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VALE TUDO を読んだ。

VALE TUDOは、生き方だった。

先日読んだドキュメンタリー撮影問答の対談者のなかで「ブラジリアン柔術黒帯の肉体派写真家」という見出しのもとに、明らかに他の対談者とは異なるオーラを放つ丸刈りのイカツイ男性。それが著者の井賀さんだった。

ブラジリアン柔術黒帯で写真家...?武道や格闘技に強く興味を持つ自分、慌てて本書を購入。貪るように読み進めた。文章はもちろん、挿入されているブラジルのお写真も本当に素晴らしく、毎度のように付箋でびっしり埋め尽くしてしまった。

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ブラジルと聞いて何を思い出すだろうか。音楽好きな自分にはボサノヴァの国というイメージが強く、他はアマゾン川、ピラニア、リオのカーニバル。ご多聞にもれず、ごくごく一般的な印象を持つ。

バーリトゥードは、ポルトガル語で「なんでもあり」という意味である。格闘技のそれでは、眼球や金的などの急所攻撃と噛みつき以外はOKというルールのことを「なんでもあり」で、ジャンルとしての名称だ。自分はこの本を読み、ブラジル人の生き方そのものが「なんでもあり」つまり「バーリトゥード」だという解釈をした。

「なんでもあり」と聞くと、彼らの生活が無秩序で適当だというイメージをもつかもしれない。ブラジルは一部の地域をのぞいて未だに治安が悪く、ファヴェーラというスラム街にはギャングが跋扈し犯罪の巣窟になっている。

経済的にも豊かとはいえない人が多い国でも、ブラジル人=陽気な人という印象が強いのは、彼らが毎日の生活を噛み締め、生を実感しながら生きているからだろう。今日という日が素晴らしければ、それで良い。

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明日、何が起こるか誰にもわからない。明日、起こることは誰も操作できない。対応できないことを案じるのではなく、今、目の前で起きていることに一所懸命になる。そのためにはなんでもする。枠にとらわれない。だから「なんでもあり(バーリトゥード)」なのだろう。

日本の「禅の思想」も今起きていること、それは自分自身の呼吸にたいする意識や集中であるし、我らの角幡唯介さんが伝えてくれたイヌイットの「ナルホイヤ」も非常に近い。

ナルホイヤの何が深いのか。というと、それは、今目の前の現実にたいして没入するという態度を保持しているところである。さらにいえばそれを徹底的に肯定しているところである。(中略)私が近年つよく感じるのは、未来予期でリスクを排除し、あらゆることを事前に計画していては生の躍動を得られないのではないか。ということである。生きていることを感じさせるダイナミズム、それは<今目の前>の場当たり的で偶発的な出来事を身にさらし、そこから開闢する新しい可能性におのれの身を、運命を投げ入れることでしか得られないのではないか。

狩りの思考法 / 角幡唯介

イヌイットやブラジルの人々が、「今に集中する生き方」を意識しているとは思えないが、結果的にそのような生き方が彼らの文化として定着されており、我々(ここでは自分が属する日本人をいう)がその価値や意義に遅まきながら気づいたということだ。

北極のイヌイットと、南のブラジルで、通底する生き方がある。これはスローライフといったコマーシャリズムにまみれた怪しい惹句などではなく、根本的に我々が目指す、いや取り戻すべき生き方なのかもしれない。

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井賀さん、素晴らしい作品を本当にありがとうございます。今、「すべての山を登れ」を読んでいます。


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読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。