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好きなことを仕事にしようと思うから苦しいのでは

ふとそんなことを最近考える

仕事は仕事、趣味は趣味
そうやって割り切って生きている人も多い

自分の場合、たまたま好きなことに関係する仕事をできている
でもだからと言って、仕事に関わる全ての要素が好きなわけでもないし
楽しめるわけでもない

仕事でちょっと楽しめないことがあると、「これは自分が本当にしたいことなのか?」と必要以上に考えてしまう
贅沢な悩みと思うかもしれない
でも本人にとっては、これのせいで数時間、長いと数日ずっと頭を占領されている気分になるのだ

そんな折、森博嗣さんの「お金の減らし方」という本を読んでいてハッとさせられた。

森氏は、趣味にお金と時間を最大限投入するために大学の仕事を辞め、小説家になったとある
一般的に考えたら、大学、しかも准教授レベルの職を辞めるなんて、誰もが驚くと思う

森氏にとっては、研究は好きだったが、「つまらない会議」などに時間を奪われるのがとにかく耐えられなかったらしい

僕自身はまだ、准教授や教授といった職ではないから「つまらない会議」に時間を奪われることがほとんどない

でもこの現象は周りを見ているとなんとなく理解できる
大学教員になるためには研究業績が重要
だからみんな必死に業績を作る
研究が好きな人にとっては最初は良いのかもしれない
とにかくたくさん研究をして、論文を書けば評価してもらえる
しかし、その評価で准教授や教授といった職位に就いたはずが、待っているのは研究以外の業務ばかり(森氏の言う「つまらない会議」はその一例)
これは所属大学だけでなく、学会の役員等になったらさらに増えるのだろう
そうなると研究の時間はどんどんと取れなくなる

そのため、森氏は逆説的だが自分の研究にもっと時間を注ぐために、小説家になった

この事実を知って考えさせられた
僕は自分の仕事に「好き」を求めすぎていたのかもしれないと
だから具体的な仕事内容が好きと思えないと必要以上に考え込んでしまう

でも本来、好きなことは仕事以外でやれば良いのだ

もちろん好きなことを仕事にできている人が世の中にいることは事実
ただしそれは結果論でしかないと思うし、おそらく少数派だ

多くの人は仕事と趣味をはっきり分けているのではないか
僕は少しの間、仕事と趣味を割り切って生活してみようと思う

例えば僕は語学が好きだ
でも英語を生業としているせいもあって、他の言語をしていると「この言語を使ってどんな仕事ができるのだろう?」と考えてしまう
悪いクセだ

その考えを持っていると仕事になりそうな、いわゆる「役立つ」言語にばかり目が向いてしまう
それだと好きで語学をしているはずが、稼ぐために語学をすることになってしまう
これはいけない
続かないのも見えている

趣味を趣味として割り切るのだから、それでお金を稼ごうなどと卑しい考えを持たず、純粋に楽しみたいものだ

こんな、多くの人にとっては当たり前のことを云々と悩んでいる今日この頃です



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