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ぼくたちは意外と「働いていない」

テレワークへ移行する企業が増えたとき、人事評価に関してよく言われたのは「仕事の過程が見えなくなるから、これまで以上に結果が重要になる」という話でした。

「日本 or 海外」みたいな商習慣で語られるとき、日本は「結果が出たかどうか」よりも、「どれくらい頑張ったのか?」という過程が問われるということですね。


とはいえ、基本的にビジネスにおいて大事なのは「結果」だと思うので、「過程よりも結果」的な価値観が浸透するのは、本来あるべき姿だよな〜と思います。

その一方で、ぼくのTwitterのタイムラインにたまに流れてきていたのは、「在宅勤務のなかでもいかに過程を可視化するか」という思想に基づいた、監視カメラ的なシステムでした。

各企業、多少の制度の違いはあれど、その根底にあるのは「見張られているという環境を用意すれば、従業員は業務時間中ずっと働くだろう」という考えだと思います。


きょうの話について、このタイミングで結論を書いてしまうと、ぼくがリモートワークを1ヶ月ほどしてみて感じたのは、勤務時間のなかで、ぼく含めた世間一般的に言われている「働いている時間(=椅子に座って、真面目にパチパチキーボードを打っている時間)」って、思ったより短いなということです。


ちょっと上に書いた、企業の監視システム的なものって、逆に言うと「オフィスに出勤しているときはちゃんと仕事をしている」っていう前提の発想だと思うんですけど、ぼくたちって別に、出社しているしていないにかかわらず、実はそこまで(PCの画面に向かってパチパチという意味での)働いている時間は、長くはないのではないでしょうか。


上のことについて、最近ボヤ〜と考えていたとき、ふと2年前くらいに公開された、糸井重里さんと佐々木俊尚さんの対談を思い出しました。


2年前くらいに読んで、いまでも覚えているので、よっぽど印象に残っていたのだと思いますが、特に覚えていたのは、糸井さんの「1日の仕事の時間というのは、本気でやったら3~4時間以上はできないと思います。」という言葉です。

この一文だけだと、ちょっとニュアンスが伝わりづらいので、もう少し後ろの文も引用します。

糸井
(中略)でも実際、1日の仕事の時間というのは、
本気でやったら
3~4時間以上はできないと思います。

佐々木
ああ、そうですね。
ぼくは書く仕事を中心にしているんですけど、
1日中机に向かっていると言っても、
本当にキーボードを叩いているのは、
おっしゃるとおりで3~4時間。
それ以上は集中力が続かないです。

糸井
そうだと思いますね。
真剣な3~4時間を確保するために、
あと3~4時間があるみたいな。
同時に、同じ人間の脳が、
ずっとアウトプットしているわけじゃないし、
インプットするための時間というのも必要ですよね。
その意味では、たとえば尊敬できる
気の置けない友だちとしゃべっている間は、
生産量はないけれど、
ものすごくインプットしています。


例えば、仮にオフィスに出社していたとして、勤怠記録上は8時間「働いていた」ことになっていたとしても、会議室とデスクの間を移動したり、同僚の人たちとちょっとした雑談をしたりといった「働いていない時間」って、一つひとつの時間は小さくても、積み重ねていけば、そこそこ大きな時間になるでしょう。

じゃあ、実際のところ、出社しているとか在宅とかは一旦置いておいて、ぼくたちは意外と「働いていないのではないか」っていう結論は、半分正解で半分間違いだと思います。


というのも、ぼくは糸井さんが記事中で言っていて、このnoteでも引用した「真剣な3~4時間を確保するために、あとの3~4時間がある」っていう考え方が、ものすごくわかる気がしていて。


PCに向かって集中している3~4時間を、1日のなかでもうワンセット繰り返せば、生産性は倍じゃんって、理屈ではそうなんですけど、実際にはそう簡単な話でもないんだよな〜というのが、ぼくの個人的な感覚です。

いわゆる「働いていない」もう3~4時間があるからこそ、「働いている」3~4時間がはかどるというか、「働いている」時間と「働いていない」時間がセットで、働いている時間なんですよね〜。


それに、糸井さんもチラッと言っているように、「働いていない」3~4時間も、別に単に休んでいるっていうわけではなくて(休むことは、それはそれでまた大切ですが)、例えば会議室とデスクを移動している間に、会議モードと(デスクでの)作業モードの気持ちを切り替えたり、同僚とちょっとした雑談をしているときに、ちょっとしたアイデアが浮かぶことだってあるかもしれません。

移動時間もちょっとした雑談も、「働いている」3~4時間で最大限のアウトプットをするための、大事な黒子なんですよね。

そういう意味で「働いている」3~4時間を1日のなかで倍すれば、そのままアウトプットの量も2倍じゃんという話は、少し雑だな〜と感じることもあります。


リモートオフィスでの働き方になって、「会議と会議の間の時間が無くなったから、1日10アポ入れられるようになった!」とか、「通勤の時間が無くなってその分業務に当てられるようになった!」とかって声をよく聞きますが、そもそもぼくたちの時間や持続できる集中力などは(ある程度)決まっているわけで、環境が変わったところで、そんな急に潜在能力が開花するみたいな話はそんなにないのです。

であれば、「会議室とデスクの間の移動」とか「通勤」とか、一見「効率化」したように見えますが(というか実際に効率化されていると思うのですが)、言ってしまえば、それと引き換えに絶対に「失っているもの」もあるはず。


だからまあ、ちょっと話があっちに行ったりこっちに行ったりしてしまった感もあるのですが、きょうのnoteで一番言いたかったのは、「意外と画面に向かって集中している時間は短いけど、集中していない時間も含めて仕事なんだよ。それも大事な時間なんじゃないかな〜」ということです。

あと、いま、いろんなものが高速で合理化の方向へ進んでいっていますが、効率化すべきところ、すべきものと、非合理、非論理的だからこそ大事なものもあるはずだよな〜ということも、チラッと頭の片隅には置いておきたい。


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