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noteは感受性の方向を示してくれる

まずは「感受性」について定義付けしたいと思います。

辞書を引くと下記のような意味だと分かります。

感受性
外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き
(デジタル大辞泉より抜粋)

補足をすると、他にも「病気にかかりやすいこと」を意味することもあるそうです。

ですが、今回は抜粋した部分について書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

イラスト・ビジネスマン・シルエット・青空・電球・抱える・受容・感性

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引用文を分解すると、外部刺激によって自分の感覚器官が何らかの反応を示すことを感受性と呼ぶのだと思いますが、このように考えると、感受性とは自分の存在以外の事象すべてとのつながりが生むものになりそうです。

つまり、身体的・精神的な刺激を感じれば、何らかの印象を想起するという生理現象に近い感覚だと言えるかもしれません。

これは「感受性が乏しい」ということはあっても、私たちが生きている以上「感受性がない」という概念は存在しないということです。

私は感情表現が苦手で、外部刺激に対して心が動くといった心理的な反応の少ない人間です。

ですから、どうにも「自分にも感受性がある」という認知に抵抗感があったりするのですが、これで「感受性ゼロ」というワケではないということを前提に記事を進めることができそうです。

今回お伝えしたいのは、感受性のベクトルについてです。

どんな事象についても言えることですが、ベクトル(方向性)を捉えることは、ときに本質を知ることと同義です。

ソーシャル・人々

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例えば、職場環境の改善案を考える際、部署内の人間関係図を思い浮かべることで、誰をどこにどのように配置するのかが決まります。

この関係図を上手に描けない人の改善案は、大抵頓挫します。

人間は感情で能率の変化する生き物なので、「好き嫌い」や「主従」「リスペクト」などといった目には見えないけれど、確実に存在する何らかの意味を含んだベクトルが、モチベーションを左右することも多いものです。

このような「何らかの意味を含んだベクトル」も、一つの感受性の形なのだと私は考えており、この方向性に着目することで見えてくるものも多いと感じています。

それでは、次はnoteを例に考えてみることとします。

noteには発信者と受信者がおり、それぞれに感受性を発揮してコンテンツを色鮮やかなものにしています。

発信者は、自らが環境下の中で得た感覚刺激から着想して投稿をし、受信者は発信者の投稿から刺激を受けることで、新たな作品に仕上げます。

これを、私は感受性の成せる業だと捉えているということです。

アップ・目・美しい・カラフル・象徴的・印象的・瞳・輝く・光

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発信するとき、何からどのような印象を受け取り、どう感じてどんな表現方法で具現化しようか考える…。

受信するとき、なぜその事象から刺激を受けたのか、その結果、どのような行動に及んだのかと自問する…。

このような流れを意識しながら日々の暮らしを送ることは、自身の感性や感受性をさらに磨き、より多くを得ることのできる心の器を作っていくことと等しいのではないでしょうか?

願わくば、そのような流れと心の器の循環が、清流のように澄んだものであってほしいものですね。

最後に、個人的な意見ですが、感受性には個々に備わったフィルターを通して刺激を受け取る機能があると考えています。

何も感じないと錯覚したり、濁ったものが自分の中に流れ込んでくるような錯覚があったときは、一度自身の心のフィルターを掃除してみてはどうでしょうか?

掃除の第一歩は、フィルターの存在に気付くことです。

存在に気付けば、どのような状態になっているのかも、きっと自分で気づくことが出来るでしょう。

最近よく耳にする「自己理解」という言葉は、ただ闇雲に考えるものではなく、今回の感受性のように、感じ取る側面もあります。

少し生き疲れてしまったと感じるときには、自分の感受性を磨くことをしてみることをオススメします。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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