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踏み込まないし踏み込ませない自分

昔からそうなんだけど、
僕は親友という親友が1人もいない。
友達はいるにはいると思っているんだけど深い関係の
友達は1人もいないことは間違いない。

いると言ったら浅い関係の友達ばかりで自分から 
どこかに出かけたり遊びに行かない?と誘えるような友達は本当に1人もいない。

だから、
今までずっと誰かしらに誘われないと
どこかへ遊びに出かけたことは無い。

例えば、自分の好きなアーティストのコンサートに
行きたいと思っても誘えるような友達がいないから
1人で行くしかなかったこともある。
それはそれで楽しいから良いんだけどね。

でも、
どかで1人で行くことが寂しかったり、
悲しかったりして、後々大きな波が僕を呑み込んで
しまうような暗い感情に押し潰されそうにもなった。



僕はどこか一歩相手の深い部分に
踏み込むことを恐れている。
それこそが僕に親友がいない理由であることは
明白なこと。

実際、
小学校・中学校の女の子の同級生の子にも
そう言われてしまった事がある。たまに大学の通学の電車の時間が被る日が何度かあった。

そこで自分が親友がいないことをその子に
話してみた。

「俺、親友と呼べるような友達が1人もいなんだ。
何でいないと思う?」
そう唐突に彼女に質問をしてみた。

すると、
「多分だけど、相手の深い部分を知る事が怖くて
懐まで踏み込めないから何じゃないの?後、
ケンスケ自身も深い部分まで踏み込めないように
無意識の内に相手が入り込めないようにして
いるんじゃない?」と言われた。

この心にナイフを突きつけられたような的確な
言葉をかけられて納得する自分と否定したい自分の
2人が脳内で現れたような気持ちになった。

友達の深い分を触れること、
それを聞いて相手はどう思うんだろうか?

もしかしたら聞かれたくないことで知らない内に
相手のことを傷つけたりすることに自分の気遣い
センサーが敏感になっているのかもしれない。

そして、
言いたいことを言えない状況を勝手に作っている
自分をめんどくさい人だとも思う。

でも、
ハッキリ言うのは良くないかもしれないけれど、
人を傷つけずに友達と良い関係を構築することは
無理なことだとは理解はしているつもり。

そう。 
どこまで言っても理解しているつもりで
止まっているんだ。

自分の言葉で相手が傷ついたということが分かれば、自分自身をも傷つけてしまう。

何をやっても、
何を言っても傷ついてしまうくらいなら、
そうなるならもうその『傷』を見て見ぬフリを
してしまえばいいんだと思ってしまった。



言いたい。自分の気持ちを知って欲しい。
もっと素直になって自分心の扉を開けられたら
もっと友達と深い関係を築けるんだろうか?

勝手に自分で自分の心の扉に鎖を巻いて、
固く閉ざしてしまうことで生きづらくさせているのは
自分が臆病者だからなんだろうか?

相手に踏み込まない自分。
相手にも踏み込ませない自分。 

その状況に慣れてしまいその距離感が心地よくて
傷つかないように、傷つけないように生きることの
方が相手に踏み込んで傷つけることや相手に
踏み込ませるよりもラクなことでその状態に
依存してしまっている。

本当にズルい人間だと思う。
深い関係の友達が欲しいと散々言っている割には、
本当はこのラクな関係でも良いやと思いこのままで
良いやとも思っている。

一人でどこかへ行っても楽しいとは思うけど、
やっぱり誰かしらとこの気持ちを共有してみたい。
そんな子供のように我が儘で臆病者な人間から
卒業してしまいたい。全部中途半端だ。

その思いを声には出さないし、
心の奥底に大事な宝物をしまうように
保管しておく。絶対に誰にも見せることはない。


大学の卒業式でもそうだった。
卒挙式が無事に終わり仲の良い10人ぐらいの
友達と夜ご飯を食べに行った。

かけがえのない4年間を過ごした友達と過ごす時間は
やっぱり楽しかったし愛おしい時間なんだと感じた。
授業でふざけた話し、テストで寝坊した子の話し、
みんなで旅行に行った話し。

そんなくだらない話に花を咲かせた。
そんな大切な時間を壊さないように友達の表情や
言葉、行動、仕草を細かく観察している。
こんな時でさえも。

帰る間際、誰かが「社会人になっても集まろうな!」
そう言った。その言葉を聞いて羨ましいと思った。
何でそんな風に素直に言葉に出来るんだろう?

自分だったら絶対に言えない言葉でもあるし、
臆病者の自分なんかが言っても口だけだろうと
思われるだろうし。

自分の心を曝け出せて、逆に相手の心にも
踏み込めるような人じゃないと言葉の説得力が
全くと言って違うモノ。

結局、
自分から「卒業して社会人になってからも遊ぼう」と
伝えることは誰にも出来ず終電に揺られて帰った。

電車の中でそんな社交辞令のような言葉も言えない
自分に嫌気がさしたし、後悔もした。
やっぱり嘘でも良いから伝えたかった。

その嘘がもしかしたら相手にとっては、
嬉しく感じる言葉だったのかもしれない。

それなら自分にも相手にも嘘をついてでも
伝えた方が良かった。自分はこれが好き、
あの人のことが好き、と。

話すことはいくらでもあったはずなのに、
それに対する相手の意見が怖いんだ。
共感されるはずもない、否定されるたらどうしよう?

最後の日でさえ自身の思いさえ言えなくなった僕は、あっという間のうちに孤独になっていた。

そんな孤独に苛まれているときにたまたま。
中学校の同級生からあるメッセージが届いた。
「ケンスケ元気?」という至って普通の質問が来た。

何でこのメッセージが僕に送られてきたんだろう?
そう思って聞いてみた。

すると、
「社会人になってみんなが忙しいから会いたい人に
連絡をしているんだ」そう返事がきた。
この言葉を見て涙が出そうになった。

僕が言えないことをいとも簡単にサラッと
伝えられることに驚いた。

そして、
自分の近い存在の人で僕に会いたいと思ってくれる
人がまさかいるとは思わなかった。

『会いたい』この言葉の力に包み込まれた
僕は思わず自分も「会いたいね」と素直に
その子に伝える事ができた。

会いたいと思ってくれる人は意外と自分の
近くにいて、その思いの強さに圧倒された僕は
その子を含めた他の友達と会うつもりでいる。

実際に会ったときにも、会いたかったと言いたい。
その時には、もう少し相手の心の深くまで
踏みこたいし、逆に自分のことをいっぱい話して
相手にも踏み込んでもらえるように素直な 
自分自身でありたいと思う。

『会いたい』この言葉の魔法が僕の臆病さを
雪が溶けるようにパッと消していった。

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