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「『教える』という経験は『教え方を学ぶ』ということ」しかし、経験と同じくらい知識も大事

遺伝的な疾患や虐待等の不適切な養育がなければ、ほとんどの子どもは母語を完璧にマスターします。

当たり前のようですが、よく考えると、これはとても不思議なことです。
なぜならば、母語の場合、子どもに言葉を教えるのは、言葉の教え方を学んだことがない『教育の素人』がほとんどだからです。

ある言語のネイティブスピーカーであったとしても、その言語の先生になって、その言語を母語としない方をネイティブ並みに育て上げるようと思ったら、教え方についてかなり真剣に学ばなければなりません。

それなのに、なぜ母語の学習においては、教える側にそういった訓練が必要ないのでしょうか?
(もちろん言葉を覚える時期も影響を与えますが、ここでは教え方のみに焦点を当てて考えます)

この謎の解答の一つに『どのように教えたら理解しやすく、記憶しやすいか』を、子どもが周りの大人達に無意識的に教えているという説があります。

例えば、0歳から1歳くらいまでの赤ちゃんの言語における発達課題は『母語で使う音を理解し、それらの聞き取りと発音ができるようになること』『単語や文の切れ目を理解し、周りの大人の音声の連なりから、意味のあるまとまりを見つけること』ですが、周りの大人達は、この課題に最適な語りかけ方(Infant directed speech)を、赤ちゃんの反応から学びます。

具体的には、大人達は赤ちゃんとコミュニケーションを重ねるうちに『やや高めの声で、抑揚を大きくつけ、繰り返しの音(わんわん、にゃんにゃん)を多用し、目の前にあるものについて話し、語尾は上げるか下げるかして強調する』というこの時期の学習教材として最適な話しかけ方をすると、赤ちゃんが喜ぶということを経験し、そのような話しかけ方をするようになります。

この後の、一語文、二語文によって、単語やその組み合わせで何かを表現したり伝えたりできるということを学ぶ時期、語彙が増えるナニナニ期、文法や論理性が学ばれるナゼナゼ期においても同様に、子ども達は、大人達が、それぞれの時期に最も適した対応をしてくれたとき喜ぶことで、大人達に『その教え方が良い』と教えてくれます。

かくして、言葉を教える訓練を受けたことがない大人達も、だいたい正しい教え方をすることができます。

しかしながら、ここで注意しなくてはならないのは、このように経験によって学ばれることはたくさんあるけれども、知識を学ぶことも大事ということです。

なぜならば、子どもの言語的発達について学んだことがあり、正しい知識や理論を知っていれば、より適切な対応ができたり、『よかれと思ってやっているけど、あまりよろしくない教育方法』の間違いにも気づけたりするからです。

例えば上記の知識があれば『正しい言葉を教えるために赤ちゃん言葉なんか使わない』と言って、大人と同じような話しかけ方を赤ちゃんにしたりする等は、良くないとすぐ分かります。

このことは、上記の例の、母語の学習以外のことにも当てはまります。

教える立場の人間は『教える』ときの相手の反応から『良い教え方』を学びます。しかしながらそういった経験と同じくらい知識も大事なのです。

例えば、『叱る』よりも、自主性を尊重し『ほめる』、あるいは努力や意欲を『認める』ほうが成績は伸びますが、ごく短期的には叱るほうが伸びるようにみえたりしますので、経験だけで教え方を考えると、叱ることを選択しやすくなります(実際には『叱る』ことが多いと成績が低下します)。

しかし、発達心理学を学び

①叱って無理に頑張らせるよりも、客観的に見て良いところや、自主的に頑張っていることを、ほめたり認めたりして、やる気を高めたり信頼関係を築いたりする方が長期的には成績が伸びる。

②またその際、ほめたり認めたりするのは、子どもをコントロールするためではなく、その子が自分でたてた目標に到達するための情報提供であるということを意識する。

③悪いところは、感情的に『叱る』のではなく、信頼関係を築いた上で、理性的に客観的情報として『指摘』し、本人が自主的に改善するのを信じて待つ(必要なら解決の手がかりとなる情報も提供する)、そして改善したら、①②に留意しながら、ほめたり認めたりする。

という関わり方が良いという知識があれば、そういう間違いをせずにすみます。

経験と知識はどちらも同じくらい大事なのです。

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