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タメ口という難しい日本語

日本語はつくづく難しいと感じます。

外国人で日本語を学んでいる人には本当に尊敬の気持ちがあります。日本人ですら日本語の使い方に困っているのに、こんな難しい言葉を学んでくれてありがとう、と。

ただ、もちろん日本語は僕らの大切な母語だし、ぞんざいに扱うものでもないのだけれど、でもやはり難しいと思います。

そしてその日本語の厄介なことのひとつは敬語とタメ口の使い分けだと思います。

そもそもタメ口なのかタメ語なのかをわかっていないのですが、今回はタメ口に統一することとします。

一般的に敬語は丁寧でオフィシャルな印象があるものの、同時に硬い印象もあり、友達間で敬語を使っていたら違和感を抱きます。対して、タメ口はフレンドリーで砕けた印象があるものの、信頼関係があってこそお互いが気持ち良く会話できるものでもあります。

今回はこの敬語とタメ口の使い分けについて、少し考えてみました。

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東欧の国・ジョージアに来てからいろんな日本人に出会っています。

自分より年上の人が多いから、敬語を使う機会が多い、と思いきや、実はタメ口を使っていることも多くあります。

それは自分が無礼なのではなく(もしそう思っている人がいたらすみません)、彼らがタメ口を使われることに抵抗感がないから、ということが大きな理由です。

これは海外にいる日本人の多くに共通することですが、そもそも年齢で人を見ていません。

僕も実際の年齢であったり、社会人歴というものを知らずに接している人がたくさんいます。もちろん見た目だけでその人のある程度の世代を察することはできるけれど、僕と同世代の人たちですら特に年齢を知らないまま接することがあります。

僕がジョージアで参加していた「ノマドニア」というプログラムでは、僕も含めた20代のメンバー間では細かい年齢に関係なく、みんなタメ口を使っていました。

そのうちの一人は、「生まれた年が数年違っていたって全然大した違いじゃない」と言っていて、深く納得しました。

僕は日本社会特有の明確な上下関係を当たり前だと認識しており、今まで気づきませんでしたが、確かにたった数年生まれた年が違っただけでそこまで明確な線引きをする必要はないと感じました。

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僕より年上の人で「タメ口で話していいよ」と言ってくれる人がいます。

すごいと思います。僕は年下の人からタメ口で話されることに抵抗はないけれど、でもその一言をかけたことはありません。躊躇してしまいます。

実際、敬語よりタメ口の方が親しみやすいものです。もちろん言葉遣いだけで人間関係は決められないけれど、タメ口で話した方が距離が縮まった感覚があります。

だから、それを自ら促してくれる人に対して、ひとつ尊敬の念が湧きます。

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初対面の人には敬語で話すことが一般的だし、僕もそうしています。

出会ったばかりの頃は信頼関係が構築されていなく、相手がどのような人かわからないから、敬語を話して少し距離をとった方が「無難」だし、角が立ちません。

これは英語のコミュニケーションで、初めて会った人に敢えて過去形を使って距離を取る状況と同じ理屈だと思います。

でも、そのメンタルブロックを悠々と飛び越えていきなりタメ口で話す人がいます。こういったことをできる人を僕は素直にすごいと思っているし、逆に憧れの気持ちすら持ってしまいます。

僕は今後も相手との信頼関係ができて、かつ迷惑がらないことを認識できて初めて、敬語をやめてタメ口に変えるというプロセスを取れるか考えていくでしょう。それに年上だったり、年下でも仕事や態度など尊敬できるような人に対しては敬語を続けるでしょう。

改めて、このタメ口と敬語の使い分けは難しいと思ってしまいます。

そもそも人間関係に正解はないから、言葉の使い方に正解を求めてしまっているのももはや間違いじゃないかと思ってきたりもするのです。


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サムネイルの撮影場所はPalito Palace(トビリシ)

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