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フォークとロック、言葉の激情、音の抒情。②(大森靖子さんや坂本龍一さんのことなど)

2014年10月5日午後、この動画に引き込まれ、最後の方で発作が起き、今日までの約10年間、大森靖子に百万単位(交通費込み)を使うことになってしまった。ボカすのは、たったそれだけ !? と気づくからだ(人生かけてるオタクはそんなもんじゃない、のよ ! )

感動っていうがそれは心身の発作だ。何にそんなに感動(でいいや)したのか?あらためて考えてみると、それは大森靖子の技術(でいいや)と努力(でいいや)だ。紛れもなく。細やかに積み重なってる芸で、大森さんが反射してくれた俺にある何かだ。

「一曲って人生なワケよ。一曲が人生に繋がっていくわけだから。だからそれをしているってことが、つまり一秒って人生で、どういう発声をするかとか、今なにを考えているかとか、この、考えているだけで音になってない何かとか、も、人生なわけよ。ね?人生を一音一音、一歩一歩を作っているという、自覚がないということが苦手なんだよ、私は。」
大森靖子 「い え い」(X スペース)
2024年1月27日より書き起こし


大森靖子が生きてるかぎり、その確信された理性(空洞)と技術(努力)が「消えちゃうすべてを歌ってく」れるかぎり、たった一つの誰かの人生が、他の誰かのすべての人生と交わる「瞬間の可能性」が無限(∞)に広がっていく。

大森靖子をもっと知りたいが、お金も時間も運命も、平等であるわけもなく、諦めることもたくさんだ。知らないことを知ってるわたし(それに畏れ多い)。でも大森さんみたいな感覚は、確かにある気はする。どんだけ薄めたものかも知れぬが。例えば…

お仕事の資料や文書は血眼で読むのに本や新聞(テキスト、言葉が載った紙 ! )すら読まないってか読めない人が苦手なんだよ私は。お仕事でしょ! って責められる側だけど、それでも人生でしょ! って言いたいですよ(ちょっと、いや全然違うかも?)

最初っからある言葉は、最初からあるという理由ですべて(仮)だと思う。「人生」って人生としか言いようのない、ゆえにみつをだった言葉も、大森靖子さんのお陰で(この歳で)ポジティブ一択に書き換えられた。

『ZOC』は大森靖子の拡張だったので、応援していた「のどまろにー」の脱退は残念無念で。それぞれ思いがあるけど(俺は凡庸だ。娘を持った父親だし)長くなるので。厳しめのポストした古参と言われる強いオタクに厳しめの引用が付いてたけど、その方も人生かけて応援してるのを一部だけど知ってる)

たゆまぬ努力で磨き上げる、自分自身は「空洞」で、お客さん一人ひとりの「人生」を通して返す。これを一緒にやっていく運命とは。とんでもなく大変なことだ。

「そのこと」に向けた技術や努力、であること。価値観をグループで共有する、ってことは本当に本当に難しい、高難度な、奇跡みたい…いや奇跡だ。でも、それでもそっちの持続可能性を選んでくのが大森靖子だし、いっつも。炎上してすら発作(感動の)に変える(大森さんは炎上パラドックスだ)

あの日、あの時、あの場所で、
君に会えなかったら、
僕らは いつまでも、
見知らぬ二人のまま…

ここで小田和正~♪ しかも『東京ラブストーリー』なんだけど、この曲以上に「あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら…」をストレートに問うた表現はあるだろうか?

吉田豪さんの『豪の部屋』近田春夫さん回がとても勉強になった。これまでほとんどの音楽評論家が、音楽(の構造)について聞いてこない話とか、近田さんにとって「フォーク=言葉 」「ロック=音 」であり、ヒップホップも結局はフォークなので、長渕剛さんが寄って行ってる?のもそういうことだって ! な話とか。

そういう分類は大好きだし、構造、とか、エントロピーだとか、用いる言葉で関心事が伝わるものがある(これもまた甚だ畏れ多いが…)考えることが好きってことだし、そこを埋めない吉田豪さん、やっぱ流石だ。


糸井重里さんが羽生結弦さんとの対談で、

「亡くなった坂本龍一くんが、スタジオに何時間でもこもってなにかやってるっていうことがよくあって。あれはなにをやってるの? って、あるとき聞いてみたら、どういうサウンドにするかを決めている、と。つまり、音の質を発見するまでが一番時間かかるんだって」

『いつ世界が終わっても』
(羽生結弦 × 糸井重里)
第5回 「余白と表現と得点」 より引用

『東風』を繰り返し聴いた理由、見っけた。


休日も終わる日曜の夕方、スーパーの駐車場にバックで入れながら、自分が死んだ後なんて、知ったこっちゃない。悲しいかな(NISAとか、そういうことに気づくだけ)知ったこっちゃある人、教えて欲しい、と、願った。

「タオイストとは、宇宙自然をありのままに受け入れ、天地の規則に従って生きる人びとを指す。しかし宇宙自然には人間も含まれるため、人間には自分の本心を受け入れ、本心に従って行動することが求められる。
こうしてタオイストは、社会的な固定的な価値観に束縛されないことを特徴とする。
また、老子の『道徳経』の別章には最小限の国を提言し、国の過剰な介入を否定する内容があるため、タオイストは無政府主義の特徴を有しているとも言える」(P185)

YMOの頃から知ってる世代は、坂本龍一さんに「聖人君子」はそぐわないと思う、と多分、思う。聖人君子なのかもしれない。実際に会ってないし、わからない。そこで「リテラシー」が問われる、のだと思う。わたしは小沢くんも小山田くんも、そういう「善い人」とはそこまで思ってなく来て、実際に会ってないし、わからない。世代の違いや研究者の視点が、正しく映し出すの、かもしれない。

「高校時代から中年期を経て最晩年まで、
驚くほどに変わらない軸がある一方、坂本のアジアや東洋、中国に対する見方は様々な点であるいは修正され、あるいは深められてきた。本稿は、とりわけ中国の複数の時間とのつながりに読者の注意を促すことで、わたしたち一人ひとりが坂本龍一の生を引き継いでいくためのひとつの手がかりを提供できたらと願って書かれている。
(『群像』2024年3月号『坂本龍一と中国の時間』片岡大右 劉争)

坂本龍一さんがいてくれて、片岡大右さん、劉争さんが書いてくれ、このテキストが人生(の指針)に、なった。

知らないことに出会う旅、
それが人生だ(普通だ~)

いつも読んでくださり、ありがとうございます。(やっと春の陽気になってきました🌸)


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