みんな「自分のこと」しか考えてない
『チームプレー』や『献身的な態度』について、日本ではよく美談的に取り上げられる。
自分よりも相手、自分よりもチーム、自分よりも組織、自分よりも社会..........などなど。
それ自体は良いことだとは思うけど、そこでぼくがいつも思うのは『自分自身よりも相手やチームや組織や社会を優先することと、その目的が相手〜社会のためであるということは、まったくの別モノだよなあ』ということ。
きょう言いたいことを先に言ってしまえば、『この世の中の人間全員、究極的には自分のことしか考えてないよなあ』ということだ。
だから、さっき例に挙げたものだって、一時的に自分の利益を一旦無視しても、究極的にはその『投資』が実り自分に返ってくると判断して、他者の利益になる行動をとっている。
もっと言ってしまえば、NGOやNPOなどの『ザ・世の中のため』みたいな活動も、究極的には『(世の中が良くなることによる)満足感』みたいなものを欲してやっている。
そういった満足感も、広義での『自分のため』だ。
本当の意味での『自己犠牲』なんてものはこの世に存在しないというのが、血も涙もないぼくの持論である。
でもだからってそんな俗世に絶望しているかといったらそんなことはまったくなく、そもそもぼくたちは『にんげんだもの』という感じで諦念している。
それでじゃあなんだという話なのだけど、チームや組織を司る側は、これを踏まえたうえでの制度設計が求められるなということ。
『この組織に属したからには、無条件でこの組織に尽くせ!』はあまりにも虫が良すぎる。
というか、それは無理だ。
だから、『個人としての利益最大化』をそれぞれが行ったときに、ちゃんとそのエネルギーが『組織としての利益最大化』とできる限りマッチするように(たぶん完全にというのは無理。だって構成員はにんげんだもの)、制度設計をする必要がある。
キングダムに『法とは願い』という言葉が出てくるのだけど、その言葉がいまになってジワジワとぼくのなかに染みてきている。
もしくは、ちょっと力ずく、見方を変えればこっちのほうが本質的なのかもしれないけど、単純にそのチームなり組織なりの魅力を高めて、言い方は粗いけど『ここに恩を売っておけばあとあと何かいいことがある、かもしれない』の精神で一時的に優先順位にバグを起こしてもらうやり方もアリ。
このやり方だと、制度設計に関してそこまで気を使う必要はない。
いずれにしろ、『この世の中の人間、究極的には自分のために動く』という前提で物事を進めるのが大事だなという話でした!
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