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[ちょっとしたエッセイ]上段の左から3番目の青いやつ

 駆け足でコンビニに入ると、そのままレジに並んだ。夕方のコンビニは、様々な様相の人であふれあふれている。上着のないスーツの兄ちゃん。数人で笑いながら並ぶ学生らしきかたまり。明らかに人の多さに辟易するおばあさん。なぜ今なのかと、弁当を大事そうに持つ女性。とにかく忙しい雰囲気で満たされている。
 僕は、その入り組んだ列から、レジの奥を何度か伺っていた。そこにあるのはタバコの陳列棚だ。必要なタバコの番号をひたすら探す。こんな生活になってもうどれくらいだろうか。銘柄を伝えて買える時代はもう昔のこと。今じゃ、どこかの為政者が決めた番号制度のように、タバコすら名前で呼べなくなった。
 ふと、そんなことを考えていたら、昔にもタバコを番号で呼んでいた時があったことを思い出した。

「ほら、この青い線が入ったやつだよ」

 そう言ったのは僕の父親だった。いつも自宅の奥にある自室で仕事をしていた。黙々と製図板に向かっていた。だからいつも背中越しに話をした。だいたい僕との会話の最後には、タバコを買ってきてほしいとポケットから小銭を出して手渡した。ついでにお菓子を買ってもいいよと少し多めの小銭。ただ、僕はこのおつかいにいつも失敗をしてばかりいた。

「あれ、これじゃないんだよな。この青いやつだよ」と、ゴミ箱から握りつぶされたソフトケースを取り上げて、広げて見せてくれた。右側に濃い青色のラインを指差して言った。でも、それ以上怒りはせず、「ま、いいよ」とやさしくつぶやいた。
 次の機会も、なぜかまた間違えた。青いラインのものとわかっているのに、なぜか間違えた。その時父は、「わからなかったら、マイルドセブンとお店の人に頼みなさい」と言った。いつも僕はタバコ屋の横に立つ自販機で買っていた。なぜ間違えるのか自分でも不思議だった。自販機に並ぶ絵柄を見ると、上段の左から3番目に、青いラインのやつがあった。その下にちゃんとカタカナでマイルドセブンと書いてある。それなのに、今回もその真下にあるセブンスターを買ってしまった。
 父は、その息子の体たらくを見ても、一向に怒る気配はなかった。そして、僕が一緒に買ってきた駄菓子を見て、「お菓子は間違わなかったか? そうか、ならよかった」そう言った。

 上の左から3番目だ。
 心にいつも刻まれたこの番号は、今でも心のどこかに引っかかっている。おそらく、毎度間違っていたわけではないと思う。ただなぜか適度な間隔で間違える、上段の左から3番目を選べない自分に、何かしらの理由があったことを思う。でも、その真相が自分にもわからなかった、

「あの。81番のタバコをください」
 店員はおそろしく真逆の方向へ向かい、当然の如くまったく違うタバコを盛大な笑顔で持ってきた。
「え、81番なんですけど。あの左から3番目の棚の青いやつ」
「え、あ、あ、すいません!」
 人は間違えるのに、案外理由はないのだ。ただ、その時、その瞬間の直感とどこか湾曲した空間の狭間で、選択してしまう。人間というのは、そういう生き物で、理屈を並べたところで、その言葉に大した意味はない。そんなバカバカしさと向き合う時間が、僕にとっても父親にとっても必要だったのかもしれない。

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昨日、9月13日は私の父親の命日だった。
亡くなってもう25年が経った。そしてあと4年もすると自分がその他界した父親の歳になる。
いつしか、悲しみは日常となり、いないことが通常となった。そして、今にして思うと、早くに亡くしたことによるメリットも考える余裕が出てきた。でも変わらないことは、悩み多きこの幼い自分にかけてくれる言葉がないことだ。想像もできない、父親の思考や言葉を噛みしめる時間がないことだ。
だから、大人という存在を信じない自分であっても、父親という存在にはあこがれる。これまでも、そしてこれからも。

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