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「精神の依存先」をどこにするか

5日前のnoteで、『自分は「こういうことを成し遂げたい!」というより、「こういう状態でありたい!」という優先順位のほうが高い』ということを書いたのですが、


上のnote中には、具体的に『どういう状態が心地よいのか』というところまでは書いていませんでした。

そのことについて考えていたところ、とってもタイムリな―記事に出合いました。


上のブログのチェコ好きの日記の著者の方も、今回のブログのタイトルにある通り、どうやら『目標から逆算する生き方が苦手』だそうです。

ブログ中にて、

私も「この先のキャリアプラン」などを聞かれた際には、堂々と「わかんないです」と言おうと思った。

宣言までしています。


それで、まあこのブログの著者の名前は和田さんっていうので、以後は和田さんと呼びますが、彼女が自分が目標から逆算する生き方ができない理由のひとつに、

私は幸か不幸か依存先を「生きている人間以外」にすることができたほうの人間だ。

と書いてあって、まさしくぼくもこれだ!と思いました。


依存先を生きている人間以外にすると、どうなるかというと、

誰にも認めてもらえなくても、誰にも愛されなくても、読書や映画鑑賞をすれば登場人物と心を通わせられるし、南米に行ってイグアスの滝でも見ればその水しぶきやひらひら舞う蝶によって孤独を癒すことができる。

ようになります。

ただ、

こう書くとなんだかポエミーだけど、ようは「オタク気質」

なだけですと書いてあって、ぼくは自分がオタク気質という自覚はなかったですが、依存先が人間以外(和田さんとかぼくとかの場合はコンテンツ)って、オタク気質と言い換えられるのかもしれないなーと、このとき読んで思いました。


生きている人間、隣にいてくれる誰かと心を通わせられなくても、コンテンツがあれば生きられる。

って感覚、あっ、たしかにそうかも、とも思いました。


あと、これから引用する箇所が一番印象に残ったといういうか、ぼくにもあんまりキャリアプランとかライフプランとかがない理由につながるなって思ったんですが、

「先のことなんか考えなくてもいいじゃん」と言えるのは、単純にバカだからってのもあるが、先のことなど考えなくても(金がかかるので旅はともかく)読書ができなくなったり文章を書けなくなったりすることはまあ確かにそんなにないからだ。本なんて図書館に行けばタダだし、青空文庫ダウンロードすればいいし、ブログやnoteは無料で書ける。極論、恋人にも友達にも全員去られて生活保護になっても、たぶんいちばん大切な心の潤いは失わずに済むと思う(それなりに絶望はするだろうが)。だから先のこと、本当にあんまり考えなくても大丈夫だと思っている。


要は、ぼく(とあとブログを書いてる和田さん)の依存先である『コンテンツ』と、あと『文章を書くこと』って、お金とか手間とかのハードルがすこぶる低いんですよね。

いまの時代は特に、世の中にコンテンツが溢れかえっています。

あと、文章を書くのだって、紙とペンがあればできるし、いまはスマホ一台あればいつでもどこでも文章を書くことができます。

だからたぶん、『遠い将来のことを考えられない』というよりは、『遠い将来のことを考える必要がない』って表現のほうが近いんですよね。


逆に、『すごい影響力を持ちたい』とか『お嫁さんになって子どもも欲しい』とかみたいな、自分の目指しているものに他者も関わる場合、よく言われる『相手ありき』の話なので、相手に選んでもらうなり魅力に感じてもらう必要があるので、それは多少逆算していろいろと計画的に積み上げる必要もあるのかなと。


ただ、ひとつだけ今回のブログでどうなんだろな―と思ったのは、この依存先が人か人以外かみたいなのは、和田さんは『先天性』だと言っていた点。

私みたいなタイプの人間は決してマイノリティではなく、探せばけっこうそのへんにゴロゴロいる。さらにいうと、この性質はおそらく人生のかなり早い段階で決まってしまう先天的なもので、オタク気質の人間がそれを脱することはできないし、その逆もまた然りだ。


でも、今回のブログを読んで思い返したときに、ぼくは割と意識的に自分の依存先を人以外にしてきたような感覚があります。

中学生だか高校生だかは忘れましたが、なにかの拍子で『人に依存するってすごいリスクあるなー』って思いました。

細かい時期は記憶にないですけど、それ以来、自分の精神状態の安定を図るために、依存先を『自分の中の核、柱的なもの』とあと『コンテンツ』にしてきた感覚は持ってます。

だから、依存先はわりと後天的にでもどうにかなるんじゃないのかな―というのうが、実体験も交えたぼくの感覚です。


ただ、先天的でも後天的でも、そもそも別に依存先が『人』か『人以外』かであることに全くもって優劣はないので、別になにか強烈な体験でもしない限り、生まれつきの傾向からはそんなに変わらないだろうな―とも思います。

優劣ではない以上、基本的には依存先をスイッチする動機がないので。


いまのぼくも、依存先が『人以外』という感覚は別に嫌いではないので、なにかよっぽどの強烈な体験でもない限り、このまま『自分自身』と『コンテンツ』と『発信』に依存して生きていくんだろうな―と思ってます。

でもまあなんか多少ライフプランとかキャリアプランとかあったほうが、より人生が豊かになるのかなという気もするので、そのあたりはうまく組み合わせていきたいですね。


『キャリアプランなんて考えられないー!』って方は、今回紹介したブログを読むと、なにかしらのヒントになるかもしれません。


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