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たいせつなことは君が教えてくれた

いまだに思い出すと、悲しさがこみ上げてくる。
写真を見返すと、涙がこぼれ落ちる。

愛犬のクロが亡くなってから一年以上が経つ。
きっと何年経とうと、生涯忘れることはない。
言葉にしてしまえばペットロスというありきたりな表現になってしまうが、愛犬が死んだ日ほど辛くて悲しくて、涙を流した夜はなかった。

***

実家に帰れば、クロちゃんが尻尾を振って喜んで出迎えてくれる日々は永遠に続くものだと思っていた。
ボクシングの試合が終わると毎回実家に帰っていた一番の理由は、クロちゃんに会いたいからだった。
顔をペロペロと舐めるクロちゃんの全力の愛情表現に応えるために、勝って顔に傷を作らず家に帰ることを密かな目標にしていたものだった。

犬の寿命は人間より短いものだと頭では認識していたが、クロちゃんとの付き合いだけは永遠に続く気がしていた。
クロちゃんは自分にとって家族であり、弟であり、友だちであり、最愛の理解者だった。
別れの日がやってくることなんて想像したくもなかった。

***

高校二年の冬だった。
住んでいる集合住宅の決まりが変わり、犬の飼育が認められるようになったのだったと記憶している。
小さい頃から動物が好きで、特に大の犬好きだった僕は何度も親に犬を飼うことを頼んでいたのを憶えている。
それもあり、犬を買いにペットショップに両親と足を運んだ。

犬が好きといっても飼育経験もない僕は犬種や特徴など大してわからず、ただ見た目の好みだけでゲージに並ぶ犬を眺めていた。
その中で、いわゆる売れ残りなのだろうか、一番大きくなっていた耳の垂れた黒い犬が目についた。
大きな瞳でこちらをじっと見ていた。
その優しげな瞳で僕になにかを訴えかけているような気がした。

※といってもそれは大きな勘違いで、ペットショップの犬が初対面の人間に対して訴えかけていることと言えばせいぜい「遊んで〜」とか「ご飯ちょうだい」とかなのだろう。
僕は犬好きが高じて今ペットショップで働いているのだけれど、お客様の中には目が合った犬と特別な縁を感じて買う人も多くいるがそんな光景は店員から言わせて貰えばごくごく日常的な光景で、犬からすれば客はたまたま目に止まった人間の一人に過ぎないだろう。
そんな、言ってしまえば身も蓋もない現象に縁を感じて衝動的に命を買うべきではないことはこの場を借りて言っておきたい。

(ペットショップやペットの売買についての是非はまた、ペット産業について自分なりに調べてから意見を書いてみたい。
意見を口にするときには、働いてみて見えたことや感じたことを素直に、ポジショントークをしないで意見を述べることだけは誓いたいと思う。)

***

目に止まったその犬の犬種はキャバリア・キング・チャールズ・スパニエル。
やけに長くて聞いたことのない名前だった。
後日知ったことだが、なんでもイギリスのチャールズ国王が国務を疎かにするほど溺愛したことからキング・チャールズの名前がついたらしい。
「この子がいい」
僕はそう呟いていた。
店員さんにゲージから出して貰ったその子は、尻尾をブンブンと振って喜んでいた。
一番は子どものためにとの理由で犬を飼うことを承諾してくれた両親も、僕が望むならとその犬に決めてくれた。

黒が基調で白と赤褐色との三色のトライカラーと呼ばれる毛色をしたその子は、程なくして安直にクロと名前が決まった。

(ちなみにこれは九歳頃の写真。
それ以前の写真は手元になかった……)

クロはすぐに我が家に馴染み、かけがえのない家族の一員になった。
食いしん坊で社交的で、何があっても決して怒らない優しい子だった。
クロちゃんが家に来てから、家族の会話も増えたと思う。クロちゃんのように愛に溢れた優しい人になりたいと何度も思ったよ。

本当に、かけがえのない存在だった。

***

僕が強く影響を受けた大好きな本に『星の王子さま』がある。
サン・テグジュペリの書いたフランスの児童書だ。

トライカラーのキャバリアを見ると、大好きで大好きで仕方がない世界一可愛いうちのクロちゃんにそっくりなことが少し嫌だった。
特別な人間になることを夢見て生きてきた僕は、愛犬にも唯一無二の特別な犬であって欲しいという気持ちがあったのかもしれない。

そんな僕の中にあった小さな棘を取り除いてくれたのが星の王子さまだった。
王子さまは自分の星で一輪の美しい花に恋をして、愛情を注いできた。
ある時、その花と仲違いをして地球にやって来た王子さまは、その花の正体は地球にたくさん咲いていたバラの花だと知り、あの美しさが特別じゃないことにショックを受ける。
そんな失意の王子さまに、キツネが言った言葉が僕の胸にずっと残っている。

"きみのバラをかけがえのないものにしたのは、
きみが、バラのために費やした時間だったんだ"

王子さまが恋したバラが、世界で一番美しい花だから特別になったわけじゃない。
王子さまが唯一、恋焦がれて愛情を注いできた花だったから特別なんだと僕は解釈した。

僕はクロちゃんと共に時間を過ごした。たとえクロちゃんのことを他の誰が可愛くないと言おうと全く関係ない。
僕にとってクロちゃんは世界一可愛い特別な子だった。

キツネはさらにこう言った。

"きみは忘れちゃいけない。
きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、
永遠に責任を持つんだ。
きみは、きみのバラに、責任がある……"

***

思い出は永遠に色褪せない。
愛犬が僕に残してくれたものは生涯消えることはないだろう。
もっと優しくしてあげたかったし、もっと遊びたかった。幸せをたくさんくれて感謝しかない。いつ会った日も愛と優しさをくれてありがとう。

なんだか、もっと優しい人になりたくなった。自分に正直に生きていきたくなった。素直で嘘のない人を目指してみたくなった。

こんな自分を受け入れて肯定してくれたクロちゃんを思うと、自分の心に反した生き方はできない気がした。
クロちゃんに恥じない生き方をしないといけない気にさせられた。
それはきっと僕のエゴなのだろうけど、それでもエゴを通したいと思った。

***

世の中はそれを許してくれるばかりではないことくらい大人になればわかる。

社会のルールが自分にとって受け入れられるものとは限らない。
なにか嫌な感じがする。違和感を感じる。そんな時でも自分の意思を持たずに従うほうが利口なことはわかるけれど、心がそれを拒否している。
その心の正体はきっと美意識だ。
世間やコミュニティにとって必要なことでも、それが自分の求めることとは限らない。自分の心や頭では正しいと思えない。
そんな心の中から聞こえる声を無視して感情に蓋をして、美意識の萌芽を摘んでしまうのが社会人になるということなのだろうか。
僕自身が自分を好きになれない生き方をしていると、僕を愛してくれたクロちゃんに申し訳ない気持ちになる。それがたとえエゴでも。

僕の持つルールに沿わない不都合な良心が、いつかどこかで報われる日がくると信じたい。
僕が持ち続けた美意識がもし、自己表現をすることで誰かの心に救いをもたらすことができたなら、全部無駄じゃなかったと証明できる。
クソったれな過去にも花束を渡すことができる。

いつかそんな日が来ないと自分が可哀想だろう。
心の中で声を上げる愛や美意識は、社会に合わせられない人間の不都合な感情というだけではないんだと自分を貫いた先で証明したい。

***

僕は心の中にある愛や優しさや美意識を捨てずに生きている人の味方になりたい。
そのせいで苦労する真っ直ぐな人を愛していたい。
合理性より自分の意思を、利口より愚直を、打算より慈愛を持つ人を愛している。

僕がクロちゃんに何度も救われたように、人の心を救ってくれるのは打算のない愛しかないと信じている。

"とても簡単なことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
いちばんたいせつなことは、目に見えない"

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