見出し画像

[ちょっとしたエッセイ] もう縛られなくてもいいんじゃない?

 なんとなしに毎週火曜日をnoteの更新日と設定して早2年くらいが経過した。
 そもそもなぜ火曜日かなんていう理由は特になかったのだが、一旦決めてみると律儀な性格が顔を覗かせ、なんとなく「締切」感が出て、毎週更新が守れてしまっている。そうやっていく方が細々と続いていくんだろうなと、なんとなしに自分の性格のやわらかいところをモミモミしながら思っている。
 そんななんとなしのスケジュールだと特に記念日やら〇〇の日やらとは縁遠く自由に書けるのだけど、今回はそうはいかなかった。
 
 だいたいこの日はゆっくり過去のことを思い出す。もう随分と前のことで、記憶もだいたい決まってあのシーン、このシーンと当てが少なくなっていく。もう30年、35年前のことなんて本当にあやふやだ。
 ただ、ひとつはっきり覚えているのは5歳くらいだったように思う。ひどくでかい銀色のベータのビデオデッキに入っている、ダイナマン(特撮戦隊もの)が録画されたテープを流して見るのが好きだった。ある日、いつものようにデッキに入ったビデオの再生ボタンを押すと、テレビに映ったのは、縄に縛られた裸の女性が天井から吊るされているところだった。青天の霹靂、寝耳に水、阿鼻叫喚。
 幸い近くに家族はいなかったが、5歳の僕はすぐに停止ボタンを押して、今は懐かしい水色のタイルが敷き詰められた和式便所に数十分閉じこもる。それに気づいた母親にいろいろと尋ねられたが、ただただ黙りこくることしかできなかった。

 そこから十数年経ったある日、家の納戸で懐かしさを覚えながら荷物の整理をしていた。埃を被った古いスーパーの買い物袋の中から、縄に縛られた裸の女性が写ったピンク色の表紙のエロ本と、ベータのビデオテープが数本一緒になって出てきた。時代はVHSだ。そこでよぎる過去の思い出。これをトラウマという以外になんと言うのだろうか。僕はこっそりその袋を誰にも掘り起こされないように、奥の方へと追いやった。
 僕の記憶は、幼少期から縄に縛られた女性が記憶というか頭の隅に焼き付き、焦げ付いている。そのトラウマを植え付けた張本人は、もうおわかりの通り父親である。

 でも、エロい、くだらない、どうしようもない父親だったかというとそうではなかった。別に異様に真面目ではないが、どちらかといえば正義感の強い、融通の効かない大人だったように思う。コーラを一気飲みして病院に運ばれるとか、職場の嫌みたらしい上司を殴って辞めさせられたみたいな話があるので、なんというか真面目だいうよりは融通が効かない人だったんだと思う。

 人は見かけによらないとは言ったもので、僕の中学のクラスメートに、すごく真面目で賢くて曲がったことが嫌いみたいなテンプレート的な人間がいた。ある日、学校のトイレに置いてあったエロ本を拾い鞄の忍ばせたところをクラスメートに見つかって、みんなに「ただのエロ」と卒業まで呼ばれた男がいた。「ただの」というところに悪意を感じる。そして、賢かったこと、真面目であったこと、正義感が強かったこと、すべてがその一件以降水泡に帰してしまった。若い人間のやることは残酷だ。
 しかし誰だって男である以上、その類の思考は持ちうるもので、それに対して別段否定的になることはない。

 ただ、この話の本筋はそうではない。かの父親から受けたトラウマ的な思い出は、僕と父親の思い出のベクトルに刻まれ存在していることに問題があるということだ。
 いろいろ頭に負荷をかけながら思い出してみても、前述の思い出が先行してしまい(別に本人が見ているところを目撃したわけでもないのだが)、なんとなく思い出があやふやのまま形にならない。いや、写真などを見返せば、それなり思い出せるのだが、いかんせん目を瞑ってみると、あのテレビに映る女性が出てきてしまう。そして、そこに「人間父親」との接点がどうしても結びつかないので、そこに人格が2方向に分かれてしまう。そして確証がないとはいえ、父親に対するなんとも言えないモヤモヤが消え去ることはない。
 
 そんなことを繰り返し、25年が経過してしまった。父親が他界して25年が経ったのだ。そして今日が命日。亡くなった当時17歳だった僕にとって、人生におけるターニングポイントになったのは間違いないのだが、あまりにも父親という人間を理解するには時間が足りなく、幼すぎた。今この年齢になって想うと、親を早くに亡くすことはデメリットばかりではないなと思う(介護だとか、それにまつわる揉め事やらないのだから)のだが、やはり、身近な男である父親の人間性を暴かずに逝かれてしまったのはもったいないと思っている。
 そして、立派な父親みたいな印象と、ただのSM的な趣味のある父親がまったく同居できないでいる。理屈では同居している、いや当然すべき案件で、男云々を言える歳なので理解はできるのだが、僕の幼少期の心が、未だにそれに抵抗しているのかもしれない。そう思うと、親子の対話は重要である。生きてさえいれば、互いを理解することは可能であると信じたい。ただ、もういない人を理解するためには、こちらが100%歩み寄る以外にないのだ。
 
 父が亡くなったは46歳だった。そして今僕は42歳。あと数年もすれば、その歳を迎える。そのころには、すべてを解決したいと願っている。縄は僕のやわらかい心を縛り続けている。そろそろ「縛り」の世界に歩み寄るしかないのかなと、諦めにも似た感情でこの日を迎えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?