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自分なりの学習法で英語を学ぶ

Hello! I’m Kento.

僕は今年の1月から2ヶ月半、フィリピンのセブ島で英語留学をしていました。
今では日常会話レベルであればわかるようになってきたけど、行った当初は全然理解できませんでした。

今回は、英語を学ぶとはどういうことなのか、そして僕がどのようにして英語を学習してきたのかを書いてみたいと思います。

 

目的意識

多くの日本人は、中学から高校、そして大学2年頃まで英語の勉強をしてきました。人によってもっと少ない人もいれば、英会話学校に通っていたり、英文学を学んでいたり、留学に行っていたり、それ以上に学んできた人もいます。
しかしながら、どの世代を見渡しても多くの日本人は英語を話すことができません。

概ね言われていることとして、日本の英語教育は大学受験対策のひとつになっており、主に単語や文法、リスニングを重視する、ということがあります。
これも英語を学ぶ上で大事なことだし、間違っているとは言えないものの、なぜ英語を学ぶ必要があるのか、という目的意識が欠如しているように思います。

英語が母語ではない国でも、今や世界中で英語教育が行われています。
僕が留学していたフィリピン共和国は本来、タガログ語(フィリピン語)という言語を使い、またセブ島のあるビサヤ地域では、セブアノ語(ビサヤ語)という異なる言語(方言ではなく、全く異なる言語です)を使いますが、それでも国民の多くは英語を話すことができます。

もちろん文化や背景を抜きにして比較することは良いことではありませんが、現に先進国ではないフィリピンで、このような英語を含む多言語教育が行われています。
他の発展途上国にもこのような例はたくさんあります。

これは僕の仮説ですが、世の中がグローバル化して行けばいくほど、英語の重要性は増していくと思います(このコロナ禍の件は一旦考えずに…)。
そうなると、今まで母国語でやりとりしていたコミュニケーションが、一気に英語に寄ってくる可能性があります。
日本人同士のコミュニケーションは今後も日本語しか使わないでしょうが、ネット会議などが盛んになって、外国人とも直接画面越しに会話しないといけない場面が出てくるかもしれません。
また、日本人と日本人以外の人の数を比べたら、圧倒的に日本人以外の人が多いので、英語を話せるかどうかで、出来る選択肢の数も変わってきます

そんな時代の変わり目に生きていると、英語を見て聞いて話して書けることがいかに重要か感じてくるかと思います。

日本は、明治維新の際に近代的学校教育制度が確立されて、外国語としての英語教育が始まったそうです。
戦時中を除き、長い間英語教育を取り入れてきたものの、現在の日本人の多くは話すことができません。
僕は、「なぜ英語を学ぶのか」といった目的をよく理解し、大学受験のためだけでなく、「自分が将来生きていくために英語を理解する」という気持ちが必要だと感じました。

ただ、フィリピンのように「英語が話せないと仕事が見つからない」という状況でもないため、母国語だけで十分に生活できる日本では、それらを学生に理解させるのも、また難しいのかもしれません。
僕は25歳になった今、やっとそれらが腑に落ちてわかるようになってきたのです。

 

興味関心をもつ

日本の英語教育は、文法に費やす時間が多く、対話を中心としたオーラル(口頭)での指導が非常に少ないです。
ただ、皆無というわけでもありません。
僕が通っていた中学校(私立です…)では、英語とは別に「英会話」という授業があり、一週間に一度、ネイティブの講師が教室に来て、会話中心の自由な授業をしていました。

しかし、僕がそうであったように、英語を学ぶ目的を理解していない中学生にそのような授業をさせることは、かえって英語を退屈なものにさせてしまうかもしれません。
また、日本人は目立つことを嫌い、生徒皆が平等となることを望む傾向にあるため、そのような授業で挙手をしたり、アピールをする、といったことは、全く無いかまたは一部の人だけに限られてしまうのです。
現に僕はその授業で答えられなかったことがトラウマとなって、その後の英語の成績の下降へとつながってしまいました。

僕は高校時代の担任が英語教師で、日本出身ですが、パキスタン人の両親を持ち、流暢な英語を話せました。
一度、なぜその先生が英語を話せるか(パキスタンの公用語はウルドゥー語)を聞いたのですが、その時に言っていたのは「英語への興味関心」でした。

先生はイスラム教徒でした。
物心ついた頃から家庭内と他の日本人に文化の違いがあることを認識していて、自分と同じイスラム文化を持つ人は皆、アラビア語を使うことができました。
また、イスラム教の聖典「コーラン(クルアーン)」は、アラビア語で書かれているため、日本語やウルドゥー語だけでなく、イスラム教徒として、アラビア語を学んでいたそうです。

その経験から、日常で使う言語以外の言葉(外国語)に興味を持つようになり、より実践的な英語を学ぶようになってきたそうです。

僕はその時、英語の学習意欲は環境要因も多くあるのだと感じました。
その先生の例は、日本でもかなり特殊ですが、もし自分の家族(親や親戚)が日本で育ちながら英語を話せたら、自然と自分も学ぶ意欲が上がっていたのではないかと思います。
他にも、友達にアメリカ人やイギリス人がいたり、アメリカやイギリスの文化がとても好きだったり、学校での勉強(大学に入るための手段)とは別の場所に英語を学ぶ意欲があると、英語学習への興味関心を持て、英語力の成長スピードも上がるのではないかと思いました。

 

英語を学ぶ

実際に英語を学ぶことへの目的意識が上がり、英語への興味関心がついてきたら、あとは学ぶだけです。

正直なところ、意欲が高ければ、日本でもいろんなことができるし、今では無料でできることもたくさんあります。
詳しいことは各々調べて欲しいのですが、方法は山のようにあります。
日本にいて、仕事をしながらでも英語を学ぶ方法はたくさんあるし、実際に実践している人も多くいるかと思います。

その中で、僕はフィリピンのセブ島に行き、短期集中型で学習する、という選択をしました。
学生時代の挫折経験から、集中できる環境を整えたい、という思いが強かったからです。

結果として、「正解」でした。
わざわざ会社を辞めてまで行ったので、なんとかにして身につけたい、という思いがあり、それが僕の勉強意欲を上げてくれたと思います。

僕の英語学習の経験を伝える前に、フィリピン・セブの英語学習について簡単に説明します。

セブの英語教育は、他の国の英語教育と以下の3つの異なる特徴があります。
1. 第二言語としての英語指導
2. 安価でのマンツーマン指導
3. 日本と物理的距離が近い

1. 第二言語としての英語指導

上でも書いたように、フィリピンの母国語はタガログ語です。
しかし、国民の大半は英語が話せ、また大学教育やビジネスでは基本的に英語を使います。
フィリピン人は英語ネイティブではない代わりに、国民みんなが外国語として英語を学んできた経験があります(ちなみにアメリカ英語です)。
そのため、他国よりも「教わる」という視点に長けています。

もちろん学校によっての差、個人での差はあるものの、みんな「教わった」英語を使って、教えています。

2. 安価でのマンツーマン指導

セブはまだまだ物価や人件費が安く、英語ネイティブな先進国で英語を教わるよりも安い料金で受講することができます。
もちろん、こちらも学校によっての差はあるものの、たとえば3ヶ月間の滞在だったら、宿泊費・滞在費・食費・航空券・旅行保険・ビザ申請費・生活費、全て込みで約87.2万円になります。
(参考 オーストラリア:77万円~163万円、イギリス:97万円~252万円)

もちろん、設備の面や街の治安など、リスクを負うこともありますが、費用は大事な指標になるかと思います。

また、セブの英会話学校は基本的にマンツーマンでの個別指導となります。
実際に僕は、一日8授業(各50分)のうち6つはマンツーマンでした(あとは3人〜6人のグループレッスンが2つ)。
1対多のレッスンと比べると、1対1の個別指導の方が成長速度は早いです。
これは僕自身、とても魅力的だったし、実際にマンツーマンで先生といろんな話ができて、英語を話す習慣ができたと思っています。

3. 日本と物理的距離が近い

フィリピンは、同じアジアに位置し、日本からわずか3000kmほどしか離れていません。
時差はセブの方が1時間遅いものの、ほぼ一緒と言ってもいいです。
成田、関空、中部の各空港から直行便(フィリピン航空、セブパシフィック航空)が出ており、5時間ほどで到着します。
またマニラや韓国・仁川経由であればLCCでも向かうことができます。

セブはフィリピン第3の都市で、観光地として知られていますが、ビジネスも盛んな都市です。
僕が通っていたQQ Englishという英会話学校は、セブのITパークという高層ビルが立ち並ぶビジネスエリアにあり、毎日ビジネスマンと一緒に通学(通勤)していました。

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学校で初めに受けたテストで、僕のレベルはBeginner(10段階のうち下から2番目)でした。
なので、そのレベルに沿った授業が組まれます。
授業内容やレベル、講師は、後から自由に変えることができます。

語学は基本的にリスニング(Listening)、リーディング(Reading)、ライティング(Writing)、スピーキング(Speaking)からなります。
最初に設定された授業は、全体を満遍なく網羅した授業形態でしたが、途中から苦手だったリスニングとスピーキングを重点的にしていきました。

英語に限らず、語学学習は表現することが大事です。
聞いた英語を理解して、それに対応する文章を頭の中で組み立てて話してみる。
これを繰り返して、対話をしていきます。

もちろん、その過程で単語や文法という、受験勉強でしてきたような地道な勉強も大事になってきます。
しかしながら、対話をして表現を身に付けることは、とても重要であり、また楽しく学ぶ上でとっても大事な要素になると思います。

僕はより多くの英語に触れるため、途中から時事ネタや長文読解と言った難易度の高い授業に変えました。
そのため、毎日予習・復習をしないと付いていけませんでした。
友達とのご飯の回数を減らし、毎晩机に向かってガチガチに勉強する生活になりました。
現地の人や他の外国人とご飯を食べに行くことも英語の勉強になりますが、僕自身の元々のスキルが乏しかったから、基礎から鍛え直したかったし、授業についていけなくなるのは嫌だったので、毎日必死に食らいつきました。

また、授業とは別に毎日英文で日記を書いていました。A5ノート片面びっしり書くくらいの分量で、その日あったことや自分が考えている事など毎日ネタを考えて、翌日添削してもらっていました。

結果として、受験生のようながっつり机に向かって勉強する方法でしたが、日々対話というアウトプットが出来、かつ文章を組み立てる習慣が身についていったので、この方法がすごく合っていたと感じました
新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、留学期間を全うする前に急遽帰国することになってしまったため、どれだけレベルが上がったか測ることはできませんでしたが、日常会話レベルの英語力を身につけられた気がします。

  

今までの学習を振り返って

僕は短期集中型のセブ島留学という環境で、ガチガチに英語の勉強をできてとても良かったです。
仕事をしながら学ぶこともできますが、やはり毎日多くの時間を英語学習に割けられたり、日常会話すらも学習になるという環境にいることで、自然と学習の習慣がついていき、充実した日々を送ることができました。

英語の学習法は人それぞれ異なります。
会社を辞められないという人も多くいるでしょうし、現在のコロナ禍では、海外どころか外にも出れなく家の中でやるしかない、のですが、少しでも対話を意識して、インプットとアウトプットを繰り返していくのが良いと思います。
オンライン英会話はこの状況下でも開講しているところもあるみたいなので、探してみてもいいかもしてません。

あらゆる語学の中でも、英語は習得が簡単だと一般的には言われます。
話者が多く、ひねり(例外)が少なく、口語と文語で大きな差がないからです。
対して日本語は習得が難しい言語の一つで、文字が3種類あったり、漢字の読み方が複雑だったり、人によって言い方が変わったり、オノマトペが多かったり、口語と文語に大きな差があったり、本当に難しいそうです。
だから、「こんな難しい日本語を習得している自分なら英語だって習得できるだろう」といった軽い気持ちで挑んでみるのがいいのかなと思います。
僕は実際に今でもそれを意識しながら単語帳を開いています。

語学の習得に苦労するのはみんな同じだと思います。
でも、少しずつ理解できるようになる成功体験を積み重ねて、楽しむのがいいと思います。
僕もこんな記事書きつつも、まだまだ道半ばなので、これからも勉強し続けます。

語学学習は終わりのない旅。
いつか、自分が外国人に囲まれて楽しく英語でコミュニケーションしている姿を想像して。

 

【参考】
・Wikipedia「日本における英語
SchoolWith

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ケント・ナガヤ
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