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幸せとは、なにか。

いつもありがとうございます。店主の平末健人です。
今日は、「幸せ」について考えていきたいと思います。

唐突ですが、みなさんは毎日幸せですか?
毎日ご飯が食べれて、友達や家族や恋人がいて、ある程度のお金と自由な時間があって。そんな何気ない日常に、幸せを感じていたいですよね。でも「幸せ」とは何かと聞かれたら、人それぞれで意外と難しい。

そんな「幸せ」について少し考えさせられる本に出会いました。
それが「荘子」です。

荘子は、紀元前の中国で色々な教えを説いて回った「諸子百家」のうちの1人として、歴史に登場します。今回は、そんな荘子と彼の弟子たちがまとめた「荘子」という書物を特集したNHKの番組「100分de名著」の内容を書籍化ものを参考にしてみました。こちらはWebでも紹介されていますので、是非のぞいてみてください。また、今回は他にも参考文献があるので、記事の最後にまとめておきます。

さて、今日はこのような内容で進めていきたいと思います。

・道
・万物斉同
・遊
・為合

それでは、今日は「幸せ」について。今日も共に新しい世界を見つけていきましょう。


「 道 」 - 人知を超えたもの -

みなさんは「道」という単語を聞いて、どのような物事を思い浮かべますか?おそらくほとんどの人が「道路」としての道を思い浮かべることでしょう。もしくは「〇〇道」としての道。例えば、茶道や柔道、合気道、修験道などでしょうか。日本には様々な道がありますよね。

実はこの「道路」や「〇〇道」というような「道」を含む用語には、ある共通した特徴があります。それは、”繋がっている”ということです。

道路は必ず他の道路や土地とつながっていますよね。日本国内にも網目のように張り巡らされていて、みなさんも学校や会社にいく時は、必ず「道」を通ると思います。

では、茶道や華道は何とつながっているのでしょうか。実はこの「〇〇道」の「道」こそが、荘子の言う「道」に近い意味なのですが、こちらの「道」に関しては、後の章にて詳しくお話しするとしましょう。

さて、この「道」の正体を把握するために、荘子の考え方とはある意味で対をなす、キリスト教的な世界観と比較して考えていきましょう。下の図をご覧ください。

アートボード 1-100

実はここで比較しているのは、「人知を超えた力」の捉え方です。この超人的な力の源を、荘子では「道」、キリスト教などの一神教(ならびに神話など)では「神」と呼んでいます。

「道」というのは、わかりやすく言うと「自然」のようなものです。すべてのものが繋がりあって、循環し、相互に影響を及ぼし合っているというようなイメージです。そして、そこに意思はなく”ただ在る”だけ。つまり、”実体が無い”ため、主体でもなければ客体でもないということです。

一方「神」というのは(特にキリスト教では)絶対的主体であって、神が人々に影響を与えるという考え方です。人は神が定めた「善行」を行い、神による救済を信じることによって成り立っています。つまり、神による「救い」というGiveに対して、「信仰」というGiveで返すという相互の主体性があります。

このように、道とは神と似ているようで似ていないものであり、むしろその実体が”無い”のが「道」”有る”のが「神」とも言えると思います。

荘子は、全ての物事がこの「道」と繋がっていて、もはや全ての物事は本来「道」の一部なのだと言います。そんな「道」という考え方をベースにした荘子の考え方は、後に「道家」や「道教」(荘子が神格化されたもの)と呼ばれ、後から中国に伝来した仏教とも習合し、「禅」の思想の中に自然と組み込まれていくことになります。そうやって何世紀もの旅路を経て、荘子の教えは日本にも伝わってくるのです。

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