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[ちょっとしたエッセイ]手のひらに隠された1000円札

 少し前のこと。街を歩いていると、小学校高学年くらいの子どもと、たぶん祖母にあたるくらいの高齢とまではいかない女性がなにやら真剣な面持ちで話している姿を見た。すれ違う際に、

「なんていうところのが欲しいの?」
「う〜ん、わかんない」

 そんな会話が聞こえた。子どもの方は、耳にイヤホンをしていて、この状況にやや辟易しているように見えたが、もう一人の女性の方は、スマホを真剣に眺めながら、画面を操作している。
「これじゃない? 西武デパートにあるかもしれないから」
 そんな歓喜にも似た声と同時に、
「デパートにあるようなものじゃないよ」
 そんな一方通行の会話が続く。たぶんおばあちゃんが孫のために欲しいものを買ってあげたいのだろうが、当の孫本人は、それをあまり快く思っていないような雰囲気だった。

「ありがた迷惑」
 まあ、それはわかる。僕だって思春期にそういった類の親切を嫌った節はある。祖母や祖父といった家族の関係は案外そんなものかもしれない。そう思いながら、僕は道を歩いていた。
 耳から流れる、Polarisの流星。なつかしむタイミングとしてはナイスチョイスの曲だった。

 僕の祖母は下町の理髪店に嫁いだ人だった。140センチくらいの小さな体で、いつも下宿している従業員のために毎日3食こしらえ、お菓子を作り、いつでも割烹着を着て、せかせかしている人だった。初孫でもあった僕はずいぶんとかわいがられ、いつもその小さな背中に負ぶわれていた記憶は、まだ鮮明に残っている。
 いつも小さな僕の手を引き、おもちゃ屋へ行き、好きなものを買ってくれた。あれが欲しいと言えば、さまざまな人を頼りに探してくれた。毎週のように遊びに行ったが、それも中学生になったあたりから、どうも気恥ずかしくなり、一緒にいるといろいろ聞かれるので、あまり会いにいかなくなってしまった。
 大学を出て、一応の社会人になったあたりから、祖母の様子に変化が見られた。というのも、祖母がこれまで担ってきた家業の仕事をやらなくなったからだと思う。70半ばになり、その役目は次代に移った。忙しくする必要のなくなった祖母は、趣味の書道や水墨画はやりつつも、なんだかそのハリのない生活を持て余しているように見えた。たまに遊びに行くと、喜んで買い物に同伴させられた。しかし、買う物すべてがそこまで必要のないものばかりで、結局僕が実家へ持ち帰ることとなった。そんなことが続いたある日、祖母のところに遊びに行ったら、本当に元気のなさそうな祖母がいた。会話も乏しく、二人してテレビを見るほかなかった。この時には、なんらかの異変が起きていたのかもしれない。
 帰り際、「じゃあ行くね」というと、
「来てくれてありがとうね」と言って、僕の手を取った。
 閉じられた祖母の手のげんこつが開くと、2枚の1000円札が小さく折られていた。それを僕の手に渡した。
「いいよ、いらないよ」僕がそう言うと、
「いいから、いいから。気をつけるんだよ」
 そう言った。

 それからというもの、そんな調子で、遊びに行ってもなにもせず、テレビを見て、1000円札をもらう時が続いた。別に、お金が欲しかったわけではない。ただ、なんとなく一緒にいてあげたいだけだった。でも、そんな時が続くと僕もだんだんそれに慣れ、当たり前のように同じことを繰り返すようになった。
 ある日、母親に祖母について話を聞いた。祖母は痴呆らしき様子が続いているのだと言う。急に銀行からお金をおろし、大量の食材を買ってきたり、台所でずっと独り言を言っていたり。だから、お金は少額だけ持たせ、行動はかなり制限されているとのことだった。
 その話を聞いてから、はじめて祖母の家を訪れた。まったくこれまでと変わらず、テレビを見ていた。「やあ」と言うと、
「あら、来たの。なにか食べたいものはないかい? 買い物に行こう」と祖母は言った。しかし、すぐにはっと思い直して、
「今、お店の調子悪いからお金ないんだ。おじいさんにがんばってもらわないとね」と続けた。
 それはたぶん事実ではなかった。理髪店はいつものように客で賑わっていたが、祖母はそのことを知らない。従業員の食事なども弁当や外食へと変わり、そもそも下宿人ももういなくなっていた。世界から隔離された祖母は、カゴの中で想像すらできない頭で、ただ生きるしかなかった。
 帰り際、いつものように祖母は小さながまぐちから1000円札を2枚取り出して、小さく折って、祖母のげんこつから僕の手のひらに渡してくれた。
「いらないよ。お金ないんでしょ」と、少しいじわるっぽく言った。すると、
「いいんだよ。おばあさん使う宛てないから、おまえにあげるんだよ」
 外に出た僕は、空を見上げて、湧き上がる涙が流れないように必死にこらえた。
 その後、祖母は施設へと移り、数年後に亡くなった。

 人はやはり大切なものを失わないと自覚できない生き物だ。街角で見つけたあの子どももそうだろう。当たり前の日常にノスタルジーは生まれない。だからこそ、生きている関係の間に、共有できることを増やすべきだ。僕からあの子どもに言えることは、思いっきりおばあちゃんに甘えときなさいだ。
 人にしてもらったことは、必ずいつか思い出の最上位に残るはずであると思う。そう思って、僕も日々を生きないといけない。

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