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[ちょっとしたエッセイ]寝ることが、もったいなかったあの頃

 先日、久しぶりに食事をしながら眠ってしまった。とは言っても、一瞬意識を失った程度のもので、ガクンと目の前が上下する現象に見舞われてことなきを得た。しかし、食事をしながら寝落ちとは、学生時代の2徹明けの吉野家以来だった。
 とにかく、最近眠い。酒を飲もうことなら、すぐに酔い、横になった瞬間に寝られる自信がある。この週末も朝に起きられず昼まで寝て、起きてまたボーッとしていたら、夕方になっていた。天井に広がる木の模様を見ながら、「あー、おれまた寝るのか」と思いながら、今日何もしてないなと、これ以上ない後悔を胸に、眠りの世界へ沈んでいく。そして日曜の夜を迎えて、すべての自分を否定する。寝ることはある種の快楽ではあるものの、その後悔たるや、ひと言では表せないほどのものでもある。
 ただ5〜6年前の自分は、逆に寝られない時期が続き、眠れないあまりに、白んだ朝を迎えると、酒を煽るという生活だったので、それに比べれば、マシだと思う。と余談ではあるが、こんなに眠たい日々は、20代前半以来かもしれない。
 
 とはいえ、と「よく寝る」といっても、思い返してみると、ただたくさん寝ている記憶は実はなくて、遅くまで起き過ぎて、寝て起きらた夕方だったみたいなことの方が多いような気がする。そんな記憶を掘り起こしてみると、そこに浮かぶのはいつも同じ部屋だった。
 大学時代、一個上の先輩と仲良くしていた。いわゆるイケメンで、なんかセンスがよくて(僕の好みとは違ったけど)、聞いている音楽も、読んでる本も、少しみんなより一歩先と行っているような人だった。女性とのどうでもいい話や、とある女性をめぐって友人とのトラブルや悪口など、彼の部屋で毎夜のように僕は話を聞いていた。部屋の棚に置かれたドリッピングランプが怪しく光り、DJも趣味でやっていたので、どう考えても寝る間際のレコードは面倒だと僕は思ったが、彼はていねいにお気に入りのレコードに針を落とした。Modjoだったり、K.Doopだったり、Fatboyslimだったり、当時のクラブミュージックを彼は特に気に入っていた。
 今思えば、寂しがりだったのかもしれない。友人も多くなさそうで、いつも僕みたいな子分を引き連れていた。僕もそのうちのひとりだっただろうが、なぜか家に招かれて、夜を一緒に過ごした。僕も、彼の話を聞くと、ある意味で大学のヒエラルキーの上の方を垣間見るようで、なんだかちょっとドキドキしたのを覚えている。
 そんな彼の実家は、寿司屋をやっていて、彼の風体からは想像できないくらい、家自体は「和」だった。家族もやさしくて、本当にいい意味で裏切っていた。いくらかっこつけていても、彼のそんな本来の姿に僕は惹かれたのかもしれない。レコードの音と、タバコの匂いがあふれるこの部屋から出ると、漂う生魚の匂い。週の半分くらいを彼の家で過ごすようになり、いつしか彼の家族からも覚えられ、夕方くらいに起きてトイレに行こうとすると、部屋の扉の前に弁当箱が、「これを食べなさい」と書いたメモと一緒に置いてあったりした。
 そして、やはり大学での彼の立場は依然として変わることはなく、毎夜聞かされる自慢のような話は、呼吸をするように流動的に形を変えながらたゆたうドリッピングランプのように、ふわふわと僕をうわつかせた。横になって、タバコを吸いながら話を聞くのに夢中になった。気がつけば窓から朝日がゆっくりとのぞかせる朝の5時頃、僕らはようやく惜しみながら、寝ることにした。
 そんな日々も長くは続かない。彼は卒業を迎え、僕の目の前からいなくなった。基本的に僕から連絡を取ることがなかったので、彼からの連絡を一時は待っていたが、結局連絡が来ることはなかった。風の噂では、海外に行ったとか、地方の企業に勤めているとか、噂もなんだか定まらない。そんなこんなで、20年が経過してしまった。今頃、彼は何をしているのだろう。必死になって探せば見つかるのだろうけど……。

 日中寝過ぎてしまった僕は、案の定夜になって眠ることができなくなった。日中はどれだけ寝ても寝られたのに、と少し恨み節を思いながら、窓の外を見ると明け方の白い光が差し込んできた。あの頃見た光は、仕方がなく寝るための合図で、寝ることが本当にもったいないことだと信じていた。しかし、今じゃ早く寝ないと1日持たないという危機感の合図だ。あの頃のことを朝日とともに思い出し、タバコが吸いたくなった。でも禁煙をしてもう1年以上が経つ。何事も諦めることも肝心かもしれない。眠れない朝、今一度僕は布団をかぶって、時が経つのを待った。

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眠れない夜に

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