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「想像力」の限界

『経営者視点を持とう!』って、基本的にすごくポジティブな意味で使われます。

そして実際、会社のなかで本当の経営者以外も『経営者視点』を持って働くことは、とても良いことだと思います。

『経営者視点を持つ』という言葉の定義を、ここでは一旦『最適化する対象が自分自身ではなくて会社になり、最適化する時間軸が目先の利益だけではなくて5年後10年後の組織や社会を見据えたものになること』とします。


ただきょうは、『的確な経営者視点を持てるようになりたい』という話と、『どこまで的確な経営者視点を持っても、それは結局視点でしかない』という話をします。


おとといは広報に関するnoteを書いたのですが、

広報や人事などの世間一般的に『バックオフィス(ぼくはこの呼び方があんまり好きではないのですが、便宜上きょうのnoteではバックオフィスと呼びます)』と呼ばれている職種は、特に『その経営者視点は的確か?』という自問自答が大事だなと思います。


というのも、以前誰かのツイートで流れてきてなるほどなと思った内容が、広報や人事って、業務内容上、必然的に経営陣との距離が近くなるし、自分自身で会社についてのプレゼンをする機会も多いので、会社の『ビジョン』や『ミッション』についての理解も深くなりやすいんですね。

それ自体はとても良いのですが、ときどき『経営陣との距離が近い=自分は偉い』という錯覚を起こしたり、『ビジョンやミッションについて理解が深い=自分は偉い』という勘違いをしてしまったりすることがあるから注意という内容のツイートでした。

ちなみに、ぼくもいまのライターという肩書で会社の情報発信に関わっている役割上、経営陣とコミュニケーションを取る機会も多いので、きょうは『自戒の念を込めて』系noteです。


例えばこれがもし営業の人が『経営者視点』を持って働いた場合、仕事への反映のされ方が『目先の数字のために少しダマすようなやり方で受注した。すると全然成果が上がらなくてすぐに解約になった』ではなくて、『自分たちのできること、できないことを正確に伝えたうえで、それでも商談相手の求めているものに120%で応えられそうということで受注する。そして実際に成果を上げて、クライアントからの信頼を得る。そこでクライアントが別の知り合いを紹介してくれて、口コミからのインバウンド受注につながった』みたいな感じになることもあると思います。

しかし広報や人事の場合、経営者視点を持ってする仕事の内容が本当に経営者のような業務なので(社長自ら広報や採用にコミットしている会社は多い)、会社員としてその業務を行っていても、ついつい『錯覚』が起きてしまいやすいのです。

1つ目の『的確な経営者視点を持つ』という話に関しては、言葉にするのが少し難しいのですが、あえて言葉を選ばずに言うなら『広報』はあくまでも『経営者』ではなくて『広報』だし、『人事』はあくまでも『経営者』ではなくて『人事』だよなということです。


2つ目は『どこまで的確な経営者視点を持っても、それは結局視点でしかない』という話。

ぼく、去年の休学時代には、取材相手が社長に特化したメディアでインターンをさせてもらっていたり、いま内定先のwevnal(ウェブナル)の代表のゴーストライターをさせてもらっていたりと、これまで数十人の社長の話を聞かせてもらってきました。

そのなかで一番思ったのが、『やっぱり社長には社長にしか分からないプレッシャーや大変さがあるのだろうなあ』ということ。

結局、会社員であるぼくがどこまで経営者の視点で物事を考えても、それは『視点』でしかありません。

実際に会社が進む方向を決断するのは社長だし、潰れたときに責任を取るのは社長です。


たまに弊社の代表がゴーストライティングのインタビューをさせてもらっているときに、苦労したことや現在進行系でしていることなどをポロッと漏らしてくれることがあるのですが、

そういうのを聞いていると、別に悪い意味ではなく『ああ、会社の社長は、最終的には孤独なのかもしれないなあ』と想像することがあります。


だから、ぼく含めた会社員がどこまで経営者視点を持とうが、それは視点でしかないという気持ちの線引は、大事だなと思います。

これは悪いことではなくて、むしろ良いことだとで、その線引は経営者へのリスペクトにつながります。


ということで、きょうは『的確な経営者視点を持てるようになりたい』という話と、『どこまで的確な経営者視点を持っても、それは結局視点でしかない』という話でした。

たかが視点、されど視点の精神。

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