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留竹忠男(ただおるだけ)の冒険

糖尿病って名前がまずダメ!そう思う理由は多々あるんだけど、糖尿病に罹患する人の典型的なイメージ、ステレオタイプがあるとするなら、まぁそこからは外れていると思えるようなタイプではあるわたし。

そんなわたしという人間の、性格が垣間見れる(かも知れない)これまでのことや日頃の思いを、今回はサンプルとして?書いてみたいなと思います。

その前に前回、作家 宮下奈都さんのエッセイで思い出した オフコース がプチリバイバル中♪ ということで今回は、この曲を拾って貼ります(ちょい先どり過ぎかもだけど😂)

『秋の気配』は『愛を止めないで』や『さよなら』でオフコースに出会った中学生が後にさかのぼって聴いたやつで、たしか夜中にやってたイメージ映像に曲がかぶさるショート番組(よくあるやつ。わかります?)でかかったのを聴いて、これまたとくべつに染みた。

哀愁~♪ 当時はシティポップっていうより、ニューミュージックでしたよね?


というわけで、これからできるだけ「糖抜きで生きる」 kenzi です(はい、しらふで生きるのパクりです)そんで次は、いよいよアルコール止めなきゃだな~って思ってます(糖質制限派の方々は、焼酎やウイスキーの蒸留酒などでアルコールOK!をアピールするけれど、アセトアルデヒトが発生するから、やっぱりよろしくないんですよね?)

「お酒の飲み過ぎはアセトアルデヒトを過剰生成させます。このように、食べすぎや飲みすぎは『アルデヒト過剰』を引き起こします。これこそが糖化ストレスの核となる状態です」(米井嘉一『インスリン守り 脱・糖尿病』毎日新聞 2023年8月28日 朝刊より引用)

骨格筋の運動は重要です。
(ってちゃんと言ってる)

とは言いつつ、今週は月曜っから職場の飲み会(懇親会)が久々にあって、最初はハイボールを黙々と飲っていたんだけれど、例によって「Kenziさん痩せましたよね?」と振っていただいたのをきっかけに、ここでするみたいな糖尿トークを炸裂させてしまいました😂

元々のわたしは、そういう場でのコミュニケーションみたいのは苦手だったし、若い頃は大嫌いだったのですが(それでも聞き上手を自認していたんですよ…)

前にもちょっと書いたけど、40才くらいのときに小杉俊哉さんて方の講演で…

「聞く」にも3種類あって、
「聞く」は耳でただ聞いてる状態(耳が入ってるでしょ?)
「訊く」は訊ねたりしながら訊く段階(口が入ってるでしょ?)
「聴く」は次に何を言おうかなどと考えずに心で聴けている状態(心が入ってるでしょ?)

心で聴くのが「傾聴」ということなんだとそこで教えられて、それまで聞き上手とか思ってたけど、次に何を言おうか、どう言って冴えたヤツと思われようとしてたかに気づけた(ダメダメじゃんな!)大きな経験となりました。

それからは「次に何を言おうか」なども考えずに、その方が言ってることをそのまま「聴く」ように心がけることで、とてもコミュニケーションがうまく取れるようになりました

そうすることで初めて自分にも関心を持ってもらえるようになり、心の交流が実感できるようにもなり、会話がとても楽しくなりました!

では、最初にして最強のスキルを教えるね。

次に何を言おうかなどと考えず、心で聴く。
(頭をそっちに行かせずちゃんと聴いて!)


ところで、「留竹忠男」(るだけただお)っていう人物(キャラ)をご存知でしょうか?
小林よしのりさんが80年代半ばに連載してた『異能戦士』って漫画に出てくる人物なんですが(知ってるワケないっスよね~😂)

全然ヒットしなかった😂
妻帯者?

話はさかのぼるんだけど、そもそもわたしは中学~高校生の頃、ネアカが持てはやされた最盛期、わたしはクラスとか、人前に居ることすら耐えがたいほどのネクラで、ゆえに「存在感」(が無いと言われる)ってツライ言葉に過剰反応するような、そういうキッツイ高校生だったんです。

「お前の踊りを踊れ」すら踊りたくない。

留竹忠男というキャラに移入してたのは、
存在感は無くとも、逆に『ただおるだけ』な存在こそが『実存主義者』じゃないか!とも今は思うってことなんです。

そういえば当時不良のことを「ツッパリ」(突っ張り)って言ってて(不良は不良で生きてる言葉なのか?とも思うが。その後はヤンキーってなったね)「(誰ソレは)『ツッパリ』をやってる」みたいな名詞?だったのが(大人も子供もそう言っちゃってるのが)何か変だったな~とか思い出した。ボキャブラリーが無いゆえなのか、若いころの方がコトバに妙に神経質だった。

ゲロゲロ(だよ~みたいな。みたいな?)
とかいろいろ流行語?が無理ムリ~😂だった。

ところでクルマで追突されて「オカマ掘られた」とかもう言ってないだろうね?ジャニーズなんかもひっくるめて、すべての差別やあやまち(あるいは正当なものは正当として)昭和の世代を中心に、一億総ザンゲをやりましょうっての!

それはともかく「留竹忠男(るだけただお)」(ただおるだけ)な存在をキャラ化した小林よしのり凄ゲェな!って当時は思ったのと、今思うのは「東大通(とうだいとおる)」(『東大一直線』)とか生み出したり、小林よしのりってやっぱメインに対するサブ(カル)としての存在価値が際立っていた。

その後『週刊SPA!』で『ゴーマニズム宣言』を始めた当初の薬害エイズやオウム真理教!を取り上げてた頃までは、本当に尊敬すべき仕事をされてるなぁと思って毎週楽しみにしてたんだけど…

いつしか『戦争論』とかやり始めたあたりからかサブからメインに、ゴーマンから傲慢へといつの間にか変遷していってしまったように思えてならない(思えてならない?)

コロナ(ワクチン)の頃に、 YouTube を見たけれど、そう思えてならない(思えてならない?)

それはそれとして(自分の話に戻すと)ここで言いたいのは、単に趣味的にサブカルチャーが好きな20~30代を過ごしていたわたしなんだけれども、仕事の要請でチャレンジしたシステム関係の資格が何度やっても取れない。

その代わりに、元々関心があった心理学寄りの理論(をビジネスライクな人間関係や目標管理に応用した)の資格としてコーチングやカウンセリングに挑戦したところ上手くいった。

そこで改めて学んだこと(先ほどの『傾聴』など、やはりそのものだった)が、会社員として成りすます上でも😂その後いろいろと役に立つようになったという話なんですよ!

そんな自分なんだけど(また余談ね)ツイッターで思いつきや何か(時に読んだ本や音楽の感想とか)をつぶやいたりしてたら、なんとリアクションをくださる作者の方がいて…

それがメジャーなミュージシャン(あの大森靖子さん!や b-flower の八野英史さん!)だったり、『幻想の√5』(なぜ私はオウム受刑者の身元引受人になったのか)の、中谷友香さん、『心に太陽を くちびるに詩を』の Pippoさん(近代詩伝道師)、『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』片岡大右さん(批評家)だったり…

本を出してるような、とんでもなく優秀で著名な方々でも、こんな「ただおるだけ」で良し!と考えてるような、ホンのちょっとの努力さえハードルが高い底辺人間を、属性とか関係なくことばを交わしてくれる方々と出会えたこと。それをきっかけにAmazonにレビューを書いてみたりして、それにまたお返事をくださったりして…

そんなことのうれしさが、今ここに書いてみたりしてることに繋がっているのです!


前にNHKの番組で見た、河原でくつろぐオッサンが言ってた「ここは極楽浄土。ほんまに」ってワードにハマリ続けてる。

生きるのは幸福になるためって言うけど、
幸福とは、生きているこの場所がいつでも極楽浄土だと気づけること…なのではないか。

『一切合切が太陽みたいに輝く』

https://youtu.be/_KJWE8b9shM?si=mL53LkCuyh8ETs7S


仕事帰りは車窓に広がる風景をみて、
ここは極楽浄土✨って思えるのを楽しんでいるが(やっぱ風景だね。視覚優位な人はいいよね!)今週は朝からそう思えたらいいのにな…とか、ついにその領域まで来てしまった。

それで(極楽浄土を阻害する?)「仕事の怖さ」について、改めて考えた。「仕事は怖いもの」という正論について。仕事は怖い。だから真剣に生きなければ…ってなることについて。仕事の怖さ、怖いものなんだ、怖くなくちゃ、なぜ怖い…呪い。

仕事の怖さを知るにつれ、仕事が怖くて恐ろしくて、足がすくみ、からだが固まり、仕事ができなくなるのは不幸かもって思う。

仕事の怖さをかき集めて、とり除いていく…ではダメなんだろうか。

小っこいチェックボックスに☑️を忘れて「全更新」ってやっちゃっただけで(そう、だけでか?ってなるわけ)青ざめることになる。
これが今のコンピューターなんかな?って思うわけよね。

「フールプルーフ」(お馬鹿をしても平気)になんてなってないじゃんな!

そこに何か(『怖い』に繋がるもの)が隠されているからなんだよな。

だから要するに、隠されたままの状態は、科学としても文化としても、まだまだダメ!なんだと言えるのではないか。

いい歳こいたオッサンが何を言ってるんだ?ってなるかもだけど、そう思うんだよな。

それには戸谷洋志さんの言う『スマートな悪』だとか、阿部公彦さん『事務に狂う人々』で提起された問題もある(この辺、実はまだちゃんと消化できてないからキチンと読まなきゃ!)

そういうことと「緊張感が足りないぞ!」とかって一般的に言うレベルとゴッチャにしたらマズイんでは?って思う。

武士道じゃねぇんだからよ(そりゃ職種によって外せない緊張感はあるさ)

仕組みとして仕事が怖いものになって、それでピリピリした人間が怖くなるってのもあるわけですよね。

そして本質を欠いた?仕事は厳しいもの派の要らないダメ出しによって仕事は怖いスパイラルが、日夜発生しまくってる。

そうして一日中、机に張り付いて(当然運動不足)やっと解放されたところでウォーキング!…なんて大らかな気持ちになんてならないよね?

みんな等しく限りある魂なんだ(せっかくだから工夫して少しでも長く生きようよ!)

町田康さんの『しらふで生きる』のことは高橋源一郎さんや、この宮崎智之さんの文章で知ったんだけれど(もったいなさそう過ぎて本篇にまだ取り組んでない😂)…

「この作品のユニークな点は、酒をやめるという判断を『狂気』、酒を飲み続けるという判断を『正気』と、町田が記していることである」(P49より引用)

『35歳問題』背中を押されました!

それで気づいたんだけど、酒飲みが飲まない人に投げかける「それで何が楽しくて生きてるの?」っていう常套句の意味って、要するに、こんな世の中や人生を、しらふで生きてるお前ら(逆に)狂ってる!よくやってられんなぁ~って驚きや疑問なんじゃないのか。そういうことだよなって(やっぱ作家って鋭いなぁ…)

佐藤伸治 詩集も引っ張り出した

あと今週は、ここでしった鴻巣友季子さんの評論がとても興味深かった。

あと言っておきたい(シェアしたい、すべきな)のが、数年に一度、腹だか胸が苦しくなって、血の気が引いて(寒気もして)それがおさまるまで数時間じっと耐えるってことがあったんだけども、これが今回気づけた内臓脂肪とかを原因としたものなんじゃないかって気がすごいしてるわけ(マジやばいやつだったのかなぁって)

と昨夜ここまで書いたら、明け方にわたしが言いたいことツイートに出くわした~

昨夜は地元(っても隣町なんだけど)の花火大会が4年ぶりにあって、久々に見物してきました!

子供が小さい頃から毎年行ってて、昨日もやっぱり迫力のある花火🎆我が子に見せたいお父さんお母さんがたくさん繰り出してて。

「○○ちゃんキレイだね!来年はもっと前のあそこらへんの場所を取って…」とか、心がもう来年に行っちゃってるのとか(昔の自分のようで笑えない😂)

帰りには「クルマは近くに?助かりますわ。電車の時間は大丈夫?帰ってから夜は…」と喋りながら歩いてるオタクっぽい若い男性の会話が聞こえてきたりとか…

花火もだけど、そこに集まる人々の物語を感じれるのも、自分はきっと好きなんだろうな(そういうの、ここで書いたりすることで、気づくことができました)

ここでまた余談。20代や30代の頃って先のことしか考えてないから、その10年20年って記録はおろか記憶もあやふやで残ってない。

ところが残り20年?のこの歳になると、同じフラットな歳月だったことに思いあたり、1年イチネンを振り返り慈しみたくなる(が、記憶は薄く、記録も少ない)なのでライフログ、やっておくことをお薦めします。

今回はいろいろ晒した感がありますなぁ。
(でも糖尿病っぽさ無くないですか?)

まあ素人なんで、書くってことは、結局は自分を正直に語っていくことになっていかざるを得ないのかなって思う。

ぬるい世界にあこがれ それに破れて
トガリきれないままに 鏡を避けて

https://youtu.be/kOr9-Oot3_Y?si=4g80wLjvMnIEy8O7

現は見つつ 夢から覚めずもう一度
四の五の言わんでも 予想外のジャンプで
君に会うのよ

スピッツの大好きな曲を貼って終わります。

まとまりのない文章(いつものことながら)
読んでくださり、心より感謝申し上げます。

季節の変わり目です。
皆様、体調を崩されませんよう、
どうかお気をつけください(kenzi)



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