![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/30724201/rectangle_large_type_2_66071cea8c19706969aa2c2298370ce7.jpeg?width=800)
「言われやすい」って損?
ぼくに直接会ったことのある人なら、なんとなくイメージしてもらいやすいとは思うんですけど、ぼくって基本的に「言われやすい」キャラクターなんですね。
もちろん、話をしているコミュニティや、テーマによって、程度の差はありますが。
それで、ぼくのこの「言われやすい」キャラクターって、わりと小さいころからで、小学生とか中学生とかのころって、この「言われやすい」事象に対して「損だなあ」と思っていました。
ぼくだけ先輩にすごいきつく言われるのに、同じことをした友達のA君は、先輩から何も言われない、みたいな。
どうすれば「威厳」みたいなものを身につけて、「言われにくい」キャラクターに慣れるか、けっこう重めに考えてました。
でも、最近すごく感じるのは、この「言われやすい」キャラクターって、とてもありがたいのかもしれないなあということ。
最初に断っておくと、もちろん程度とか、場面とか、誰にどんなことを言われるかとかによって、「ありがたさ」の度合いは大きく変わりますけどね!
なんでそんな小学生とか中学生とか時代に考えていたことを、いまになって掘り起こして、しかも真逆に捉え方をするようになったかと言うと、理由はぼくが「会社員として働き始めた」からっていうのが、大きいのかなと思っています。
ぼくはこの4月から正社員として働き始めて、現在絶賛社会人1年目中です。
働くなかで、そして緊急事態宣言が解除されて、オフィスに出社する日が増えてから、それに比例して「上司の方達からなんらのフィードバックをしてもらう」機会が増えました。
フィードバックっていうのは、単に提出物の良いところか悪いところかそういう話ではなくて、「ふじもんってこういう思考のクセがあるよね」とか「こういう場面では、こういう振る舞いをする傾向があるよね」とか、ちょっと抽象的な話も含みます。
というかむしろ、ぼくが最近ありがたみを感じてるのは、そういう意味でのフィードバックかもしれません。
そういうフィードバックをできるくらいまで、ぼくのことを気にかけてくれてることや(違う部署の先輩もフィードバックをたくさんくれる!)、言えばなんらかの改善につながるだろうと思ってくれていること(もちろんぼくもすべての内容をそのまま受け入れる訳ではないし、納得したものに関しても、いきなり受け入れすぎると逆にぼくのなかで拒絶反応を起こすので、徐々に、いままでのぼくとの折衝を重ねながらという感じですが!)、そしてぼくのことを気にかけて、わざわざ伝えてくれるエネルギーを割いてくれていること(もしかしたらぼくに嫌な顔をされる可能性もないわけじゃないのに!)が、とてもありがたいなあと、ようやく感謝の気持ちを持てるようになりました。
たぶん1年前くらいのぼくだったら、表面上ではニコニコしながら、「うるせえ!俺には俺のやり方があるんだ!」って、右から左だったような気がします。
逆にぼくが先輩に対して何か言おうか言おまいか考えているときに、「この人だったら言ってもひとつの意見として受け止めてくれそう」とか「この人はただ不機嫌になるだけだから言わないでいいや」とかって判断している自分がいることに気づいたときに、「あっ、言ってもらえることって、とてもありがたいことなのかもしれない」と思えるようになりました。
そう思ったときに、ぼくが次に考えるべきは、大前提、いろんな意味で「いま直近フィードバックをもらいやすい後輩」であることは大事なのですが、そのあとは「今後フィードバックをもらいやすい先輩」であり続けるにはどうしたらいいかってことを、少しづつでも意識しておくことが大事だなと感じました。
ちょっと哲学的な言い方になってしまいますけど、「言われなかったこと(=フィードバックをもらえなかったこと)」って、「言われなかった」ので、永遠に気づくことがないんですよね。
童話で例えるなら、「裸の王様」状態でしょうか。
そんなことを思って、一昨日、こんなつぶやきをしました。
本当はこれだけで終わらせようかなと思っていたんですけど、ちょうど今朝、ドンピシャなツイートが流れてきたので、もうちょっと丁寧にいまのこの気持ちを残しておこうと思って、きょうに至ります。
▼ドンピシャなツイート
30代なったら大事にして欲しいんだけどネガティブフィードバックをくれる人を複数作ってね。特に組織人で職位が上がると組織内には否定的なコメントをくれる人がいなくなるので、自分がズレたことをしていても気づかなくなる。批判されなくなったら終わりだし批判を受け入れなくなったら終わりだよ。
— オイルキング (@oil_king_kay) July 19, 2020
そういう意味ではこの人は突っ込まれても突っ込んでも大丈夫だと思わせるような愛きょうやゆるふわな感じって中年以降になればなるほど大事。
— オイルキング (@oil_king_kay) July 19, 2020
突っ込まれビリティ的なものだよね。 https://t.co/pM3hfG2DXg
この「フィードバック」問題って、上のオイルキングさんも言っているように、最後は「キャラクター」の問題に帰結するんですよね。
「正直にフィードバックしてね!」「はい!」で解決する話ではありません。
そして、この「キャラクター」って、もちろんですけど、一朝一夕でどうにかなる問題ではありません。
いまのぼくはまだ、「後輩」とか「役職も下」とかっていうアドバンテージがありますが、それもいずれは、なくなるはずです(役職はわからんけど、まあ年齢は絶対)。
そうなったときに、ちゃんと先輩だけじゃなくて、後輩からも「言ってもらえるかどうか」って、先述の「言われやすい」キャラクターであるかどうかと、そして伝えたフィードバックがちゃんと改善に反映されているかどうかという、相手からの「手応え」によって決まります。
今後、仮に年齢や役職が上がって、自然と「言われやすい」キャラクターが薄まっていくことが予想されるなかで、いかに「言われやすさ」を持ち続けるか。
そして、その先の本質である「改善」も、全て反映させるか、どうやって受け入れるのか、全く反映させないのかなども含めて、どうやって自分のなかに、一度「取り込むのか」ということを意識してやっていきます。
突っ込まれビリティ!
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!