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「じゃない方」こそ、あなたらしさ

私たちは、唯一無二やオンリーワンといった言葉に自分らしさを求めながらも、どこかで「普通」や「一般的」という言葉に安心感を感じているのではないでしょうか?

今回の記事を書くにあたって、自宅にある本棚を眺めて気づきました。

人類の歴史上、失敗者と成功者がいるのだとしたら、どちらが多いのだろう?

…個人的には、圧倒的に失敗者が多いと考えています。

なぜなら、成功者も失敗者としての経験を有しているであろうからです。

ですが、巷に存在するビジネス書であったり自己啓発書であったり、あるいは、小説であったり伝記であったり、多くの書籍で登場するのは、圧倒的に成功者が多いのではないでしょうか。

私は、この「当たり前」に違和感を感じました。

それは、「守破離」や「モデリング」といった知識と紐づいて感じたモノだと考えられるでしょう。

私たちは、模倣することで学習する生物です。

言語にしても身体的記憶にしても、反復して経験を蓄えて学ぶのです。

一時期…もしかしたら今もなお…なのかもしれませんが、成功者を「モデリング」することが成功への道だと錯覚することがないでしょうか?

なりたい人物を調べ、生活習慣や思考に至るまでを模倣し、取り入れて取り込んで、やがて、自分独自のモノにしていくことが近道だと思ったりしませんでしょうか?

「守破離」の概念も、特定の誰かを「型」として考えてはいないでしょうか?



モデリング
心理学においてモデリングとは、何かしらの対象物を見本(モデル)に、そのものの動作や行動を見て同じような動作や行動をすることである。

Wikipediaより抜粋

守破離
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

デジタル大辞泉より抜粋

個人的な意見なのですが、これらにおいて対象とするべきなのは「人」ではないのではないか?と考えています。

そもそも、人には差異があって然るべきなのですから。

例えば、スティーブ・ジョブズ氏の考え方や生き方に憧れを持ったとしましょう。

彼の生涯を調べ上げ、模倣性を見出そうとした人物が、仮に製造業で勤めていたとしたら、何を模倣するというのでしょうか?

製造業だから、仮に稲盛和夫氏をモデリングしようと試みても、セラミック技術に従事していなければ模倣できない思考もきっとあることでしょう。

また、特定の個人を「型」として「守破離」を段階的に行おうとしても、その特定の個人の生き方は流派などではありませんし、セレンディピティのような偶発性が関係して成立した成功例かもしれません。

そのような不確実な要素に何かを求めることが成功への道なのでしょうか?

そうではないと、私は感じています。

では、「モデリング」や「守破離」の対象となるものとは何なのでしょうか?

私は「社会」だと考えるようになっています。



社会というのは、ブームやトレンドなど、さまざまな「型=法則」が存在します。

現代のマーケティング至上主義なども、「型」と呼べるものでしょうし、事実、多くの人や企業が模倣しているモノでもあります。

人間社会と書き換えれば、多様性であったり、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)という概念のもと、私たちは他者との接し方を考えるようになっているのではないでしょうか。

「勝負は時の運」といった言葉もありますが、時流を捉えることが成功要因であったりします。

「社会」という「型」を破った先、つまりは「普通」「じゃない方」であったり、「一般的」「じゃない方」に向かってはじめて、私たちは私たちらしさに出会うのではないでしょうか?

…思いのほか、長文になってしまいましたが、だいたい感じたことを書けた気がします(笑)。


ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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