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クリエイターの宿命

『やりたいこと』と『世間に受け入れられること』のギャップは、特にクリエイターの人にとって永遠のテーマだと思います。

どうにかしてそこの両立みたいなことをして、クリエイターやアーティストの方にフルスイングしてもらえないかなーと考えてるんですが、やっぱりそこは良くも悪くも、割り切るべきなのかなというのを、昨日たまたま観たYouTubeの動画2本から感じました。

観た動画というのは、これら2つ。


>コンテンツを作る人全員に必要な「編集力」とは?「編集者」を定義から見直せ!【ドラゴン桜チャンネル:佐渡島庸平×堀江貴文】


>ホリエモン流のメモの魔力とは?【前田裕二×堀江貴文】


結論から言うと、『クリエイターなりアーティストなりの"やりたいこと" と"世間に受け入れられる"の交差点を見つけて届ける編集者的存在』を、ちゃんと自分の中に飼うか、そういう人についてもらうのうが良いんじゃないか、というのが今日の話です。

まず、上の動画では新海誠さんと川村元気さんの関係について言及されます。

言わずもがな、新海誠さんがクリエイター、川村元気さんが編集者(的存在)ですね。


それで、動画に出てる佐渡島さんが川村さんを褒めるんですが、『「君の名は。」「天気の子」の順番で出したのがスゴイ』という点を褒めていました。

どういことかというと、川村さんと組む前の新海誠さんの映画は、作品の質自体はすごく評価されていて、コアなファンはいたものの大ヒットとまではいってなかったそうです。

なぜなら、新海さんの『やりたいこと』をそのまますると、作品が毎回バッドエンドになるから。

でも、『世間で受け入れられる』ためには、作品は基本的にはハッピーエンドのほうが受けます。

そう言われてみると、『君の名は。』たしかにハッピーエンド、いや、純粋なハッピーエンドかと言われると即答でYesとは言えないですが、少なくとも多くの人にとってはすごいスッキリして、かつキュンとした感じで終わったと思います。

そして、『君の名は。』の大ヒットぶりは、ここで改めて説明するまでもありません。


それから、3年を経た今年、新海さんの新作として『天気の子』が公開されました。

こちらもさすがに『君の名は。』とまではいかないものの、大ヒットを記録しています。


それで、ここからは動画中の佐渡島さんのコメントを聞いたぼくの予測が混じりますが、そもそも新海さんと川村さん(特に川村さん)は、『天気の子』は『君の名は。』ほどヒットさせるつもりはなかったんだと思います。

『天気の子』は、賛否両論分かれるバッドエンドな感じで、明らかに『君の名は。』のときより、新海さんの『やりたいこと』が全面に出た作品でした。

でも、それで良いというのが、新海さんと川村さんの共通認識だったのではないでしょうか。

というかもう、極端に言ってしまえば『この「天気の子」をたくさんの人に観てもらうために、「君の名は。」を作った』と言ってしまっても、いいかもしれません。

さすがに『君の名は。』ほどの歴史的大ヒット作を作った2人の新作となると、みんな観に行きます。

実際、『天気の子』は新海さんの『やりたいこと』がより前面にでた作品ですが、とてもヒットしています。

この『「君の名は。」でヒットさせた次に「天気の子」を作る』という順番こそが、編集者の役割なんだなということを、1本目の動画中で思いました。


それで、まあ2本目の動画でも要点は同じことを言ってるのですが、、、

実は最近、堀江貴文さんの運営するチャンネル『ホリエモンチャンネル』のチャンネル登録者数が、めっちゃ伸びています。

それについて、堀江さんが動画中にて『おれのやりたいことと、世間のホリエモン像が俺に求めていることに大きな乖離がある』という話をしていたのが印象的でした。

伸び始める前のホリエモンチャンネルでは、堀江さんの『やりたいこと』(=注目のスタートアップ経営者や仲の良い友だちなどを呼んで、一緒にメルマガ読者からの質問に答える)というのをやっていました。

しかし最近は、時事ネタの解説を主にしています。


でも、時事ネタの解説動画の再生数は、編集を全くしていないという面では明らかに『手抜き動画』なのに、とっても再生数が伸びています。

世間は、堀江さんがQ&Aに答えたり、最新スタートアップの経営者と話したりするよりも、時事ネタをズバッと斬る姿を求めていたということでしょうか。


あと、堀江さんの出した本のなかで特に売れている『ゼロ』と『多動力』に関して、前者の『ゼロ』は堀江さん的に売れる本を作ることの優先順位が高かったから、自分としてはあまりやりたくない『スーツ着用で表紙撮影』や『手書きでタイトルを書く』などをしたそうです。

後者の『多動力』については、この本の編集者は箕輪さんで、箕輪さんが堀江さんの言った言葉の中から『世間のホリエモン像が求めている言葉』をピックアップして、本として編集したものだと言っていました。


堀江さんはこれらの動画や本について、『「自分のやりたいこと」と「世間が求めていること」のめっちゃ小さい重なってるところをつまみ食いしてる感じ』と表現していました。

だから、別に自分の嫌いなことを世間に受け入れられるために無理やりしてるわけではないそうです。(その過程で部分的に、スーツだったり手書きだったりに遭遇することはあるかもしれませんが)

あと、部分的に『やりたくないことをする』という点では、もしかしたら新海さんも、本当は『君の名は。』をバッドエンドにしたかったのかもしれません。

でもそれ以外の諸々のことを考えて、一旦『君の名は。』はハッピーエンドにするということで作られた、のかもしれません。


ここまで聞くと、結局クリエイター(新海誠さんや堀江さん)のやりたいこを100%全力で表現できているわけではないので、完全な解決策とは言えないかもしれないです。

それでも、現時点での最善の対処法としては、やっぱり『「やりたいこと」と「世間に受けいられること」の重なるところを探す』が良いというのが、ぼくの結論です。

少し悲しい気もしますが、よくよく考えてみたら、でも逆に(全力を出したのに)世の中の大半の人に理解されるクリエイターやアーティストも、それはそれで魅力ないかもって気がしてきました。

独自の感性だったり、世の中の2歩も3歩も先をいく思考力があったりするからこそ、そういった人たちは時代を先導していくことができるわけです。

みんなの先を行ったり、みんなにはない鋭い感覚を持っているからこそ、そこから何か新しいものが生まれます。


そういった意味では、全力を出したら世間に受け入れられずにもがいてるくらいのほうが、ちょうどいいのかもしれません。

ただ、それをそのままだとそういった時代を作るかもしれない宝を埋もれさせてしまうことになるので、そういった天才の『やりたいことや現時点で世に受けいれられる部分』と、『世間の求めていること』を見つけて接続させる役割として、編集者(的存在)が必要なのかなと。


『天才』はぼくがずっと頭の片隅に抱えてるテーマで、多分このとき書いたことと、今日の内容は、またちょっと違うところもあると思うんですが、、


天才とかクリエイティブとかについては奥が深すぎるので、引き続きいろいろ考えていきます!

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