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2020年を振り返る

2020年もなんとか終わった。
コロナウィルスという人類誰もが経験したことのない未曾有の事態が起こり、世界中が激動した歴史に残る一年だったのではないだろうか。

そんな中でどうにか被害を最小限に食い止めようとしてくれた医療関係者の尽力、研究者や政治家の皆様の活動には頭が下がる。
皆様もお疲れ様でした。

僕はと言うと世の中が慌ただしく動いていても相変わらずに過ごしていたというかピンとこないというか、受動的に振り回されるばかりで何一つ能動的に活動する目処も立たなければ歩き出す指針も見えてこなくて、自分がこの社会のプレイヤーではなくオーディエンスにしかなっていないんだなぁと、一抹の寂しさと無力感を感じたりもしていた。
何もやることないんだよね。出来ることがない。

どれほど世間が慌ただしく動いていても、夜がくれば眠くなるし時間が過ぎれば腹は減る。社会での立ち位置がどうあれ、まずは自分の健康に気をつけて生きていく必要がある。
社会の中ではプレイヤーでなくても僕が僕の体のプレイヤーなのは今までもこれから先も変わらないのだから、自分自身と向き合って自分の意思で動き自分の行動に責任を持つことが大切なんだと改めて思う。

時に疎外感は内面世界に入り込むためのいいきっかけになる。振り返ればいつも自分のことを考えるのは他人と関わる機会が少ない時期だったように思う。
ポジティブに捉えればコロナ禍で自粛が叫ばれた今年は自分を見つめ直す時間が増えて、ある意味実りのある年にできた。

***

2020年を振り返ってみよう。

2019年の暮れに話を貰い、僕は年明け3月16日に日本ランカーとの試合が決まっていた。
なので年末年始も実家に帰らず試合に向けてモチベーションの高いまま新年を迎えたのを憶えている。

2020年の目標はまず日本ランキングに入ること。
3月の試合に勝てればランキングに入り、その後の展望も開ける。ランキングにさえ入れれば年内中の日本タイトル挑戦も見えてくる重要な一戦だ。

2019年は日本ランカーとした試合がドローに終わり、日本ランキング入りを逃している。あと一歩が足りない自分の弱さを痛感した。
もう落とせない。ここで負けたら年齢も年齢だし、今もっとも勢いのある大橋ジムで実績を上げない自分に居場所はない。負けたら終わりだと覚悟して試合に臨むつもりだった。

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僕には心の中で勝手に決めた勝負に挑む癖がある。
当時長く片想いしていた女性がいて、僕は彼女に対して表現者としての自分を見せることで好かれたいと思っていた。
2019年から続く片想いの戦況は既にかなり悪く、なんとかするための一発逆転の大勝負が表現することだった。

僕は紛うことなき社会不適合者だし収入も少ない。まともに定職には就けず、嫌になるとすぐ辞めてしまうかクビになるかだ。そんな人間であると自覚しているから、人並みなところを目指しても最下層の場所にしかいけないとわかっている。
そのくせ我が強く自分を曲げられない性格であるから、それなら開き直って自分の個性を全開にして生きていくしかないと決めている。
だから表現者として、自分が作った作品で惹きつけられなければ負けだという勝負を自分に課して彼女とずっと戦っていた。勝手に。

彼女に自分の感性を見て欲しくて小説を書いたこともある。

今回の試合も、いい勝ち方をして彼女を振り向かせようと目論んでいた。
既に振られていたけれど、ボクシングに興味のある人ではないかもしれないけれど、必死になって戦えば心に響くものを残せるかもしれない。僕が魅了されたように、ボクシングには有無を言わせない魅力があるのだと信じている。
あとは自分が勇気と根性を出して必死に戦うこと、そうすれば彼女の気持ちも変わるはずだ。そう信じて練習に打ち込んでいた。

それでしつこく試合に来て欲しいと頼んでいたのだが、いい返事は返ってこなかった。
勝負の舞台にも立たせてもらえないくらい避けれていたのである(涙)

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それでも試合へのモチベーションは高い。
負けたら終わりの背水の陣を敷いて日本ランキングを奪うつもりで練習に明け暮れた。
ここで勝てば道が開けるかもしれない。自分がボクシングをやってきた証明が欲しかった。

その矢先でのコロナ禍。

年明けから急速に感染拡大したコロナウィルスのニュースは瞬く間に日本全国の様相を変えた。外では誰もがマスクをして薬局からはマスクが消えた。
政府からは自粛要請が出されて不要不急の外出は避けられるようになった。娯楽施設は休業が増え、全国の販売店が時短営業をするようになった。
僕が生きてきた30数年の間に一度もなかった異常事態が世界中で起こっているのだと嫌でも感じるようになった。
連日ニュースではコロナの感染者数が報道され有名人の死亡ニュースが流れては、何かとんでもない事が起きているようだと誰もが危機感を抱いたと思う。

2月26日、コロナ感染拡大に伴う防止対策として日本プロボクシング協会は3月〜5月までの国内全プロボクシング興行を中止すると発表した。

マジかよ……

試合まで1ヶ月を切った段階での開催中止。
その報を受けやり場のない感情だけが残った。

暫くしてコロナ感染拡大により東京や神奈川では緊急事態宣言が発令され所属ジムも閉鎖した。
再開の目処が立たない中でのジム閉鎖は僕のやる気を削いでしまうには十分で、あまり真面目に自主トレもしないでずっと燻っていた。

この先いったい世界はどうなるんだろうか。
不要不急の外出や接触を控えるように連日ニュースで報道され、考えずにはいられない。
ボクシングは不要不急なのだろうか。
表現は、芸術は、エンターテイメントは、必要のないものなのだろうか。

多分、本当に迫られた決断を下すのなら不要不急になるのだろう。娯楽に分類され、なくても我慢すれば滞りなく世の中が機能するからだ。生きる上での最優先事項にはならない。
なんだか自分の仕事が軽んじられてるみたいで虚しさを覚えた。頭では納得もするが心が反発を覚えているようだった。

戦いてえ……
命を懸けた表現をしてみたい。
こんなご時世だからこそ自分が魅了されたボクシングの力で社会に貢献したかった。平時にさえ大した影響を与えない無名ボクサーの身分ではあるが今こそ何かを訴えたかった。
俺は不要不急の存在なんかじゃないと、自分の存在意義を証明したくて爆発しそうだった。

ただ、振り上げた拳の降ろし方もわからずに時だけが過ぎていった。

***

試合があろうがなかろうが、ジムが開いていようがいまいが、自分がボクサーなら自分のやるべきことをやるだけだと頭ではわかる。
多分、本当に強い人は今までと変わらず精力的に鍛錬に励んでいただろう。
ただ僕はそうじゃなかった。反省。

やり場のない焦燥感だけが募り、自分が本当にしたいことはなんなのかをよく考えていた。
自分にはなにができるのだろう。世界はどこへ向かうのだろう。途方もなくちっぽけな自分の無力さが思考の障害となる。

ただボクシングができない中でも仕事は続けていた。犬が好きで働き始めたペットショップも3年になる。
ネットを覗けば生体販売への風当たりは強い。ただ現場ではペットショップを悪く言う人間もほとんどいないので特段考えることもなく、犬との触れ合いに癒されては考えることを忘れて働く日々だった。
※中には生体販売に疑問を呈する声もある。ただわざわざペットショップに入っておきながら買う気もなく店員にそのようなことを言うくらいだから大抵は話を聞くに値しないような人だった。

ボクシングとの距離が少し出来て、人とペットとの共生について考える時間も増えた。
本当に犬が好きなら、今まで見過ごしていた疑問を再度思い起こしてみる必要があると思えた。自分なりにペット産業の仕組みを調べて考察しないといけない。

ペット産業について調べるうちに二階堂ふみさんのインスタに辿りつき、動物愛護法改正案の中にある数値規制の問題を知った。
各種数値規制改正案で出された繁殖や販売における犬猫のケージの広さなどを決める最低限の数値があまりにも狭すぎるのだ。

これは俺も何かしなくちゃ……

すぐさま環境省に数値規制反対のメールを送った。
どうにかしなければ。こんな世の中でいいわけない。しかし自分になにができるのか。
数値規制に反対する人の声をネットで探していく。数値規制に反対するほぼ全ての人はペットショップの存在にも反対しているのだとわかった。
ペットショップは悪なのだろうか。少なくとも公に言えないような真似をしていたら悪だろう。見てきたこと全て書こうと思った。

この記事が原因で僕は上長に呼び出され、ペットショップは退職することになった。
その日何を言われたか、録音しなかったことは今でも悔やまれる。

当時は憤り営利団体の実態に嘆き悲しんだが、今振り返れば辞めるきっかけになって良かったと思う。
スタッフは感じのいい人ばかりで居心地が良く、犬は可愛いくて毎日癒されるし、きっかけがなければきっと僕は辞められなかっただろう。
みんな一生懸命に働いているものだから、疑問を感じながらも黙っていた時もあった。

……まあ結構言ってたけど。
でも言っても相手にされなかったな。企業方針や成果指標に沿わない意見をいくら僕が言ってみても、それが聞き入れられることはないのだと改めて思った。

もう、エゴも信念も誤魔化さない。
僕は僕以外の何者でもないのだ。自分の物語の主人公として、意思なき道は歩まないと決意したい。

「みんな頑張ってるから」そんな理由で自分まで頑張らなくてもいいのだ。人には人の、自分には自分の頑張りどころがある。
人はみんな自分の信じたいものを信じて進むべきなんだと思う。内から湧いた疑問から目を伏せて合わせる必要性はどこにもない。
これは自分のための人生なのだ。

***

仕事を辞めて、ジムが再開して、僕は久しぶりに時間とゆとりができた。
そのあとはまた仕事を探したりFXを始めたり、とんでもない経験もするのだが、なんとか今日も生きている。
(とんでもない経験についてはいずれネタにしたいとは思ってる)

もともと出不精ではあるが、コロナ禍が拍車をかけて毎日家で自粛していた僕は、自分が何を望んでいるのかを真剣に考えていた。
もともと好きな動物や気にしていた環境問題について調べていくうちに動物愛護や環境保護への関心が高まり菜食主義になった。
11月に決まった試合は相手の減量失敗で前日にまたもや中止となった。


色々あったようで何もなかったような1年だ。
でも思うのは、言葉にして羅列できる出来事だけが体験ではないということ。
アラスカにオーロラを見にいくのも素晴らしいけれど、野に咲く花の美しさに感動することだってあるはずだ。富士山で見る初日の出だけが縁起物ではないはずだ。
人の歴史の大半は語られることのない数多くの出来事で作られている。
日常の連続から切り取った瞬間にも価値ある日々は落ちている。自分がどれだけ日々を大切に過ごすかが生きる上で重要なんじゃないか。
コロナは僕にそんな気づきを教えてくれた。

さて、2021年。どんな年になるのだろう。僕は、世界は、どう変わっていくのだろう。
今から結構楽しみにしている自分がいる。もう今年の目標は決めた。それはただ一つ。

自分自身でいること。

自分を取り巻く世界がどう変わろうと、自分はここにいる。ここが世界の中心で、これは自分の物語だ。
ページを開くのはいつだって自分の意思でありたい。

遅れましたが、あけましておめでとうございます。
皆さんにとって良い一年になりますよう心より願っております。

Happy New Year♪

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