコいい。鉄拳制裁を加えるんだよね。プロレスでは拳で殴るのは反則。しかし、猪木は「毒を以て毒を制す」なのか、正義のパンチを叩き込むんだ。正義は勝つ。悪を成敗みたいな(笑)

猪木には正義を教えてもらった。子ども番組で教わったシンプルな正義ではなく、ワンランク上の正義。ワンランク大人の正義を教えてもらったんだ。


奇をてらった発想が凄かった

前述の、反則負けの話にもどる。

あの当時(1973年ごろ)のプロレスは、「正義の日本人レスラー VS 悪の外国人レスラー」という図式が多かった。そして、日本人レスラーが外国人レスラーに手こずりながらも、最後は正当な技で勝つ。そんな試合がほとんどだったと思うんだよね。
しかし、あの試合では猪木は反則負けになった。レフリーに止めろと言われても止めないんだもんね。それがまたインパクトが強くてね。だから心に残ったんだろうね。

当時は「正義が反則負け」って、無かったんじゃないかな? でも猪木はそれをやってのけた。今思うと凄い発想だ。

その発想力はその後も数多く発揮される。
特に、現役のボクシング世界ヘビー級王者のモハメッド・アリとのマッチメイクには度肝を抜かれた。


興奮したぜ!モハメド・アリ戦!

1976年6月26日。アントニオ猪木 VS モハメド・アリ。凄いことが起ったものだ。プロレスラーと現役の世界王者のボクサーが戦うなんて。

今と違って異種格闘技は、ほとんど無かった時代。
普通の人じゃ、こんな挑戦はしないだろうね。でも猪木は挑戦した。そして、やり遂げた。

当時、僕は小学校6年生。この日を来るのを待ちわびていた。この時期、家ではスポーツ新聞も取っていて、試合の前日まで、猪木 VS アリ の記事が幾度と一面を飾っていた。
その記事はよく読んでいたが、なんかルールのことで色々と揉めていた記憶がある。そして、試合の数日前にやっとルールが決まったのかな? しかし、そのルールは猪木に圧倒的に不利なものだった。

プロレス技がほとんど禁止のルールなんだよね。立っている状態でお互いが組み合ったら数秒で離される。寝技も数秒しか出来ない。うろ覚えだが、こんな感じのルールだったと記憶している。

猪木が勝つには寝技か関節技だと思っていたんだけど、こんなルールじゃ例え関節技が決まっても直ぐに離されるから勝てないよね。勝つとしたらアリを掴まえた瞬間にバックドロップでKO。これしかないな!と思っていたものだ。

で、試合当日。僕はテレビの前で緊張していた。

ゴングが鳴った!

猪木はいきなりリングに寝そべり、俗にいう「アリキック」を放ち始めた!

「おぉ~!この手があったか!」
またもや度肝を抜かれた。興奮した。今でもあの瞬間を思い出す。

試合が進むにつれて、いつどこで、どんなことが起こるのか!? 凄まじく緊張感のある試合だった。

結局、試合は15Rを戦い抜いて引き分け。

あの時、リアルタイムで試合を観戦できたことに感謝したい。


プロレス界のスティーブ・ジョブズだ!

固定観念に囚われない。常識に左右されない。面白いと思ったことは実行する。だから、誰もやらないことをやってのける。それが猪木だ。

1974年には他団体(国際プロレス)のエース、ストロング小林と対戦して勝利した。先ほども述べたが、当時は「正義の日本人レスラー VS 悪の外国人レスラー」という図式が多かったと思う。そんな中での日本人対決。僕はこの試合はリアルタイムでは知らなかったのだが、当時のプロレスファンはびっくりしたに違いない。

実は、モハメド・アリ戦の前にも異種格闘技をやっていた。1976年2月。オランダの柔道王であるウイリエム・ルスカとの試合がそれだ。バックドロップ3連発で勝利している。

1980年2月には、熊殺しの異名を持つ極真空手のウィリー・ウィリアムスと対戦している。結果は両者リングアウト。テレビで見ていたが凄まじい殺気だった。猪木が関節技を決める。ウイリーの長い足が飛んでくる。これぞ、ザ・格闘技。モハメド・アリ戦とはまた違う緊張感があった。上手く表現できないが、なんだか怖いという動情だった。

彼はこれ以外でも、様々はアイデアを出し続けていた。

彼はプロレス界のスティーブ・ジョブズだ!

この記事を書きながらそう思った!


元気があれば何でもできる!

アントニオ猪木が世界に放った名言だ。この言葉でどれだけ多くの人が勇気をもらったことだろう。

元気が一番。元気と言えば身体の元気を思い浮かべるが、それ以上に大切なのが「心の元気」。心が元気であれば何でもできる。

彼が何事にも臆することなくチャレンジできたのは「心の元気」があったからだと思う。やろうと思ったことを瞬時に「できる!」と思えたからだろう。

この感覚が素晴らしい!
この感覚こそ、彼が僕らに与えてくれた最高のプレゼントなのではないか!


猪木寛至さん。今まで本当にありがとう。そしてお疲れ様。

ご冥福をお祈り申し上げます。


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