些細な心配りおじさん

ジブリの音楽を聴いていて。
いつもは心打つメロディーに静謐を感じながら拝聴しているのですが、今夜はいつも無意識に口ずさんでいる歌詞に耳が傾きました。

千と千尋の神隠しでお馴染みの「いつも何度でも」という曲の歌詞

繰り返す あやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

作詞は覚和歌子さん。
この飾り気のない耳慣れた日本語なのに胸を打つ文章。
決して真似できるものではありません。
純粋に感嘆しました。

人は過ちを繰り返す動物です。
でも乗り越え方は人それぞれで簡単に乗り越えられる人もいればズブズブに引きずってしまう人もいる。
空を見て自分の悩みなんてちっぽけなんだよっていう曲は今までたくさん聴いてきましたが、過ちを繰り返してしまった時にただ青い空の青さを改めて思い知るという感性をこの美しい三拍子の曲に纏め込める才能がただただ凄いです。

そして最後に「この両手は 光を抱ける」。
「抱ける」と表現することで希望が自分からやってくるものではなくて、自分から掴みに行かなければ得られないということをたった4文字で表現してしまう。

本当に脱帽です。

この歌のお陰で改めて日本語の美しさというものを思い知りました。

空や悲しみ、道など歌や詩には手垢塗れ同然の表現なのですが、少し表現を変えるだけで美しい情景が広がる無限の可能性を秘めた言葉なんだってとても勉強になります。

自分の仕事のことになりますが、医者という仕事は言葉がとても重要になってくると思います。

入院の時もなぜ入院になったのか、病状経過はどうなのか、家族へのI.C.(インフォームド・コンセント)など数多く患者さんやコメディカルの方々に様々な言葉を駆使して説明をしなければいけない機会が圧倒的に多いです。

その中で1番大切にしなければいけないことは、言葉を発する時に相手に対しての心配りを忘れないことだと最近は思っています。

昨今インターネット社会で画面越しに相手がいるということを忘れて叩くなど言葉の暴力が取り沙汰されていますが、それと似たようなことで、相手と面と向かってコミュニケーションをとる時にも必ず1度この言葉を相手に発していいのか反芻することが大事なのではないでしょうか。

1度飛び出した負の言葉を訂正する行為は大きな時間と労力を伴いますし、最終的に信頼を失うことにもなりかねません。

患者さんだけではありません。コメディカルの方々、同僚、オーベンの先生、後輩、はたまた友人、親に対してまでもこの誰にでもできる「些細な心配り」が生きていく上で重要なのではないかと今感じています。

日本語はとても美しいです。しかし美しいバラには棘があると言われているのと同様、美しいものは時に刃にもなりえます。
それをコントロール出来るのは自分自身であり、見て聴いて話せる人間の特権なのではないでしょうか。

先程「泣くな研修医」という本も読了しましたが、1人前の医師でもなく、知識不十分の医学生でもないその狭間にいる研修医という立場だからこそ、人の命を扱う医師という仕事であることをよく自覚し、言葉を発する際は些細な心配りをすることがこれからの医者人生で大切なのではないかと思った夜でした。

長々し夜をひとりかも寝む

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