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静寂者ジャンヌ 3 結婚・虐待・「閉じ込められたくない!」



ジャンヌは社会運動を志したわけではない。
ただ、自分の生きぐるしさに風穴を開け、自分に忠実に生き抜いた。
ジャンヌは女性だったから、それは家父長制に対する抵抗としての生き様となった。

そもそも、静寂者の道に入ったきっかけも、そこにあった。
今回は少しそのことについて書こう。

ジャンヌは15歳で結婚させられた。(16歳の誕生日を迎える2か月ほど前)
縁談は本人の知らないうちにまとまり、
夫となる男性とジャンヌが初めて会ったのは、結婚式の三日前だった。
当時では珍しいことではない。

相手は、大富豪貴族ジャック・ギュイヨンという男だった。
ジャンヌの22歳上だった。
ジャックの父親は既に亡くなっていたが、生前、セーヌ川とロワール川を結ぶ大計画の一部だったブリアル運河の建設に携わり、その利権で巨万の富を築いた名だたる運河長者だった。
その跡継ぎが、ジャックだった。
ギュイヨン家は一代で財を築いた新興ブルジョワ的な気風の家だった。しかしジャック自身は、父親の威光を仰ぐだけで自分では何もできないという、強いコンプレックスを抱いていたようだ。終始不機嫌な癇癪持ちだった。しかもスーパー・マザコンだった。

かくしてジャンヌは、結婚という地獄に下った。

ジャンヌは姑と夫から、精神的虐待を受け続けた。

姑は、徹底的にジャンヌをいじめた。ほとんどそれが生き甲斐だったのではなかろうかというほどに。

ジャンヌの実家はインテリ家庭だったから、ジャンヌの利発な発言がよしとされて育ってきた。習いたての最新のフランス哲学を語ったりすると、親から大いに喜ばれたりした。
しかし嫁ぎ先では、まったく違った。
知性と教養などいらない、カネが全てだ…そんな家風だったようだ。
「それまで、父のもとでは、とても気高く生きていた。けれど、姑は金勘定しか頭になかった」と、ジャンヌは自伝に書いている。
「父のもとでは、礼節が重んじられ、正しく喋ることが求められ、私が何か言うと喝采され、引き立てられた」という。
「正しく喋る」とは、文法的に正しいフランス語で、知的に、説得力をもって語れることだ。実家では彼女の良いところが評価され、その知的能力がすくすくと伸びていったのだが、嫁ぎ先では違った。
「それなのにここでは、私が何か言うと、反対され、罵られた」という。
姑にはジャンヌの一言一言が生意気に聞こえ、癪に触ったのだろう。

姑はジャンヌの人格的尊厳を徹底的に潰しにかかった。
わざとジャンヌに何かをさせたり、言わせたりして、それをいちいちあげつらい、罵り、貶めた。
客人が来ると、ジャンヌの前で、いかに彼女が無能でダメな嫁かを吹聴し、ジャンヌを辱め、人格を否定した。
16歳になるかならないかの少女は、すっかり自己喪失に陥った。
自信をすっかりなくし、わけがわからなくなり、おろおろしてしまって、ますます何も出来なくなってしまった。そしてますます姑の格好の餌食となった。
言うまでもないけれど、こういう姑の虐待は、家父長制での「権力の代理人」としての権限行使に他ならない。

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夫はいつも姑とべったりだった。ジャンヌは一日中、姑の部屋でかしずいていなければならなかった。二人はジャンヌをじろじろ見下して、ひそひそ話をする。そして、いちいち難癖をつけては、ジャンヌをなじる。時折、親子の間で笑い話をしたい時は、わざとジャンヌを部屋から締め出すという陰湿さだった。

夫は痛風を患い、ますます不機嫌になっていった。癇癪を起こして、ジャンヌにモノを投げつけたりした。

その夫は母親のいる時には、母親に同調して一緒になってジャンヌを虐めるのだが、母親がいなくなると一転してジャンヌに優しくなり、彼女の体を求めた。

夫の一方的な性行為は、ジャンヌにとって苦痛でしかなかった。

けれども「事後に彼が私を愛してくれるように、私に辛く当たらないようにと願いながら、夫に愛撫されるがままになった」と、書いている。

今だったら、性的虐待としてのDVだろう。
それにしても、ものすごいプライベートなことを彼女は書いている。
それを敢えて書かなければならないほど、彼女にとって切実な問題だったわけだ。
(この自伝はとてもユニークな作品だ。これが書かれ、出版に至った経緯は、後に触れよう。)

さらに「召使い」たちも家庭内の権力構造に従って、積極的にジャンヌのいじめに加担した。姑に気に入られるためでもあっただろうし、加害者としての密かな愉しみもあっただろう。

「奴隷のようだった」……と、ジャンヌは当時の日々を述懐している。

ジャンヌは実家の母親に惨状を訴えた。だが、大変にまずいことに、それを母親が姑に話してしまい、逆効果となってしまった。ジャンヌにすれば、母親にすっかり裏切られたという強烈なスティグマを負ったことだろう。

それ以来、ジャンヌは被害を誰にも言えず、黙って虐待に耐えるしかなくなった。

事情の分からない周囲の者からは「あんな利口な子だったのに、全くダメになってしまったね」と思われるばかりだったという。

出口なしの苦しみのなかで、ジャンヌは自傷行為に駆られた。
ナイフで舌を切ろうとした。
何を喋っても否定され、貶められるなら、もう喋らない存在になりたい。
そう、思ったという。
沈黙を強いられることへの絶望であり、パラドクサルな抵抗でもあっただろう。
幸い、すんでのところで冷静になり、ことなきを得た。

家庭という密閉された空間での虐待の日常。
しかし、世間にはそれが知られない。
知られたとしても、世間はそれを虐待とは捉えない。
そんな絶望的な環境にいれば、普通だったら自ら進んで「良い奴隷」となって精神のバランスを維持するだろう。
実際、女性たちの多くはそうした諦めの人生を選ばざるを得なかっただろう。それが「女の一生」でもあっただろう。
しかし、ジャンヌは屈しなかった。
何とか精神的な逃げ道を作ろうと、もがいた。
それを信仰に見出そうとした。
人に言ってもダメだから、神にSOSを発信するしかなかったのだ。

閉じ込められたくない。
自己の尊厳を抹消されたくない。
たましいを殺されたくない。

そんなぎりぎりの欲求が、ジャンヌを静寂者の道へと駆り立てた。
 
ジャンヌのようなケースは、当時では珍しくなかっただろう。ジャンヌの苦しみは、多くの女性の苦しみだったはずだ。ジャンヌの〈道〉が多くの女性の支持を得た理由は、そこにあるのだろう。


*自伝は以下による:
Jeanne-Marie Guyon " La vie par elle-même et autres écrits biographiques  Edition critique avec introduction et notes par Dominique Tronc    Etude littéraire par Andrée Villard" Honoré Champion Paris,2001. 

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