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僕は息子に何が残せるんだろう?

僕には今日で6歳になる息子がいる。

6年前、順調に予定日に向かっていた時、土曜日に会社に行っていた僕に電話が入った。「帝王切開で今日産んじゃう」と、先生の話だと心音が聞こえなくなることがあり、予定日は次の日だったが、出しちゃおうと。

病院に向かっている千代田線の中で、病院から確認の電話をもらいOKをして、病院に向かう。

そして、着いてすぐに元気に生まれてきた、心音が聞こえなくなったのは、へその緒が絡まっていて、見せてもらったが、確かに危険だったのかもしれない、先生の判断で無事に生まれたことを今でも鮮明に覚えている。

この6年間、息子がいたからいろんな経験を親の方がさせてもらっている。もちろん、これからもそうかもしれない。いやそうだと思う。

息子が出来たからこそ、自分の両親にもようやく本当の意味で感謝ができたのかもしれない。自分が生まれた時、小さかった時、もちろん記憶がないことの方が多いが、育ててくれたことに感謝ができたのは、本当にここ数年の話。

僕の今の考え方の根本を考えると、父親の影響は大きい。親父は全日空で飛行機の整備をしていた。と言っても、高学歴なわけではなかったと思う。うちもそんなに裕福かといえば、どうなんだろう。多分一般的な家庭なんじゃないかと。

ただ、そんな中で、勉強をすることにはいろんな機会を与えてもらったし、読書をするということも、父親の影響かもしれない。多くを教わる中で「なんでそうなるのか」を考えろ。というのをよく言われた。

両親は共に岩手の出身だったので、毎年夏休みはほとんど岩手にいたし、僕は妹が生まれる時には、岩手の祖父母の家にいた。

父親の家は、昔の三陸町で漁師をやっている。母親の方は住田町という少し内陸に入ったところで、金物屋をやったり、米を作ったり、味噌を作ったりと色々とやっていた。

そういう意味では、農業も漁業も近くにあったのかもしれない。小さい頃はなんでじいちゃんは朝4時に田んぼを見に行くんだろうと思っていたし、小さい頃に海に船で連れて行ってもらった時に、その揺れに吐いてしまったのもよく覚えている。どちらかというと、大変なんだなーと思っていた。

ただ、そこで取れる魚、ウニ、ホタテ、米、味噌で作る料理は本当に美味しかった。それを知れたことは本当に良かった。本当に美味しいものっていうのはあるんだなと。

そんなことを小さい頃から経験させてもらったことはとても大きい。反面、僕は千葉のことは住んでいながら、あまり知らなかった。

そして、時を経て、独立し、これから「ちば食べる通信」という生産者さんを取材した情報誌と食材をセットにしてお届けする事業を始める。

創刊に対しての想いなどは、以前にも書いたが、

この間に、多くの方に会いながら感じたことがある。

食を通じて、子供に色々と伝えることができるチャンスだなと。

食べる通信は、ただ、大人が読むだけでなく、お子さんがいるご家庭では、ぜひお子さんに親御さんから話して欲しいですし、ぜひ、生産者さんや食材を知って欲しい、そして機会があればその街に行ってみて欲しい。

僕が岩手で色々と経験して知っていたことは、知らなくても生きていけるが、知ることで「心が豊か」になることだったのではないかと思っている。

千葉のことを、千葉に住んでいる子供たちに小さな頃から知って欲しい。またそこでいろんな経験をして欲しい。そうすることで、千葉への地元愛もそうですし、その経験が、その子の将来に何かしら影響を与えることもあるかも知れない。

イベントやキャンペーンも色々と企画して、そういう機会を増やしたい。農作物を作ることもそうかもしれない、それを誰かのために作ってみたらどうだろう。それがお金に変わることを覚えたらどうだろう。色んなことが考えられる。

企画の詳しいことはもっと詰めて、随時発表したいので、もし一緒にできる方や企業さんがいたらぜひお声がけして欲しいですし、協力して欲しいと思ってます。

僕の仕事が、結果として息子に何か残せることができたならば、こんなに素晴らしいことはない。それがうちの息子だけでなく、多くの子供たちへのいい機会になればいいし、そういうことを沢山の方と繋がってできたらと思うとワクワクする。

そんなことを考えながら、息子の誕生日を迎えます。

親バカですが、ぜひイベントや普段からのSNSでの交流、よければ食べる通信もぜひ読んでいただきながら、素晴らしい生産者さんたちの力を借りながら、また千葉に関わる多くの方と一緒に千葉を盛り上げて、面白いことをしていければと思うので、ぜひ一緒にやりましょう。まずは、一度お会いして話しましょう!

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