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[ちょっとしたエッセイ]光と闇と

 今年はいつもよりあたたかな12月で、つい先日まで本当に寒いと思える日はいつも以上に少なかったが、ここ1週間くらいは底冷えで、あ、いつもの冬がやってきたな感が出てきた。そのせいで、いつもより遅くなったが、クローゼットの奥からヒートテックのタイツを引っ張り出して、これでようやく冬の準備が完了したような気がした。そして、気がつけば今年も終わりつつある。
 この季節は寒さと相まって、いろいろと昔のことを思い出す傾向があるなと思う。街の風景や人々の装いなどを見ていると、時が経とうとも、記憶の中の12月は大きくは変化しない。街中のイルミネーション、鈴の音が響くBGMが聞こえたかと思うと、早々閉めたシャッターには、門松の絵柄の紙が貼ってある。和洋折衷、時と文化の交差点である。そんな非日常的な日常が今年もやってきたことを実感しながら歩いていると、あちらの方から小さな鐘の音が聞こえた。その音の方を向いてみると、とんがった屋根の上に鐘が揺れている。ああ、そうか今日はクリスマスイブだ。夕暮れが過ぎたかと思うと、夜の帳が降りる。人々が小さな教会へ吸い込まれていく様を見ていると、なんだか異様に懐かしく思えた。
 僕の家は、母がクリスチャンだった。父は信者でもなく普通の日本人で、特別な信仰があるわけでもない人間だった。母が教会へ行くことに対して、別段何も言わなかったし、当人も教会に行くことはなかった。そんな家にいると、自分の持つ信仰がなんなのかよくわからなくなる。それは今も同じで、親族などの法要は仏教だし、ちょっとお参りなんかは神社だし、クリスマスのようなキリスト教的なイベントは教会へ…など、イベントごとに身を寄せる宗教が変わる人生を送っている。まあ、それが自分の決定的な何かを決めるわけでもなく、それが普通なことにようになっていると、結局のところ、どうでもよくなるが、そのふわふわした宗教観は、敬虔な人たちからすると、いかがなものだろうか。
 それであっても、クリスマスの季節は、生活全体がキリスト教的な視点となり、街中もその世界観に少しなりとも融和しているから、ああ自分の宗教観には、この血が流れているんだなみたいな気持ちになったりする。すると、幼い頃に通った教会の様子なんかが思い出させるから不思議なものである。
 
 あれは、小学生の低学年の頃だったと思う。その週末、僕は母親と教会に行くのがとても嫌だった。でも行かない理由が作れなかった。なのでしぶしぶ、母に連れられて教会まで歩いていった。この教会は、木造アパートの一室を教会に見立てた集会場で、6畳ほどの部屋が並んでいるところを襖を外して繋げた集会場だった。畳ばりの床には赤い絨毯が敷かれ、仕入の襖には壁と同系色の壁紙が貼られ、鴨居にはキリストの生涯が描かれた絵画が四方すべてに並べられていた。
 それでも、隠しきれない畳の匂い。でも線香とは違うお香が焚かれ、その香りはどこか遠い国を連想させた。白いベールを被った女性や、外国の方も集まり、所狭しと並べられたパイプ椅子に皆が座ると、静かに神父さまが前方からメロディーに乗せた言葉を口にする。
 ミサは滞りなく終わり、みなが方々に帰宅の途につく。僕は母に連れられて、ある部屋の前に立っていた。そこはかつて風呂場だったところで、ここは「告解室」と呼ばれる部屋だった。その前日、僕は友人と遊んでいて、彼が大切にしていたおもちゃを家に持って帰ってきてしまった。それが母に見つかってしまい、ひどく怒られた。その晩、友人の家に謝罪と返却をしたが、母にはどうしても、なぜ盗んでしまったか、理由が説明できなかった。たぶん自分自身でもわからかったのかもしれない。そして、日曜日、この部屋の前にいる。中に入ると、タイル張りのひんやりとした空間に黒いカーテンのかかった仕切りがある。小さな小窓が奥と手前を繋いでいる。

「ケンヨウくん。今日は何かあったのかな?」声の主は他ならぬ神父様だった。僕が何を口にしようと迷っていると、「大丈夫。君の声は私と神様しか聞いていないよ」と続けた。僕は、たどたどしく昨日起きたことを伝えた。そしてなぜそんなことをしてしまったのかわからないことについても加えて話した。
「今の君の気持ちは、光のように明るいかい? それとも、暗闇のように暗いかい?」僕は、暗いと答えたと思う。
「こんなお話がある。ずっと昔に神さまがこの世を作られた時、まず最初の1日目に光をおつくりになられた。これは君も知っているね?」僕はうなずく。
「光を昼と呼んで、光と闇を分けて、闇を夜と呼んだのも知っているね。光と闇は決して一緒に過ごすことはできないんだ。どんなにがんばっても一緒になれない。だから神さまは人間をつくられたんだ」
 僕は神父さまの話がいまひとつ飲み込めなかった。
「さっき私は、君の気持ちは光か闇かどっちか尋ねたね?」僕はうなずく。
「これこそ、君の中に光と闇がどちらもある証拠なんだ。人間だけが光と闇を同時に持つことができる。今、君の気持ちが暗い闇なのだとしたら、そこに明るい光を当ててごらん。お母さんやお父さんに話してみることもひとつだし、神さまにお祈りしてみるのもひとつだ。そして自分でも考えなければならないよ。人は、時に心の中に暗闇がスッとあらわれることがある。これはごく普通のことなんだよ。その時に、どうしたらいいか。君は賢い子だからわかるね」
 僕は、うなずいて部屋を出た。母は、玄関先で窓の外を見ていた。僕が出てくるのを見ると、うながすように集会場から出た。帰り道に僕と母に言葉は要らなかった。手を繋いで、母の手をぎゅっと握る帰り道。
 大人になってから、この記憶を思い出すと、なんとなくこれが愛なのかなと思ったりする。それは、神さまが僕の中の光と闇にそっと触れているからなのかもしれない。

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