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“未来の風景”を撮る。

写真は過去の時間と空間を意図的に切り取り、閉じ込めておくだけの「箱」でしかないのだろうか。

好きな時間や感覚だけを、後から選び捨て去るためのものなのだろうか。

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いつか見た景色が、ふと目の前に現れる時がある。

薄れていた遠い日の記憶が、だんだんと淡い輪郭を帯びて、目の前の景色と重なり始める。


動くたびに形を変える、木々の合間から差し込む光。

教室から見える、小さく動く人々。

部屋の明かりを消した時、ぼんやりと赤く染まり始めていた空。

記憶と共に蘇ってくる感情や感覚。それは思い出よりも鮮明で、現実よりも淡い。

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一度見た景色には、もう二度と出逢えないと知っている。それでもただ祈る。

「あの日見た景色を、もう一度見ることができたら」と。




それは突然やってくる。
あの日見たようなその景色に呼応するように、確かな感覚が蘇ってくる。

その瞬間、過去の景色は“未来の風景”として、今ここに現れる。
あの日の祈りが輪郭を帯びて、過去と未来を今この瞬間に繋ぎ止める。

そうして写した景色は、また過去になり未来の風景になる。


循環が始まり、風が巡っていく。


僕は未来の風景を撮る。
目の前の景色に、遠い日の祈りを重ねて。


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(210923)

※220301編

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