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ぼくは「誰を」応援したいのか?

『ぼくはもがいてる人を応援したいんだよね〜』

このまえ、友人とお互いのやりたいことについて話していて、ぼくが先日のnoteで書いたように『みんなが好きなように生きて回る社会を作りたい』と言ったところ、冒頭の返事が返ってきました。

彼はその言葉に続けて『例えば家で一日中グータラしてる人と、なにか目標に向かって努力してる人だったら、おれは努力してる人たちを応援したい』とも言いました。

それは確かにそうだな〜と思いつつ、でもぼくの思い描く像と完全にマッチするわけでもなくて、どこにその違和感があるんだろうな〜と考えていたら、ひとつは『優先順位』だなと。

ぼくは『世の中に”グータラ”と”もがいている人”の2人がいて、自分がもしどっちか1人しか応援できないってなったら、間違いなく後者を選ぶ。けど、世の中そういう人ばっかりじゃないからなあ。』と言いました。

自分で話しながら、というか世の中の大半の人は両者のグラデーションのなかにあって(ぼくもそのひとり)、且つ仮にどっちかの二択だ!って言われたら、前者のほうが圧倒的多数になるんじゃないかなとも思いました。

SNSを見ていると、この世界の人たちは全員それぞれの目標をもっていて、その実現に向かって日々邁進しているかのような錯覚に陥りますが、その光景は世全体から見るとめちゃくちゃマイノリティです。

仮に世の大半が『グータラ』であると定義するなばら、マジョリティを切り捨てる社会はあんまり優しくないよなあと。

それに、華金にたらふくお酒を飲んでしゃべって、翌日ちょっとした頭痛とともに迎える昼過ぎの土曜日や、Uber EatsとNetflixだけで過ぎ去った1日なんかが『人生の豊かさ』みたいなところもあったりするので、そもそも『グータラ』自体を否定したくないなという思いもあります。

そういった理由もあって、ぼくは『”みんなが”好きなように生きて回る社会』なんだろうなあと。

そうやってお互いに壁打ちをしてされてを繰り返すなかで、ぼくがいま掲げている『メディアの持続可能なビジネスモデル』も、文言の再考が必要だと気づきました。

再考というよりは、追加ですかね。

『メディアの持続可能なビジネスモデル』だと、たぶんもがいている人しか範疇に含まれません。

グータラに関してはマネタイズとかっていうよりも、単純にその人たちの『人生の幸福度』が上がるような仕組みを作っていきたいなと。

そのあたりを、今後もう少し言語化していきます。

ぼくがやりたいのは、もがいてる人の持続可能なビジネスモデルと、グータラの人生幸福度が高まるような社会を作ること。

でも優先順位は前者のほうが高いので、そのためにもまずはぼくがひとつの持続性あるメディアのロールモデルになって、それを横展開してっていう、この前のnoteの話ともやっとつながってきました...!

マシンガンのようにお互いの言葉を撃ち合った時間を経て、自分のやりたいことの洗練度合いが上がりました。

ありがとー!


▼『メディアのマネタイズ』についてはずっと考えてて、こっちのnoteでも書いてるので興味ある方はぜひ読んでください!


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