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WIREDは読んだ方がいい。

平日は8時ないし9時始業なので、始業前に2,000文字を綴る作業を充てるのは難しい。この数日、毎日noteを更新しているけれど2,000文字弱を仕上げるには30分ほど。少し早く起きれば物量的には容易い範疇だが、いかんせん起き抜けには不向き。情報鮮度も踏まえて、その日の終わりがけのタイミングで着手するのがネタにも困らないというもの。さて標題の件、聞いたことはあるかもしれないが読んだことはないという人も多いだろうWIREDという雑誌。自分も存在は知り得ていたが、当時従事していた業界とは縁遠く、なんとなくオタクチックな人が読むモノだと思っていた。

数年前に転職をした現在所属する会社が、テクノロジーを駆使した業務にチャレンジしていることもあいまって、手にする機会も増えてはいたがザッと目を通す程度で熟読には至らなかった。不思議なものでWIREDと創刊編集長のケヴィンケリーに傾倒したのは、テクノロジーとは真逆に位置するであろう、極地探検家の角幡唯介氏の記事を目にしてからだった。ここnoteで徒に写真やURLのリンクを貼り付けると執筆鍛錬を誤魔化しているようなので憚られるが、今回はそうは言っていられないので貼る。

ここで具に内容を書き記すといわゆるネタバレにもなるし、できれば全文を読んでもらいたいので省略してしまうが、端的に評すると、極地探検家という一見するとアナログの代名詞のような存在の彼が、WIREDの創刊編集長に対してアンチテーゼを投げかけていることだ。私が鼻息を荒くして強調したい部分がいったいどこであるか?については是非ともリンク先を精読していただきたい。この記事で私はさらに角幡唯介氏に傾倒すると同時に、ケヴィンケリーと、彼が携わったWIREDという媒体に強く興味を示す。

WIREDはいわゆる季刊誌で、厳密に発行日は決まっていなかったように思う。頻繁に地元のリブロをパトロールするも、予告されていた発売日に店頭に並んでいたことはほとんどなく、忘れたころに在庫されているという不思議な存在。これはリブロの仕入れに問題があると思うのだが。

余談はさておき、とにかくコンテンツが素晴らしい。the north faceやRENAULTが広告主として長らくその場を譲らないのは、その媒体のステータスを体現しているのだろう。つまりセンスが良いのだ。

読み手の様々なコンデイションにも左右されるのだろうが、とにかくテクノロジーや文化、アートなどの先進的な話題をバランスよく構成しており、非常に読みやすい。そして押し付けがましなく、読み手の解釈に委ねる余白もきちんと残している。書籍のメリットとして、読む度に新鮮な発見がもたらされる再読のメリットは周知の事実だが、それを雑誌で実現させていることに2度驚く。つまり情報鮮度がウリであるはずの雑誌において、いつ読んでも色あせないという企画構成と着眼点が実に素晴らしいと毎度感嘆してしまうのである。編集部に直接尋ねたことはもちろんないのだが、読み手のテンションを決して落とさず、疲れてきたかもという絶妙なタイミングで話題が帰結する。どこかで体験したことがあるような、いわゆるデジャヴを感じる。それはまるでウェブ記事をストレスなくスマホで閲覧している環境に極めて近似しているのだった。紙媒体とデジタル媒体。鶏が先か卵が先か。流石のひとこと。

ケヴィンケリー繋がりで是非紹介したいのは、昨日にようやく読み終えた、インターネットの次に来るもの。これは彼が著し名作と評されたテクニウムを遥かに上回る名著だと思う。上梓されたのが2016年と4年前でありながらも、すでに2020年よりも遥か先を見据えた予言書のような内容。現代のノストラダムスなのではないだろうかと思うほど。しかし彼はテクノロジー一辺倒というわけではなく、前著テクニウムの中でも紹介されていた通りにアーミッシュの生活に密着し、いわゆる人間の原始に近いといわれる生活や文化を体験し検証している。デスクトップのデータだけで物事を考察していないということだ。

そういった意味では、極地探検家の角幡唯介氏が追究しているテーマに通底するものがあるという事実にも、なんら違和感はないのだと思う。何が言いたいかと言うと、WIREDとspectatorを読んでいる人がいらしたらお便りをお待ちしております。



読書好きが高じて書くことも好きになりました。Instagramのアカウントは、kentaro7826 です。引き続きよろしくお願い申し上げます。