「受け売り」でも構わない
こうしてブログを書いていると、たまに『難しいこと書いててすごいね』とか『大学生なのによくそこまで考察してるね』と言ってもらえることがある。
前者はたぶん純粋な『すごいね』で、後者は『大学生なのに』という下駄を履かせてもらってるから、若干ニュアンスは違うんだけど、褒めてもらえること自体はうれしい。
ただ自分で言うのもなんだけど、ぼくが普段書いてるような内容は、ちょっと情報感度の高い人であれば、SNSや本などで聞いたことのあるようなものも少なくない。
すごく悪い言い方をすれば、『受け売り』だ。
もちろん、ぼくは自分のために、あと読んでくれる人に少しでも面白いと思ってもらえたらいいなと思って、世の中で言われている定説に『それって本当なの?』と疑ってみたり、一回出た結論からもう一歩深い考察ができないかなという気持ちでは常にいる。
ただまあ、毎日のようにそんな鋭い文章を書けてたら、ぼくは今ごろ『新進気鋭の社会派大学生』として各メディアに引っ張りだこのはずだから、当然のように『受け売り』に近い文章を書く日もある。
それだったら、別に新しい話でもないんだから、わざわざ書く意味はないんじゃないか?
そう思うかもしれない。
けどぼくは、たとえ受け売りのような『結論』のブログだったとしても、『ぼくが』書くことに意味があると思って、毎日noteを更新している。
というのは、その『結論』に納得するまでの『過程』は、人それぞれ絶対に違うからだ。
言い換えると、『エピソード(具体例)』や『きっかけ』は、千差万別ということ。
『過程』を語ることによって、受け売りが受け売りでなくなる
例え結論がどこかで聞いたことのある話であっても、それをもう1回自分の言葉で語ることによって、『自分』と『それを聞いた人』両方にとってメリットがある。
まず自分にとっては、『理解度』が高まり『説得力』が増す。
『これからはAI(人工知能)によるレコメンドが浸透していく!』という言説があったとして、それをそのまま結論部分だけ自分のなかに蓄積させているのと、実際にAmazonのオススメ欄から買ってみた商品がすごく良かったエピソードを伴わせているのとでは、まったくもって理解度が違う。
そして、聞いてる人も単に『これからはAI(人工知能)によるレコメンドが浸透していく!そうやってニュースで言ってたから!』という結論だけよりも、『ぼくね、この前Amazonでとある商品を買ったときに、下に「この商品を買った人は、他にこんな商品を買っています」っていうオススメ欄があったの。そこでオススメされていた商品、そこで見るまでは聞いたこともなかったんだけど、試しに買ってみたのね。そしたらその商品、すんごく良かってさ!いや〜これからはAIによるレコメンドが浸透していくと思う!』という話のほうが『なるほど』となりやすい。
つまり、『過程』も体験してそれを結論に伴わせることによって、説得力が増す。
こうやって過程とともに『自分の言葉』で語ることによって、理解度が高まり、説得力が増す。
そして気づいたときにはもう、それは受け売りではなく『その人の持論』への一歩を踏み出しているのだ。
あと、それを聞いた人側のメリットとしては『自分に合ったエピソード』に出会って、理解度を高められるかもしれない。
『エピソード(具体例)』を伴わせることによって、確かに結論の説得力は増すが、そのエピソードがが聞いてる人全員にとって馴染みのあるものとは限らない。
普段Amazonを使わない人にさっきのエピソードを話しても、いまいち想像がしづらい。
そこで例えば、また別の人が『いや〜、この前「ちょっと勉強の休憩に!」と思ってYouTubeを見始めたんですよ。それで普段から見てるYouTuberが昨日公開した動画を見て、最初はそれだけ見て勉強に戻ろうと思ってました。けど、その動画を見てたら下に「オススメ動画」がたくさん出てきて、しかも全部面白そうなんですよ!気になるこれだけ!と思って見始めたら、気づいたときにはもう2時間も経ってて...』というエピソードを持ち出せば、YouTubeを見ている人は『ああ、確かにいつもぼくの興味を掻き立てる動画が出てくるんだよね!』と理解しやすい。
こんな感じで、仮に結論部分が耳タコなものになっていても、その過程は人によって違うので、その箇所で他の人にもなんらか役立てるかもしれない。
だからぼくは今日も、こんなどこかで聞いたことあるかもしれない特段新しくもない話を、『自分の言葉』で書いている。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!