そのイベントは「人」に集まるのか、「場」に集まるのか
きょうの朝、こんな連続ツイートをしました。
ぼくが東京と、このまえ参加した兵庫のイベントの違いについて、思ったことを書きました。
まず、東京のイベントについて
東京のイベントは、「人」で集客するタイプが多い
最所に一応断っておきますが、全部がそういうわけではなくて、あくまでもぼくの個人的な体験をもとに書いた、傾向についてです。
それを前置きしたうえでいうと、東京でのイベントは、「人」を軸とした集客でイベントを開催するパターンが多いように感じます。
ここでの人というのは、俗にいう「インフルエンサー」に当たる人たちのことです(そろそろこれに代わる新しい名称を開発したい....!この単語を使うと、彼ら彼女らがすごく安っぽい感じになってしまう....!)。
そしてテーマも、「副業」や「コミュティ」、「個人として活動の仕方」など、時代の流れに沿ったそれっぽいものが量産されがちです。
これは、東京では毎日星の数ほどイベントが行われていて、そのスピードについていくためには、人選やテーマをじっくり考えている暇がない、突飛なもので人選やテーマでチャレンジする余裕がない、という事情もあるのかもしれません。
結果的に、毎日同じような顔ぶれが、同じようなテーマで、同じような話をする事態が発生してしまっています。
ただ、かく言うぼくも東京にいるときはこういったイベントに、毎週のように参加してたわけですが.......(一応、毎回違う出演者のイベントに出るようには気をつけてましたが.....!)
で、これは東京に限らず全般的な「イベントあるある」だと思うんですが、こういうのに参加すると、だいたい最初は「近くの席の人と自己紹介」、で、終わったあとは30~45分くらいの「フリートーク」タイムがあるじゃないですか?
あれがすごくいらなかった!!!!!特に東京時代は!!!!!
先述したとおり、ぼくもそのイベントに参加したのは、そこで登壇する「人(=インフルエンサー)」の話を聞きたいからなんですよね。
だからそもそもの前提として、「横のつながり」を求めるスタンスできてないわけです。
プラス、ぼく個人に限って言えば、当時何者でもない「ただのインターンしてる大学生」でしかありませんでした。
メディアやライター系のイベントに言ったって、別にぼくはフリーライターとしての仕事がほしいわけでもなかったから、そこから出会った編集者やライターの方と、つながるメリットも話題も特にありません。
もちろん、向こうも別にぼくに興味ないですから、ちょっと名刺交換して、当たり障りのない話して、ちょっとだけ会話の盛り上がったひととは、念のためにFacebookを交換(これも後から全然効いてこないんだけどな!)。
「ぼくの魅力不足」が最大の要因ではありますが、東京時代は、こういった主催者さんの配慮タイムをセッティングしてもらっても、とにかく横のつながりができませんでした。
今回の兵庫でのイベントは、「場」を目的に人が集まっていた
一方で、先日参加した地元でのイベントでは、終了後に飲み会にまで行き、数人の方とLINEの交換までしました(Facebookをスキップして!というか、兵庫ではビジネスであんまりFacebookがあんまり使われてない説もある!)。
LINEを交換しただけでそれを「横のつながり」と呼ぶのかは微妙なところですが、東京のときよりは、参加者と距離を縮められたという意味では、象徴的なできごとでしょう(あと実際、イベントの翌日にとある参加者が運営してるカフェまでコーヒーを飲みに行ってじっくり話したし!)。
で、この差はなんなんだろうなー?っていうのを少し考えました。
そこで思ったのは、兵庫でのイベントは、「場」を目的にして人が来ていたなーということでした。
兵庫でのイベントの出演者には、いい意味でカリスマがいませんでした。
つまり、「この人が来てるからこのイベントに参加する!」という動機の参加者が、ほぼ皆無だったと思うのです。
まあ、ここで少しだけ補足しておくと、確かにカリスマやインフルエンサーはいませんでしたが、主催者を慕って来ている人は、たくさんいました。
主催者のロペスさんという方は、『palette』というメディアを運営しています。
その方がこれまでインタビューして来た人たちも当日はたくさん来てたんですが、その人達は「ロペスさんのためなら、なんでも手伝うよ」という感じのスタンスでした。
まあでも、「登壇者から何かを得よう」という人目的のイベントとは、同じ「人動機」の参加でも、「主催者の手助けをしよう」という動機で来てる今回のイベントでは、パワーのベクトルが真逆です。
本筋に戻ります。
つまり、多くのひとは「地元でなんかやりたい人たちが来るっぽいイベント」という認識で、今回のイベントに参加していました。
そこにはインフルエンサーという「人」の影は一切なくて、「なにかが起こるかも出会えるかも」という「場」の匂いしかなかったのです。
「人」目的も、時間をかければ「場」になる?
人目的か、場目的か、どっちがいいとか悪いとかではありません。
そもそも、人目的のイベントは、その参加者の話を聞くことが主目的なので、「横のつながり」を求めていない人も思います(だからこそ余計に、あのイベント前後の配慮タイムの非効率さを感じる....!)。
ただ、一回きりのイベントだと「人目的」ではなかなか横のつながりができづらいですが、時間をかければ、やがて「場」になっていくのではないか?とも思います。
時間をかけるというのは、つまり「オンラインサロン」ですね。
その人目的で集まっているという時点で、ある側面では参加者はとある価値観を共有しているのです。
それがただ、1日限りのイベントでは目的が「登壇者の話を聞くこと」になっているだけでって、本来はそこの参加者どうしでもそれなりに話がはずむはずなのです。
そういう関係性になるには、オンラインサロンくらいの長期的な展開を想定する必要があると思います。
逆に、一旦そこで腰を据えてしまえば、参加者同士はそれなりに仲良くなれると思うのです。
つまり、いずれは「場」を目的としてフェーズに移ることは移るので、時間の問題という話ですね。
兵庫のイベントでは、最初からそこを目的とした設計がされていたから、たた半日の交流でも、LINE交換の関係値にまでなれたのです。
なにがいい悪いでバッサバッサ斬っていくのではなく、大事なのは最終ゴールに応じた「使い分け」ですね。
★おやすみなさい
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