内向的な私(マルハラ派)が潜伏する為の二段階革命。
嘘に助けられていた。ある人の欺瞞がわたしを救ってくれた。そういう話です。嘘です(先週の続きになります)。
山田花子『神の悪フザケ』に出くわしたのはたしか偶然で、1988年から1989年のどこかのある日、ヤンマガをぱらぱらめくっていたときに目に入ったのが最初でした。その前からわたしは大手出版社から出ているメジャーなコミック誌はあまり読むことがなく、青林堂から出ていた『ガロ』などマイナーな雑誌が好物でしたので、そこでよく見るような絵柄に引き付けられたのだと思います(山田花子さんは『ガロ』を牽引していた根本敬さんの大ファンでした)
それは「タリラリラ~~~ン の役立たず①」と題された回で(前回の📷️を参照願います)喫茶店でアルバイトを始めた桃子(主人公?)が、まずはトイレ掃除から…となり、先輩女性が「先生」となってやり方を教え(もせず)、まずはやらせて「これじゃ30点だね ‼」となり、「どうしてかわかる?自分で考えてごらん」「河合さんがわかるまで待ってるからね」「イジワルしてるんじゃないんだよ。あなたのために言ってあげてるんだよ ‼」と先生プレイで桃子をいじめたあげく、「結局は『便座の裏側を磨いてない』ということでした」というオチが示されます。
そして彼女は「あのぅ…店長…やっぱりわたし…ここには合わないと思うので…」とモジモジしながら辞めることを告げると、今度はその店長に「君がひとりで気にしてるだけじゃないのか?自分から努力しようともしないで何言ってんだよ ‼ 俺はこういう甘ったれた奴が許せないんだ」とさらに追い討ちをかけられてしまう…というたった4ページの漫画なのですが。
当時のわたしはこれを読んで、いじめっ子が(いじめって言葉はまだあまり一般化していませんでした。今からだと意外に感じますが、この作品中でも『イジワル』と表現されていることでわかります)いじめっ子がいじめの手口を教えてくれた ! これは貴重な資料になるぞ ! とひとりで興奮したのを覚えています。つまり作者の山田花子って人は「イジワル」な思考(志向)の持ち主だと、そこで思い込んでしまったわけです。
ところがそれから約3年後の1992年5月24日、山田花子さんが自殺したとのニュースを聞き、その理由…もなにもその時に初めて「あ、こっち側の人間だったんだ」と察し、これは意外だったなと認識を改めた記憶があります(どこか腑に落ちない思いも残しつつ)。
そして先週、ここ(note)に小山田圭吾さんのことを書く資料として当時の雑誌を引っ張り出し、ノンフィクション作家の大泉実成さんが書いていた文章を改めて読んで気づいたのですが…
「親父さんと話している最中、突然、『藤吉-佐吉問題』というものが浮かび上がってきた。藤吉も佐吉も根本敬マンガの根本的キャラクターで、この世界は、小心で善人でいつも他人から苛められる『藤吉』と強烈なアッパー系でいつも自分のエゴに他人を巻き込みいい思いをする『佐吉』によって成り立っている。『どうも由美(本名 筆者注)は藤吉は自分であると同時に、根本さんも藤吉である、と思い込んでいたフシがあるんですよ』この話を根本敬にすると『ハーン、すると俺の中に吉田佐吉が見えてきちゃって失望したと…。だけどね、山田花子の中にだって佐吉はいるんだから』という答えだった。この見解に関しては、みぎわパンも友沢ミミヨも同じだった。その上でみぎわは『彼女は”愛”が幻影だということを認めたくなかったから絶望したのだと思う。いわば”愛”の犠牲者ですよ』と言い、友沢は『彼女は根本さんにあこがれて、形から入ったんじゃないでしょうか。そこで、根本さんが上から見ていた『佐吉-藤吉』関係を、彼女の場合は自らマンガにはまっていって『藤吉』になり切ることで、身動きがとれなくなったのでは』と言った」
今さらですが、「藤吉-佐吉問題」として、当時から議論(と言っていいのか)にはなっていたことを知りました。そして大泉実成さんは…
「山田花子は退院して家に帰ってくると、じーっとマンダラを見ていたという。『一時間ぐらいは見ていたんじゃないかな』と俊皓(父 筆者注)は言った」
「普通、人間は、そうしたものを寄せ集めてきては、自分なりの宇宙↔マンダラを作り上げていく。山田花子も、ある時期までは積極的にそうしたものを、自分の『山田宇宙マンダラ』に取り込もうとしてきた。だがマンダラというものは、大乗仏教が発展する途上で、仏教がその国の土着の神々(例えばシヴァ神はヒンズー教の神だが、マンダラの中では不動明王や大黒天として取り込まれている)を取り込んでいくことで、成立してきたものである。厳密に考えれば、ブッダとシヴァ神が一つの宗教の中で両立することはあり得ないのだ。つまりマンダラとは、妥協と矛盾の集合体なのである」
「山田花子は、マンダラを拒絶したのだ、と思う。自分に対して、矛盾や妥協を許すことができなかった」
と結論付けます。
大泉実成 山田花子はなぜ自殺したか?(消えたマンガ家 第5回)
『クイック・ジャパン』Vol.7
太田出版(1996年4月26日発行)より
長い引用になってしまいましたが、山田花子は佐吉と思っていたわたし、当人は藤吉と思っているようだが佐吉だっている…と思っていた同業者たち、当人も藤吉と佐吉の同居に気づいてはいたが拒絶…とした大泉実成さん、というように、語弊を恐れず言い換えると一般社会においては「加害者(あるいはラクな人)-被害者(キツイ人)」という二項対立として論じられているのが興味深いです。それはともかく、わたしは山田花子さんがバイトの先輩女性(佐吉=加害者)のいじめの手口を、そのあまりに意味のないバカバカしい勝手な言い草を漫画により「見える化」してくれたことによって、いつ降りかかってくるかわからない見えない不条理から、かなり解放された気がしたのです。
ちなみに(これも今回気づいたのですが)
「『ちばてつや賞』では、ちば先生の奥さんやお手伝いさんが絶賛されたんです。そこでうち(『ヤンマガ』)の田宮(編集長)が『女の人が何かをこれだけ感じ取るんだから』ということで、連載をお願いすることになったんです」
という当時『ヤングマガジン』での担当編集者だった吉田氏の証言、つまり女性たちの推しがデビューに繋がっていった経緯を読み、もしかしてわたしと同じ思いをしたのは女性だった !? との意外性を感じたのと同時に、わたしのなかのバイアス?にも気づかざるを得ませんでした。
また、いまの基準で言うならば、例えばいじめ、ではなくて暴力。ハラスメント、どころか性加害だったりもするので一発アウト。本当にそうだとするならば…ですが、山田花子、ひいては多くの山田花子のように死んでいった人たち、が、現代に生きていれば、生き延びていればどうだったのか?ならば学校に治安、の時代がやっとくるのか?本当に来ているのか(てか教室って今は安全が保たれてるのでしたっけ?)
一方で「不登校」や「ヤングケアラー」の問題もあったりしますので、このようなこと、ひき続き考えていければとおもっています(息切れしてきました)
きのうは大森靖子さんのライブ(よかった!大森さんとかり子ちゃんは芸術による理想社会の実現?という革命を目論んでいるのかとさえ思ってしまう。なので二段階革命?やむを得ず、なのだ。僕の死んだ言葉ですが…)に行ってきたのですが、ご一緒してくれたツイッター(旧エックス、逆か)の大森ファン仲間の N/N さんと開場前に雑談していて「若いころ、下手すりゃブッ殺しちゃうんじゃないかっていうような、ワケのわからないモヤモヤした衝動があって…」などと、今では晩年の坂本龍一に似た賢者の風貌の N/N さんの口から飛び出て一瞬ギョッとしましたが、たしかにありました ! そういうの。年をとり、いろいろ忘れてしまってますね。断捨離反対 ‼(いまのわたし)
それとロリポップ・ソニック。
たまたま『クイック・ジャパン』の同号で、「”ロリポップ・ソニック”の思い出 ”フリッパーズ・ギター”の前身バンド」と題された佐藤公哉さんという方の記事を見つけて…
「のちの小沢くんは”ロリ”~初期フリッパー”について、英語で歌ってたのは要するに何も言いたくなかったから、なんて意味のことを言っています。当時の彼ら唯一の日本語曲『自転車疾走シーン』は「ギーギコシャラララ自転車乗って走る~」なんて具合のノーテンキな歌ですけど、それだけに今聴くと「ああ、ホントに何も言いたくなかったんだなあ」なんて、当時の彼らが抱えていた、趣味趣味なたたずまいと表裏一体の頑なな自意識に思いを馳せることになってしまいます」
とても共感できる文章にも再開できました。
(要するにわたし、クイックジャパニストだったかも😂)
あ、それでいい忘れたの思いだした。小山田圭吾さんが『BUBKA』3月号の吉田豪さんとの対談でも言及されていた根本敬さんの影響についてだけど、わたしはほぼ同世代だからおもうけど(そしてやはり忘れかけてしまっているけど)それはやはり「自意識からの解放」だと思っていて。ぼくらみんな、基本的に「藤吉」だったのだ。なので自意識過剰から無意識過剰へ。要するに鬼畜とか悪趣味とかは言い訳なのだ。〇〇(佐吉的な人の)「研究」とかもそうだ(小山田さん問題のとき、その意味を込めて『メンズリブ』問題とつぶやいたりもしたが伝わらない、よね)
読んでくださり、ありがとうございました!
(今回も糖尿病がねぇ!)
季節の変わりめ、寒暖差に気をつけてください(名前はさん、お借りします♪)
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