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砂糖の入ったペットボトルを飲み過ぎたりなんかして糖尿病になりましたが、 糖分の摂取を止…

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砂糖の入ったペットボトルを飲み過ぎたりなんかして糖尿病になりましたが、 糖分の摂取を止め、毎日のウォーキングにより3~4か月で通常の数値に戻せました。

最近の記事

糖尿病と音楽、そして中高年の仲間たちへ(人生100年時代に騙されないで ! )

すばらしい日々。まだ。 でも僕らは何もわかっちゃいない。 気づいたことが、ちょっとだけ。 (わたしの話を聞いてくれませんか) 「ユニコーンはサッカー部のキャプテン(奥田民生)が、ヘビメタのギタリスト(テッシー・手島さん)とかを集めて文化祭で受けてるバンド。僕らはやっぱりロック部で…」 と言ったのはフリッパーズ時代の小沢健二だけど(たしか続いて自嘲みたいになっていく)フリッパーズ・ギターなき後に聴ける邦楽って、わたしはユニコーンだったんですよ(批評的だし、ポストモダンじゃんね

    • 坂本龍一という音の神様、そして自意識の神様は、最後までうつくしく逝った。

      初恋の人が死んでしまった。 あれから一年、彼の、まさかの、 死にゆく映像を見ることができた。 『千のナイフ』や、特にこの『ジ・エンド・オブ・エイジア』をステレオの前で目を瞑り、何度も何度も聴いていた。 やがてお父さんが死に、 お母さんも逝き… 死を見慣れていて、良かった。 中島みゆきやアリスや、スターリンにも苦笑し(デビット・ボウイと一緒に)、自分でつくった『戦メリ』すらも…そういう言葉や情緒が主体のものは音楽ではなく、演歌だと、汗かきすぎの感情表現だとして嫌っていた(

      • ほんとのことが知りたくて、嘘っぱちのなか旅に出る。(杉真理さんや大森靖子さんのことなど)

        美しげな言葉に詐欺られた。若者、青春、恋愛、勉強、努力、就職、人生…にあらかじめ立ちはだかる、うそっぱち熟語たち。そして文章、も。 そんな経年劣化した流行語(多分)のせいで、劣等生(オレ)の思考は停止、自由な発想や努力の意味に、たどり着くのを邪魔された。人生ヘタすりゃ台無しにされる、うそっぱち概念のパワー(ところで言葉ってなんだ?) 春のセンバツで健大高崎が優勝し、ご当地の友人におめでとうLINEした。ここやX(旧ツイッター)で、わたしがよく話題にする ザ・メイベルズやロ

        • まだ、ここにいる。(中村一義さんのことなど)

          誰か俺をシカトしてくれよ。でないとこのまま死んだように生きてしまうよ。それかお風呂で溺死しちゃう(たぶん何度か終わってる。ワクチンは2度で止めたけど) あぁ~苦しかった!って辞めたいのに、あれだけキツかった40年の日々すら忘れてしまいそう。それだけを考えて、衣食足る生活を選んで来たのに ! 僕は死ぬように生きてきた。 「ハリウッド レコードで中村一義という新人のシングルCDを。『ROCKIN'ON 』周辺で絶賛してたので買ったら本当スゲェ !」 (1997年1月23日木

        糖尿病と音楽、そして中高年の仲間たちへ(人生100年時代に騙されないで ! )

        • 坂本龍一という音の神様、そして自意識の神様は、最後までうつくしく逝った。

        • ほんとのことが知りたくて、嘘っぱちのなか旅に出る。(杉真理さんや大森靖子さんのことなど)

        • まだ、ここにいる。(中村一義さんのことなど)

          神様を信じる強さを僕に(生きることをあきらめてしまわぬように)

          「感動死」しそうになったことがある。糖尿病の数値が最悪だった2023年1月27日金曜日、そうとも知らず曽我部恵一さんと大森靖子さんのツーマンライブに出かけ、先攻の曽我部恵一さん『満員電車は走る』で予期せぬ慟哭(嗚咽と震え)に襲われ、体幹(お腹だか背中だかの筋肉)が激しくつってしまい、これかなりヤバいやつ?と全身の緊急事態に脂汗をかきながら耐えた(この動画にある『満員電車は走る』18分20秒くらいから) 糖尿病、というか基礎疾患のある人は曽我部恵一さん(サニーデイサービス)の

          神様を信じる強さを僕に(生きることをあきらめてしまわぬように)

          フォークとロック、言葉の激情、音の抒情。②(大森靖子さんや坂本龍一さんのことなど)

          2014年10月5日午後、この動画に引き込まれ、最後の方で発作が起き、今日までの約10年間、大森靖子に百万単位(交通費込み)を使うことになってしまった。ボカすのは、たったそれだけ !? と気づくからだ(人生かけてるオタクはそんなもんじゃない、のよ ! ) 感動っていうがそれは心身の発作だ。何にそんなに感動(でいいや)したのか?あらためて考えてみると、それは大森靖子の技術(でいいや)と努力(でいいや)だ。紛れもなく。細やかに積み重なってる芸で、大森さんが反射してくれた俺にある

          フォークとロック、言葉の激情、音の抒情。②(大森靖子さんや坂本龍一さんのことなど)

          フォークとロック、言葉の激情、音の抒情。①

          動き始めた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしている 老いた。『うたコン』がささやかな楽しみになってしまった。先週もどこか、夜。徳永英明さん他みんなで歌う『翼をください』からスタートして『なごり雪』。イルカさん、何度歌ってるだろうと毎回おもい、動き始めた汽車の窓~にぃ、のところで確実にグッと来てしまう。これも毎回(何度目だろう。もはや死ぬまで?) 『翼をください』を初めて聴いた日、こんなに良い曲があったんだ!と感動した。良い曲、感動。中学の頃はそれで足りた(ピュ

          フォークとロック、言葉の激情、音の抒情。①

          内向的な私(マルハラ派)が潜伏する為の二段階革命。

          嘘に助けられていた。ある人の欺瞞がわたしを救ってくれた。そういう話です。嘘です(先週の続きになります)。 山田花子『神の悪フザケ』に出くわしたのはたしか偶然で、1988年から1989年のどこかのある日、ヤンマガをぱらぱらめくっていたときに目に入ったのが最初でした。その前からわたしは大手出版社から出ているメジャーなコミック誌はあまり読むことがなく、青林堂から出ていた『ガロ』などマイナーな雑誌が好物でしたので、そこでよく見るような絵柄に引き付けられたのだと思います(山田花子さん

          内向的な私(マルハラ派)が潜伏する為の二段階革命。

          やっぱり私は嘘が嫌いだ(小山田圭吾インタビュー『BUBKA』を読んで②)

          暴力って、何かカッチョいい!『暴力脱獄』(映画)『暴力教室』(クールス)『暴力青春』(キャロル)『暴力大将』(どおくまん)… そんな男子の感覚。いや大人になっても(ジェンダー?)あとバイオレンスって響きにも、惹かれてしまうんだよね~ ウルトラマンに仮面ライダー、ヒーローもの、戦隊もの、子供向けの特撮番組だって暴力だ。闘いごっこは子供たちの体育、実技。 小学生じゃなくなった頃、近所にできたイトーヨーカ堂の広々とした階段に、ピンクレディやスーパーカーのカレンダーに並んで、矢沢

          やっぱり私は嘘が嫌いだ(小山田圭吾インタビュー『BUBKA』を読んで②)

          私は嘘が嫌いだ(小山田圭吾インタビュー『BUBKA』を読んで)

          死んだ坂本龍一は、いつ頃から売れ出して、大金が転がり込むようになっただろうか?などと突然考えてしまった(阿部薫のCDを買って帰りに聴いてたこともあり)スタジオミュージシャン?アレンジャー?その前から売れっ子になっていったんだろうけど、まぁYMOが決定打で、「一家に一枚YMO」というのはコピーライトだけど、本当っぽくなってたよね。当時。 中2んとき、隣の教室から、AIWAかなんかのどデカいステレオラジカセで鳴らしてる『ソリッド・ステイト・サバイバー』(まぁテクノポリスとライデ

          私は嘘が嫌いだ(小山田圭吾インタビュー『BUBKA』を読んで)

          『50歳を過ぎたらダイエットしてはいけない』の灰本元さんは日本のリチャード・ローティだ

          強く逞しく生きる人の、眩しいエネルギーを浴びながらでも、生き延びる。弱々しく(死んだように)生き延ばす。そんな「強度なき生」ではダメですか? 最初に謝ります。 前回「『50歳を過ぎたらダイエットしてはいけない』の灰本 元 先生、ロカボで糖尿病が寛解したわたしは「肥満パラドックス」をどう生きればいいですか?」という記事を書きました。わたしのストレートな疑問をタイトルにしたのですが、その後も引き続き読んでいて、第5章「健康で痩せた人をどう考えるか」のなかで、 「一方、痩せた

          『50歳を過ぎたらダイエットしてはいけない』の灰本元さんは日本のリチャード・ローティだ

          『50歳を過ぎたらダイエットしてはいけない』の灰本 元 先生、ロカボで糖尿病が寛解したわたしは「肥満パラドックス」をどう生きればいいですか?

          薄々と、じゃねえハッキリと、バキバキとわかってるんだ、この「ぬくぬく」が、いつ終わるとも知れないものだってことを。 今日みたく冷たい風がピューピュー吹き荒れる夜なんか特に、地域猫🐱ちゃんたちが縮こまって寒さに耐えてるイメージ(じゃねえ現実!)に、そういうどうにもならねえ世界に、強迫神経症みたく責め続けられているけれど(猫なんか好きにならなければよかった)人間がそうなってしまってる現実を、今年は元日から知らしめ続けられている。 健康だってそうだ。「ぬくぬく」は病気がないから

          『50歳を過ぎたらダイエットしてはいけない』の灰本 元 先生、ロカボで糖尿病が寛解したわたしは「肥満パラドックス」をどう生きればいいですか?

          出た!逆張りとしてのちょいぽちゃ(それに人生100年は嘘。)

          糖尿病になって、嘘が見抜けるようになった。糖尿病って名前がまず嘘だし(血管の病。高血糖症とかが妥当だ)したがって名称変更の最有力候補、ダイアベティスも嘘。 松本人志の記事を読むために『週刊文春』を買おうとは思わないけど、先週「50歳を過ぎたら小太りでいこう!」という記事を広告で見つけ、ウォーキングで立ち寄ったコンビニでチラ見した(やっぱ買わなかったけど)『50歳を過ぎたらダイエットしてはいけない』という本を(文藝春秋から)出版された灰本元さんという医師の記事なんだけれども、

          出た!逆張りとしてのちょいぽちゃ(それに人生100年は嘘。)

          カーネーション40年目のライブに行ってきましたよ♪

          明け方のうつらうつらで、なぜかこの曲が思い出されて…そうだこれは中学に上がった頃の、わたしが目撃していた、いじめの光景に被さる BGM なんですよ(クラシックの美しい音楽とかをシリアスな現実と対比させる演出、映画や演劇、ドラマとかでありそうなやつだけれど、実際個人に生じる心象風景なんですよね) 毎年4月のクラス替えでは、あーゆーのがいなければいいなぁ、野蛮なのがいないクラスだったらなぁって願ったけれど、でも当時からそれはやっぱり有り得ない夢想だった。 普通なら誰だって、理

          カーネーション40年目のライブに行ってきましたよ♪

          最初からなにもしらなかったことを わすれてしまっていたことが いちばんばかだったなっておもう

          もともと小難しい思想だとか、ましてや聴いてて退屈な音楽なんて好きなわけないのだ。まぁパターンかもだが、大人になるにつれ、このまま素ではどうにも上手く生きられないぞと気づいた流れでニーチェ(がわかる本😂)に辿り着いた自分とか、一般的には誰も聴かない「現代音楽」を押さえている先鋭的な自分(クラシックも知らないので解らず、結局はCDを数枚😂)だとか、「人とは違う自分」というアイデンティティを作り上げたいがためだけの「難解が偉い」青春時代とでも言うべきものがあるよね(ないか)。 本

          最初からなにもしらなかったことを わすれてしまっていたことが いちばんばかだったなっておもう

          始まりは、わたしから。

          あけましておめでとうございます。 本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。 大晦日に娘夫婦が遊びに来てくれて、毎年の楽しみになったクラフトビールを飲み、紅白を観ながら妻が用意してくれた料理と、お義父さん製の年越しそばを食べ、楽しくお喋りをしながらやがてカウントダウン~手土産のシャンパンで新年を祝う乾杯をした。 元日には隣接する妻の実家へ挨拶に行き、義父、義母、妻の姉夫婦とその息子たちに会い(近年は珍しく全員が揃って)その後は義兄を中心にボードゲームが始まり、息子と娘夫婦も

          始まりは、わたしから。