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「情報」は効率よく伝えればいいってものでもない

『大乱闘スマッシュブラザーズ』ってゲーム、みなさんはやったことありますか?

大人気のソフトなので、機種はなんであれ、ほとんどの人が1回はやったことがあると思います。

それで、いまはSwitch(スイッチ)が最新の機種なんですけど、今回もまためちゃくちゃ面白い。

ヒマなときに、ちょこちょこやってます。

ただ、実はぼくが使ってるSwitchの所持者はで、いつもリビングに放置されてるので勝手に借りてました。

タダで遊べてラッキーだな〜と思いつつ、昨日もいざやろうとしたところ、どれだけ探してもSwitchが見当たりません。

姉に『Switchは?』と聞いたら、『彼氏に貸した』とのこと。

おいマジかよー!と思ったんですが、よくよく考えたらぼくのモノじゃなかった...

ただ、1回沸いてきた『スマブラ欲』をどうしても抑えきれなくて、タンスの奥にしまってあったWii(ウィー)を引っ張り出してきました。

そして、これで我慢するか...と思って久しぶりにWiiの大乱闘をやってみたら、、、

映像のクリア加減や動きのなめらかさが、ぜんぜん違う!!!

キャラクターの動くスピードが、Switchでは格段に上がってることに気がついたのです。。。


ぼくたちの要求する「情報圧縮度」が上がっている

とっても前置きが長くなりましたが、今日は別に大乱闘の話をしたいわけじゃくて、ここからは真面目に『メディアと情報圧縮度』について書きます。

ただ今日のテーマに関しては、ぼくのなかでまだ一定の結論すら出てないので、『こんなことを思った』っていう問いのメモくらいのスタンスです。

それで、最初の大乱闘の話に戻すと、これ絶対64とかゲームキューブのときは、Wii以上に画面も粗いし、動きも遅いはずです。

つまり、年を経るごとにスマブラの『情報圧縮度』が大きくなっているということ。

情報圧縮度というのは、ある一定の時間内や面積のなかに、どれだけたくさんの情報が詰め込まれているかの度合いを指します。

それで、この『情報圧縮度の高度化』っていう現象は、単純にそれに耐えうる技術の進歩っていう外的要因もあるんでしょうけど、それと並行して『プレイヤー(ユーザー)が求める情報圧縮度が高まっている』っていうのもあると思います。


TVよりもYouTubeのほうが「情報圧縮度」は高い

『ユーザーが求める情報圧縮度が高くなっている』っていうのは、『ユーザーが待てなくなっている』とも言い換えられます。

もっと早く、もっと多くの情報が欲しい。

だから大乱闘においては、よりリアルな描写に近づけて、動くスピードも上がっています。

そして、『ユーザーが待てなくなっている』ことのより顕著な現象として言われるのは『TVとYouTubeの編集方法の違い』です。

YouTubeでは、とにかくテンポが速い。

『え~』とか『あ~』とかは、オールカット。

そうして、数十分かけて撮影した動画を、数分という短い時間へと編集していくなかで、『情報圧縮度』を高めていくのです。


能動的か受動的か、メッセージを求めるか否か

それで今日の問いとしては、最新ゲーム機器といいYouTubeといい『情報圧縮度が高いこと』はいまの時代において圧倒的な善として語られることが多いんですが、果たして本当にそうなのだろうか?ということです。

そして、ぼくの現時点での仮説としては『情報圧縮度が高いこと』の善悪を語るためには『その情報を能動的・受動的どちらの態度で接触しているか』『その情報にメッセージを求めているのか否か』の、2つの変数に注意する必要があるなと思ってます。

もっと具体的に言うと、まず接触態度に関しては『その情報へ能動的に接触しているなら、情報圧縮度は高いほうがいい』『受動的に接触しているなら、情報圧縮度は低いほうがいい』です。

次に、メッセージを求めているか否かに関しては『その情報にメッセージを求めているなら、情報圧縮度は高いほうがいいけど、絶対的な情報量は少ないほうがいい』です。

(絶対的な情報量は、圧縮した結果どれだけの情報が伝わるかという問題で、①動画・映像②写真・画像③テキストの順に多いです)


情報量が少ないテキストならではの強み

例えば、今日の最初に出てきた『ゲーム』。

ゲームは能動的に接触しますが、別になんらかのメッセージを求めているわけではありません。(楽しかったらOK!)

なので、情報圧縮度は高いほうがいいし、絶対的な情報量が多くなっても大丈夫です。

だからぼくは、Switchのビジュアルの美しさや動きのなめらかさを大歓迎しています。

YouTubeは今日一番話したいことなので、最後にします。

その前に、もう少しイメージがつきやすいよう『新聞を読むこと』を考えてみます。

動画と違って、テキストに接触する際はほぼ無条件で、態度は能動的です。

動画・映像は受動的でも勝手にコンテンツが進行することがありますが、テキストは基本的に、自分で読み進めていく必要があるからです。

態度が能動的なので、情報圧縮度は高いほうがいいです。

次に『新聞を読むこと』が『ゲーム』と違う点は、その情報から『メッセージを求めていること』です。

言い換えると『要は何が言いたいの?』を、常に喉の奥で待機させている状態ですね。

このときは、情報圧縮度は高く、情報量は少ないほうがいいです。

『言いたいことを端的に教えて!』の世界です。

そういう意味では、『メッセージ』を欲して能動的に情報へ接触する時は、動画全盛の現代においても『テキスト』の強みはあります。


YouTubeは「日常生活」に組み込まれた

最後、YouTubeです。

そして、今日の仮説に絡めてぼくがいま思ってるのは、『YouTuberの動画は、そこまで情報圧縮度を高めてなくもいいんじゃないか?』ということです。

いま、YouTuberさんたちの情報圧縮度が高い編集方法が『これがいまの若い子たちにはウケている!TVみたいなノロマな編集方法はオワコンだ!』なんて聞くんこともあるんですが、YouTubeで情報圧縮度を高めれば高めるほどウケた時代は、もうそろそろ終わるんじゃないかと最近うっすら思うことがあります。


理由は、『YouTuberが日常になったから』です。

3年くらい前の、まだYouTuberという存在が珍しかった当時は、彼ら彼女らの動画を見るという行為は、『非日常』でした。

つまり、『よし!今日もはじめしゃちょーの動画を見るぞ!』と、能動的に接触していわけです。

だから当時は、どんどんカットして情報圧縮度を高めるやり方は正解でした。

でもいまは、YouTuberという職業も受け入れられてきて、ぼくたち視聴者側もお気に入りのYouTuberができてきて、彼ら彼女らの動画を見ることは『日常』になりました。

その際のスタンスとしては『ああ、今日も東海オンエアの動画が更新されてるなー。寝る前にポチっ』って感じです。

これはかなり、『受動的』に近い行為です。

ご飯を食べることとか、風呂を入ることに対して、そんなに気合いれてる人はいませんよね。

『YouTubeを見る』という行為も、人によってはそれと同じくらいの位置づけになってきたということです。

そうなると、あまりにも動画内の情報圧縮度を上げられて、どんどん次の展開に進まれても、見てる側は疲れてしまいます。

おいおい、こっちはボーッとあんまり頭を使わずに見たいんだよと。

だからぼくは、ここまでYouTuberが世間に浸透して、且つこれからどんどん浸透していくなかで、これ以上情報圧縮度は高めなくていいんじゃないか?とも思ってます。

実際、(ぼくたち視聴者側の意図とは違うかもしれませんが)1本あたりの動画の時間は、ここ1~2年で確実に長くなってます。

3~5年前は『いかに3分以内に詰め込むか』が勝負だったのに、最近では1本の動画の尺が10分や20分のものも珍しくありません。

ぼくの仮説があたってれば、この1本あたりの動画時間の伸びは、YouTuber側が視聴者側の態度の変化に対応した結果なんじゃないかと思ってます。


大事なのは「使い分け」

今日は、ぼくのメモ書きみたいなもので、ビシッとした結論とかは全然ないんですが、ひとつ言えるのは『メディア選択と情報圧縮度、情報量の調整は、受け手側の態度と目的に合わせていこう!』ということです。

ここらへんの『メディアと圧縮度』の話について、ドワンゴ川上さんの書いたコンテンツの秘密 ぼくがジブリで考えたことという本を今日から読み始めたので、読み終わったタイミングでまた整理したいと思います!


▼『メディアと情報量』の話は、必然的に『言葉の可能性』みたいなところともつながってきて、ここらへんはぼくがずっと考えていきたいテーマでもあります。



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