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受動的な人間から能動的な人間へ

学生から社会人になる際、受動的なスタンスから能動的(主体的)なスタンスへ考え方をシフトしていきます。

それまでは教室に行けば授業を受けられ、課題を出され、それらに黙って従い、それなりに成績を取れば「卒業」という称号が手に入り、世間から評価をされます。

しかし、一歩社会に出ると、そういった受動的なスタンスは評価されず、何も与えられない無限のフィールドから、自ら何をすべきか考えて行動した結果のみが評価されます。

もしかしたら一昔前の日本社会では、そういった受動的なスタンスでも評価されたのかもしれません。しかし、今は違います。

そういった考え方の違いは、知識としてわかっていても、感覚的にわかっていないとなかなか順応できません。順応できなかった結果、3年目にもなるくらいで「ダメリーマン」の烙印を押されてしまうのです。

外に飲み歩いて授業もロクに出ていなかった学生の方が、すべての授業に出ていた優等生よりも就活でうまくいく、なんて例が度々ありますが、それは早い段階で能動的な考え方を持っているからだと思います。

社会人は、というより仕事をする人間は、すべて自分の意思で行動し、自分の行動によって仕事を見つけ、自分の見つけた仕事で評価をされることによって、上へ上へと登っていくのでしょう。

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まさにそんなダメリーマンだった僕(今は会社員じゃないから違うと言いたい)が考えるに、この考え方の違いはもっとちゃんと世間が認識して、改善していくことが大切でしょう。

自分の意思で何かをする、なんて小さな子供であれば当然のことです。

なぜ成長していくにつれて、能動的な考え方ができなくなってしまうのでしょう。

それは家族や学校という環境が影響していると思います。

親や先生から言われたことに従い、その中で努力をすることは悪いことではありません。しかし、それを続け、そういった環境に慣れきってしまうと、いつか能動的な考えは抜け落ちて、受動的な考えの人間になってしまいます。

悪いことに、受動的な人間というのは周りの大人が評価しやすいので、褒められることに快感を覚え、従うことが正義だと錯覚してしまいます。

その誤った正義感を持った上で成長してしまうから、大人になって路頭に迷ってしまうのです。

実際の僕がそうでした。

家族や学校を批判したいわけではありませんが、そういった「大人から気に入られる子供」でいたがために、受動的なスタンスから脱せずに大人になってしまいました。

環境のせいにすることは良いことだとは思わないけれど、そういったことを感じながら今を生きています。

日本は学歴一辺倒で大学受験に向けた画一的な教育が強くあります。それゆえ、家族や学校が子供に勉強を強いる傾向があります。その中で子供が持っていた自主性が削がれていくのではないかと思います。

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最初は決断力の無さからでした。

なんか楽しくない。なんか上手くいかない。もっと自分にとってのユートピアはあるはずだ。

そういったモヤモヤを抱えながら社会人生活を送っていたものの、踏み切れない自分はいました。

スパッと会社を辞めて次に行っちゃえばいいけれど、今までの人生で「何かを辞める」という経験がなかったから、辞めようにも辞められない。そんな状態でズルズル時が経ってしまい、結局僕は1年以上このことえd悩むことになってしまいます。

友達に相談して、自分がやりたいのは「海外に挑戦することだ」と認識できてから、やっと退職に踏み込めました。

しかし、それも友達に相談したからで、最後は自分の決断とは言え、まだまだ弱い意思でした。

僕はそれからフィリピンに渡り、就職、コロナ禍後にフィリピンでの生活を送るも、結果的には半年での退職となりました。

自分の意思で決断して行動をすることは大切だけれど、その決断が最適かどうかはやってみないとわかりません。

僕は人生の中で決断の回数がまだ少ないと思っており、そのためその決断力も精度はまだまだ低いものです。

無駄な考えだとはわかっていても、「あの時〇〇をしていたら」「あの時〇〇をしていなかったら」といったありもしないパラレルワールドを想起してしまいます。

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フリーランスという生活は能動的な生き方の代表格のようなものです。

自ら仕事を獲得して、自らスケジュール管理をして、自らスキルアップを図り、自ら仕事を振っていく。

黙っててお金がもらえる社会人とは大きく違う生活に、フリーランスという世界の現実を知りました。

そして、時が経っていく中で僕がまだまだ能動的な人間になりきれてないことに気づいてしまいました。悲しいことに。

僕は今年中に再び会社員として歩んでいこうと思っています。ただ今までの自分を反省として、受動的な自分から能動的な自分への脱皮となるような期間にしていきたいと思っています。

まだまだ長い道のりになるでしょう。

自分の生き方は自分で決めたい。

自由な民主主義という社会で生まれ育ったことを幸運に感じながら、これからの長い人生を自分なりの生き方で送っていこうと思います。


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それでは、また明日お会いしましょう!

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