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林修先生がカッコよかったなって話

「広報はもっと経営と一体になってやるべきだ!」とか「人事はもっと経営と一体になってやるべきだ!」とか、各分野のスペシャリストの方が(=ここでは広報や人事)、じぶんの専門分野の地位向上を訴えるツイートや記事を、しばしば見かけます。

広報や人事だけじゃなくて、デザインとかマーケティングとか、もうありとあらゆる分野で。


ただ、そういうたぐいの発信を見かけるたびに、ぼく思っちゃうんですよね

「そんなの全部大事に決まってるじゃん!!!」

って。


広報も人事もマーケティングもデザインも、全部大事なことは自明すぎます。

全部大事だし、どの分野も究極的には経営(≒売上)につながっているんだから、いくらでも距離を近づけることだって可能です。


ただ、全部大事なのは大前提なうえで、その企業の価値観やフェーズに応じて、限られた資源を適切に分配することこそが、経営の重要な役割のひとつなのでは...?と、そういった各分野のスペシャリストの方々の発信を見ていて、思うことがあります。


だったら、「じぶんの専門分野の地位をもっと上げるべきだ!」という「べき論」を主張することよりも、限られた経営リソースのなかで、じぶんたちが大事だと信じる分野の優先順位を上げてもらえるような「実績」と「信頼」を獲得するほうが、よっぽど効き目があるのではないかなと。


経営者(陣)の目的は、めっちゃざっくり言うと「企業活動をうまくやること」なんだから、その分野にたくさん人手やお金を割いたほうが会社にとってプラスだと判断したのなら、そこにたくさん人手やお金を割いてくれるはず。

すごい対岸の火事感があって申し訳ないんですけど、いまの各分野のスペシャリストの方々の「べき論」を聞いていると、「それただのポジショントークじゃない...?(=本当に会社全体の最適化のことを考えてますか...?)」と偉そうなことを思ってしまうじぶんがいます。


ちょっと話が変わりますけど、ぼく、高3の夏になってから東進に入って、林修先生の授業を受けてたんですね。

林先生の授業でいまでも覚えていることが、「現代文にそんなに時間を割かないほうがいい」って話で。

どういうことかっていうと、(林先生の担当である)現代文って、ぶっちゃけセンスというか、それまでの長い期間の積み重ねがものを言うので、受験直前の1ヶ月や2ヶ月で、点数が大きく伸びることは期待しにくいんです。

だったら、もう本番の直前の時期になったら、それよりも社会の暗記科目をやったり、数学の公式を復習したりするほうが、よっぽど合格に直結します。


塾講師って、学校の先生と違って民間の職業なので、「じぶんの授業がたくさん受講されればされるほど良い(=人気になったりお金をもらえたりする)」仕組みのはずです。

にもかかわらず、じぶんの担当している現代文を「いまからこの科目に時間を割かないほうがいい」って、受験生の立場からの最適化されたアドバイスをくれる林先生って、とても信頼ができるなと、そのときに思いました。


つまり、ぼくはいま各分野の声高に叫ぶ方々が、当時受講していて、「じぶんの科目はめっちゃ大事だ!」と言っていた、他の科目の講師とかぶるんです。

それって、本来の対象者(=会社とか受験生とか)じゃなくて、じぶんの利益のためっていう意味合いが強いんじゃない??と訝しんでしまう...。

本当にじぶんが関わる会社やクライアントのことを思うなら、「こういうことに注力したいフェーズなら、ここを大事にしたほうがいいですよ」って場合分けができたり、なんなら「そういった方向性で進みたいなら、じぶんの専門分野は優先順位は低めでも大丈夫です!」って言えたりするひとのほうが、カッコいい。


そういったものを差し置いて「それでも絶対に〇〇が大事なんだ!」ってじぶんの分野を主張する愛の強さも、それはそれでまたひとつの魅力ですが、基本的にはやっぱり、そういうエゴよりも、相手や全体のことを優先した主張をできるひとのほうが、信頼できてカッコいいなって話でした!

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