「その人の本質」を引き出すインタビューのために

先日、雨上がり決死隊の宮迫さんと箕輪さんがYouTubeで対談したんですね。

そして今回のnoteは、その対談自体、ではなくて、その対談を箕輪さんとインタビュアーのしゅんダイアリーさんの2人が振り返る動画を見て思ったことについて書きます。

動画のなかで、箕輪さんが「編集者の役割は、その人の本当のコアな部分を引き出すこと。それは週刊誌的にタブーに切り込むのとはまた違う」という内容の話をしていました。

ちなみにこれは新R25編集長の渡辺さんも、少し似た主旨のことを言っていたんですよね。

ジャーナリズム精神は捨てて、「どうやってこの人たちと一緒にメディアやコンテンツをつくっていくか」を考えています。
(引用:「新R25」はジャーナリズム精神を一切捨てた、インフルエンサーファーストメディア(ゲスト:渡辺将基)【前編】

この発言を読んで、いまお二人とやっているレベルの高さは全然違いますけど、いまぼくがインタビュアーとしてなんとなくやっていることや、これから目指していきたい方向性は、こっちだなと思いました。

ぼくはインタビューのことを「殺し合いであり、共犯関係を結ぶ行為である」と定義しています。

言葉だけを見るとちょっと激しい感じになっちゃいますけど、前半の「殺し合い」については後述します。

先に後半の「共犯関係を結ぶ」の方を書いておくと、まず後に「共犯関係を結ぶ」と書いているのは、「もちろん殺し合いはするんだけど、最終的には共犯関係なんだよ」という意味です。

その前提で書くと、ぼくもジャーナリズム的に、「話し手が話したくないと思っていることや、伝えたいとは思っていないメッセージを社会や読者のためという大義名分のもとに無理やり暴く」ことをやるのでははなくて(一応断っておくと、それはそれはジャーナリズムとして社会にとって大事な役割です)、「話し手の方と一緒に、最高のメッセージやエピソードを発信できるか」を同じ目線と方向に立ってできたらなと思っています。

そして、そのためには箕輪さんも言っているように、話し手の本当のコアな部分を引き出すことが大事です。

その具体的な引き出し方として、箕輪さんは「天然のフリをして、土足で入っていく」という表現をしていました。

この表現も、個人的にはスッと入ってきました。

ポイントは、天然の「フリ」であって、本当に「天然」だとダメなんですよね。

本当の天然だと再現性がないので、たまに入ったらダメなところとか、ダメな入り方とかをしてしまう可能性があるので。

天然なフリをして、「おおーガツガツ来るねえ。まあこいつならいいか」と思ってもらえるような信頼関係を築きつつ、その人のコアな部分に迫っていく。

ちょっと感覚的な話にはなってしまうのですが、ぼくもインタビューや誰かとコミュニケーションをとるときには、そういった距離感の縮め方を意識しています。

そして、そこで天然なフリをして土足で入っていく際に、相手に信頼してもらうためには「コイツちゃんと俺の話を本気で聞いてくれてるな。ちゃんと解像度高く理解してくれてるんだな」と思ってもらうことが大事です。

そうすると、「よし、じゃあもっとこっちも本気で話そう」と思ってもらえるようになるので。

では、相手の話をどうすれば解像度高く理解できるかと言ったら、それはもう日頃からどれだけ体験と観察をしているかに尽きるかなと思っています。

箕輪さんも動画中で、「編集者は成功も失敗もありとあらゆる経験に意味がある」と発言していました。

例えば、週刊誌に載って叩かれまくった編集者って、たぶん日本で箕輪さんしかいないと思うんですよね。

その出来事自体が良いか悪いかは一旦置いておいて、仮にじゃあ芸能人にインタビューするとなった時に「週刊誌に載って世間から叩かれまくってさ・・・」という発言をして、「大変でしたよね・・・」と相槌を打って一番説得力のある編集者って、おそらく日本だと箕輪さんです。

そういう意味で、いかに解像度を高く、説得力を持った状態で「ああ、たしかに」と言えるかどうか。

そしてそこから、次のまた解像度の高い、本質を突いた質問をできるかどうか。

もう、ここに尽きるなと思います。

ただ、逆にデメリットとして挙げていたのが、「質問力を上げすぎると、本が売れなくなる」ということ。

要は、質問のレベルが上がれば上がるほど、高度な内容になっていて、興味を持つ人が少なくっていくんですよね。

これはたしかになーとも思いました。

箕輪さんが言っていたのは、「ここで職人的な編集者であれば、編集者としての仕事に徹して、ある意味で自分自身がそこまで興味のないことでも、読者を代弁するような形での質問ができる。でも自分はそういうタイプではなくて、本当に自分が聞きたいことを聞くタイプ。だからこそ、それだけ熱量のある本を作れる」ということだったのですが、ぼくもタイプとしては箕輪さんに近いなーと感じました。

ぼくもどなたかにインタビューさせてもらう時は、まず「自分が本心でその人に聞きたいこと」から考え始めます。

そのうえで、そのインタビューのそもそもの目的やターゲットとなる読者の方の興味などと照らし合わせて、質問内容や構成を調整していくイメージです。

やっぱり、「自分がこのことについて本気で知りたい!」って思いがあるからこそ、インタビュー現場でも本気で前のめりになってその人の話を聞くことができるし、記事を書くときにも、自分がその話を聞いた時の感動や興奮、話し手の方への憑依の度合いなどが増します。

ただ、これはどっちのタイプが良いとか悪いとかではなくて、単純にタイプの違いの話です。

逆に、箕輪さんとかぼくとかのようなタイプはハイリスクハイリターンだなというか、あんまり嘘を付けないので、自分が本心から興味を持っているとか、いいなと思っているとかじゃないと、そこで全くアウトプットに差が出る可能性があるんですよね。

ぼくの個人的なイメージは、別に興味がないことや本心からいいなとは思ってないことでも、100%の力は出すし出すようにプロとして努めるのですが、120%とか150%とかの力は出にくいなーという感覚です。

だからぼくも、「自分が心のそこから本心で聞きたいことを聞く」ことを大事にしてます。

そのうえで、ようやく「インタビューとは殺し合いであり、共犯関係を結ぶ行為でもある」の前半の「殺し合い」について触れていこうと思います。

先ほど、「相手のコアな部分を引き出すことが大事」を前提に、そのためには相手から信頼してもらうことが大事だという話を書きました。

そして、信頼してもらうためには、相手の話を解像度高く理解することが大事で、そういう意味で、編集者は成功も失敗も、ありとあらゆる経験に意味があるという話も書きました。

これって、逆に言うと、話し手の方に「あ、こいつは俺の話を本気で聞く気がねえんだな」とか、「全然私の話を理解してくれてないじゃん」とかって思われた瞬間に、終わるということです。

言い換えると、インタビューって、「舐めるか舐められるか」という意味で、「人の器としてのぶつかり合い」だなと思っています。

その意味を込めて、ぼくはインタビューは「殺し合い」だなと定義しています。

もう一度断っておくと、とは言えもう一回り大きな枠組みのところでは「共犯関係」なので、最終的なメッセージやコンテンツをより良い最高なものにするための仲間です。

ただ、仲間として信頼できるかどうかの観点としても、入り口はやっぱり「殺し合い」なんですよね。

それで、ここからは最近ぼくが考えているめちゃくちゃ個人的話になってしまうのですが、「リスクヘッジって、結局はリスクヘッジしてるってことなんだよなー」ということを、最近思っています。

最高にトートロジーですみません。

なんかの戦略とか作戦とかを考える時に、「それよりもこっちのやり方の方がリスクヘッジじゃない?」みたいな言い方をすることありますよね。

例えばわかりやすいのが投資ですけど、1社に100万円投資するよりも、5社に20万円ずつ投資する方が、仮に1社が失敗した場合でも他の4社のどれかがうまくいけばいいので、5社に投資するほうが、リスクヘッジしていると言えます。

ただ、ぼくはこれまで150本くらいインタビュー記事を書く機会をもらってきたんですけど、そのなかで、「あ、やっぱり挑戦している方、特に起業家や経営者の方が好きだな。そういった人たちの想いを一緒に発信していきたいな」と思ったんですよね。

そう考えた時に、例えば起業家の方へのインタビューの場で、「こいつ肝が座ってるな。ちゃんと自分の話を本気で聞いてくれて理解してくれてるな」と信頼してもらうためには、リスクヘッジしてることって、賢いどこから逆に足かせになってしまう可能性もあるんじゃないかなーと考えています。

起業家の方はもちろん、挑戦している人って、要は「リスクをとって何か新いことや新しい価値を生み出そうとしている」ってことなので。

ただ、ここですごく難しいのが、リスクを取るのはいいんですけど、あまりにもバカなリスクの取り方だと、それは別に挑戦者でもなんでもなくて、どこまで行ってもただのバカなんですよね。

そこの見極めだけは、丁寧にやらないとなーと思っています。

いま頭に描いているフンワリとしたイメージで言うと、本質的なところではリスクを取りつつも、そのリスクを取った先で成し遂げたいことをやり続けるためにも、最低限(社会的にも金銭的にも体力的にも)死なないセーフティネット(=リスクヘッジ)は構築していく必要があります。

ちょっと変な言い方をすると、リスクを取り続けるために、リスクヘッジする感覚。

あと大事なのは、リスクを取ること自体は決して目的化されることはなくて、何かその先でやりたいことや実現したい世界のために、いまのままのスピード感や規模ではダメだから、それを加速させたり大きくしたりするために、リスクを取る。

リスクをとることは、あくまでも手段。

とは言え、理論的には世界一の人以外は全員何かが足りないわけで、全員がリスクを取るべき土俵にはいます。

ということで、相手の本質を引き出すためには、相手からの信頼関係が大事。

そしてそのためには、相手の話をいかに本気で聞いて、いかに解像度の高い理解と質問をするかというお話でした。

これはインタビューとか編集とかだけじゃなくて、仕事やいろんな人間関係の場面でも共通する話かなと思うので、何かこれを読んでくれた方の参考になることがあれば嬉しいです!


最後に、ぼくが最近本気で聞いて本気で書いたインタビュー記事も載せておくので、ご興味ある方はぜひ読んでください!

>「3年後を見とけ。」1度死んだチャットボットに新たな命を吹き込む、下克上社長の野望


このnoteを書いている様子のタイムラプスもあるよ↓



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!!!すこしでも面白いなと思っていただければ「スキ」を押していただけると、よりうれしいです・・・!