見出し画像

「自分の意見」は持った方がいいの?

若いうちは、自分の意見なんて持たなくていいんです。
何もないことが、若者の長所なんだから。


これは、最近読んだ、スタジオジブリの鈴木さんと、その教え子である石井さんとの対談記事の中で、出てきた言葉です。


>ジブリが「調べるよりも記憶」を大切にする理由


「意見を持つこと」って、とても大事だと言われていますよね。

日本は、海外から見たときに「自分の意見をハッキリ主張しない」と、いろんなニュースや記事などで言われているので、相対的に、「自分の意見を持って、そして述べること」は重宝されます。

大前提、意見を持って、そして発することは、とても大事です。

大事だからこそ、きょうはあえて、「そういう考え方もあるよね」という位置付けで、「意見を持たないこと」について、書いていきたいと思います。


まずは、冒頭で引用した鈴木さんの言葉を、もうちょっと前からの文章も含めて、再度引用します。

僕が石井に繰り返し言ったのは、会議のとき、しゃべるなっていうこと。
何故なら、自分の意見を言おう、言おうとすると、相手が何を考えているか、議論がどういう方向に進もうとしているのかが見えなくなってしまうから。
皆が話したことを、表情やその場の雰囲気まるごとメモすること。
若いうちは、自分の意見なんて持たなくていいんです。
何もないことが、若者の長所なんだから。

引用:ジブリが「調べるよりも記憶」を大切にする理由


「自分の意見を言おう、言おうとすると、相手が何を考えているのか、議論がどういう方向に進もうとしているのかが見えなくなってしまうから」って感覚、たしかにあるなあと思いました。

個人的な経験として、「この会議では、絶対に自分のこの意見は通すぞ!」みたいな気持ちが強ければ強いときほど、一緒に会議に出席している人たちの声に、耳を傾けにくくなるんですよね。

もう頭の中は「どこで自分のこの意見を披露するか」の一点。

他の人が、いまどういう心境でその言葉を発しているのかとか、いま話の流れはどうなっているのかとかってことには、意識が向いていません。

仮に向いていたとしても、それは本当の意味で、「相手の意見を取り入れよう」とか「この会議はちゃんと本来の目的に沿って進んでいるかな」とかといった本質的な意味ではなくて、「自分のこの通したい意見が乗っかるのに良い言葉はないかな」とか「自分のこの意見を出せるタイミングはどこかな」とかって意味です。

そういうときは、ものすごく自分の視野がものすごく狭くなっているなって感覚があります。


最初の海外との比較どうたらみたいな話を再び持ち出すと、海外だと、学校の授業でも頻繁にディスカッションやディベートの授業が行われていると言われています。

留学などで日本人がそこに混じると、みんながどんどん自分の意見を言うから、黙っていたら、本当に自分の発言の機会がなくなる。

だから、ガンガン自分の意見を言っていくことの大切さを学んだ、みたいな話って、わりと美談的に出てきますよね。


でもそれって、少し見方を変えると、鈴木さんが言ったみたいに、全然相手の気持ちや、場の進んでいる方向性に、配慮できてないとも言えます。

それって本当に、あるべき議論の姿なのかとか、人間としてどうなのかとかって考えると、何がんでも絶対に自分の意見を通すぜこのヤロー!みたいなスタンスって、それはそれで一考の余地があると思います。


そして、鈴木さんの言葉の後半にある「若いうちは、自分の意見なんて持たなくていいんです。何もないことが、若者の長所なんだから。」という言葉についてなのですが、ここまで話してきた「絶対に通したい自分の意見」が、まあ本当にその会社や組織のためになるなのであれば、是が非でもその意見は通すべきです。

あと、「外から入ってきたばかり」とか「何も知らないがゆえの斬新な発送」とかって捉えられ方で、「若者の意見」って、ときに重宝されます。


ただ、一応23際で、世間的にまだギリギリ「若者」に分類される自分が言うのも変ですけど、なんの情報も知識も持たない人の意見って、ただの的外れであることが、圧倒的に多いです。

個人的に、斬新さとかオリジナリティの本質って「組み合わせ」なので、そもそも組み合わせる「材料」と、組み合わせ方としての「調理器具と調理方法」がないと、話が始まりません。


鈴木さんが最後に言った「何もないことが、若者の長所なんだから」って、それを意味するもっと深いところまでは、ぼくもまだ読み切れてないと思いますが、上の料理的な例えで言うと、冷蔵庫の中身が空っぽな若者だからこそ、いろんな種類とか品質とか数とかあんまり気にせずに、バコバコ入れられるのが、何もない若者の良いところなのかなと思いました。


ということで、繰り返しますけど、「自分の意見を持つこと」って、とても大事です。

でもその一方で、「意見を持つこと」そのものが目的として肥大すると、視野が狭くなってしまうこともあります。

だからそういうときには、まず出てきた情報を、できるだけバイアスかけず、原液のまま受け取ってみることに意識を向けてみるのも、ひとつのやり方として頭に入れておくのもいいのではないかなあという話でした!

究極的なゴールはやっぱり、物事をより良い方向に、少しでも早く進めることなので。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!