これからの時代に必要なのは、不必要なもの
いまさっき、1ヶ月前に公開されていた、クラシコムさんの短編ドラマ第2話を、ようやく観ることができました。
そのなかで、とある登場人物のお二方が、「あったらうれしいけど、なくても困らないもの」というテーマで、しばらく会話をするシーンがあります。
その際に出てきたが、ツイート中の会話です。
「バレンタインの、1回板チョコを溶かしてから、わざわざ作り直すチョコ。あれ謎行為じゃないですか」
「あれこそが、この世で1番尊いでしょ」
「たしかに。謎で、無駄で、尊い」
一文目のセリフを聞いたとき、思わず失笑してしまったのですが、よくよく考えてみると、あの「板チョコを溶かしてもう一度固める」行為こそが、これからの時代において大事だなと、思い出しました。
まず、ぼくは前から思ってたんですが、あの「板チョコを溶かしてもう一度固める」行為って、めちゃくちゃ謎行為ですよね?(男諸君味方についてくれー!)
溶かしたものを、別の形態に作り変えるならまだわかるのですが、もう一回同じ固さにするって、二度手間も甚だしいですよね?(男諸君味方につ以下省略)
でも、その行為が無駄であればあるほど、これからの時代は尊いよなーと、以前読んだ糸井さんの本に書いてあったことを、思い出しました。
つまり、じぶんにとって「必要な」ことは、みんなやるんです。
たとえば、ご飯を食べるとか、寝るかとか、トイレに行くとか。
でもあとの時間、つまり「不必要な」ところにこそ、楽しみであったり、そのひとそれぞれの好みがでるから、尊いのです。
これからの時代、AIがいろんなところに入り込んできて、これまでの人間の仕事を代替してくれるようになり、ベーシックインカムも導入されて、どんどんと人間は「余暇」が増えていくと言われています。
つまり、その「余暇」の時間をいかに楽しく過ごすかが、人間の幸福度を高めます。
そんなときに、大事になってくるのが「無駄な」ことをする力です。
冒頭の話にもどれば、板チョコを溶かしてもう一度固める行為なんて、言ってしまえば無駄の極みなわけです。
でもなんでそんな無駄をするかといえば、そのチョコを届けたいという「想い」があるからです。もしかしたら、一緒にチョコ作りをする友だちとの「楽しみ」、という側面もあるかもしれません。
いずれにしろ、不必要なものだからこそ、そのチョコを作るという行為自体が届けたいその人の「想い」であったり、一緒につくる友だちとの「楽しみ」という、非常に尊いものへと直結するわけです。
あえてトリッキーな言い方をすれば、これからの時代に必要なのは、不必要なもの、ということです。
板チョコを溶かす行為は、ものすごく無駄で、ものすごく尊い。
▼ドラマはこちら
★ぼくが以前クラシコムさんについて書いたnoteです
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