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「教育の闇」これから子育てする人へ

こんにちは。
けんしろう常務です。

さて今回は、教育の在り方について話す。
真逆の意見の人もたくさんいると思っている。

【義務教育で学んだ当たり前な間違い】

某人気私立の幼稚園の送り迎えに「タクシー禁止」「自家用車もダメ」「ベビーシッターさんのお迎えダメ」というルールがあると聞いた

車の校門に横づけは「道が混雑するからダメなんでしょ?」「ちゃんと歩いてくることを覚える必要があるんでしょ?」と聞くと、どうもそれだけではなさそう

クルマやタクシーは贅沢
ベビーシッターを雇うことはさらに贅沢
みんなが車に乗れるわけじゃないから配慮して
そういうことらしい

ところがこの規則のせいで学校から少し離れた場所でクルマを降りて子供と歩いて登校する親が続出したという

ちょっと待って、何かがおかしい

子供には何て説明すればいい?
電車で来てるフリしようね。って感じ?
だとしたら闇深すぎな最悪な教育

横ならび主義の幼稚園/学校に付き合うために親が「控えめ」を演出しなければならない謎の校則であり拘束

ルールに反した通学の仕方
離婚したことを隠さなければならない
そういった子どもにもウソをつかせなくてはいけない

そんな学校の方針は根本的に限界がある

ちなみにこの「控えめ横並び主義」は一部の問題ではない
「国民病」とも言える我が国に蔓延する慢性疾患でもある

小学生ぐらいからみんなと同じような「髪型」「服装」「行動」「思想」を求められ、そして期待される

「抜きん出るのは損」「目立つのは悪」と叩き込まれ刷り込まれる

生まれつき色素が薄く、髪の毛も茶色い子供は医療機関発行の「地毛証明書」なるものを持ち歩いている

いつなんどき先生が「なんだ、その髪色は」と迫ってきた時に「この紋所が目に入らぬか!」の如く見せられるようにしなければならないという恐ろしい話

この話は信じがたいけど実際に地上波でも特集を組んでいたし多くのメディアが報じている

服装のTPOについては、多くの日本人は「自分のあたまで考える」ことに慣れていないのかもしれない

まさに「黒染めルール」の副作用とも言える

以前、入社式で「自分らしい格好で来てください」と案内した企業が話題になった
まるでサブカルそのもの鼻ピアスに奇抜な髪の毛、革ジャンで現れた学生がいたりした

こんなことが起きてしまうのも横ならび主義を強要し続けられ、考えるチカラを奪われてきたことの結果だと思っている

そもそも我々も「横ならび主義被害者」でもある

横並び主義が暴走すると人の心を少しずつ破壊し始める

人間は本来個別性が強い生き物
横並び主義に合わせようとするとそれなりの精神的苦痛を伴う

冒頭の幼稚園の話
電車で来たフリをして先生にもママ友にも親子揃って毎日ウソをついてたら精神は確実に病む

黒歴史:大学1年生 まるでヒッピー

【少し前の日本とこれからのJAPAN】

それでも横並び主義はかつては機能してきた

日本の経済活動の大部分が農業だった頃はみんなが同じような作業を分担し、協力し、チームワークで結果を出すのに横並び主義は必須

出来ない人はそのままチームのロスとなるのでリアルにお荷物扱い
特に工業化が進んだ高度経済成長期も横並び主義は見事にどハマり

多くの人が言われた通りに出しゃばり過ぎずに日々を回すことで経済がまわる
全体のパイが拡大し多くの国民が恩恵を受けた

出しゃばらず余計なことを考えず、空気を読みまくりながら企業の駒に
給料は右肩上がり、経済は拡大、沢山の人の生活が豊かに

そんなのは遠い昔の日本
戦後から落ち着きを取り戻した1960年〜1990年ぐらいまでの景気拡大期の話

2023年現在の日本経済は停滞している
1989に世界2位だったGDPは2010年に世界3位に転落し、2023年もなんとか3位を維持ってところ

日本に残されたオプションは大きく2つ

1.「自由な発想で突出してくる個人が一定量現れ、イノベーションを生み出す国」→いわゆるシリコンバレー型

2.「少ない人口でエコ先進国としてアジアのお手本となる国」→いわゆる北欧型

ちなみに北欧型の場合、GDPの追及はギブアップ
地球へのエコ貢献度や社会福祉の充実度などが新しい物差しとなるような世界に変わる

どちらのオプションでも自由でクリエイティブな発想および強力なリーダーシップが必要となる

いずれにせよ横並び主義は機能しない時代がやってくる

この時代に備えるためにも、まずは国民の発想の基礎を作る教育現場が変わっていかなければならない

そんな大切な場所で過去に幅をきかせた「控えめ横並び主義」が市民権を得ているようでは日本の未来は確実に闇落ちする

朝食が会計1万円を超えてさすがに笑うしかない:NYにて

【声を上げると嫌われる】

先日、インスタグラムで「小学校の時の通信簿」を載せている人がいた

そこには「慌てて手を挙げず、じっくりと考えられるようになるともっと良いと思います」という教師からの絶望的なコメントが書かれていた

よっぽどの立派な内容じゃないと発言するなという圧力
簡単に目立つな圧力

この教育のせいで日本人の中からリーダーが生まれにくくなっている
「完璧な答えでないとダメ」と思っているからビジネスの会議でもなかなか発言が出来ない

人生において非常に重要な時間を過ごす学生時代にこのような間違った教育をされるくらいなら学校へ行く必要性はないと強く思う

自分自身これまで出会ってきた教師で”まとも”だったのはほんの一握り
いい先生に出会えたらラッキーだと思えと親に散々言われたけど本当にその通りだった

自分が通っている学校が全世界だった我々の時代とは違って
今はネットからも情報が次々に得られる時代

相手と意見が異なるのは当たり前なこと

多様性が求められる現代では学校のルールに従い、疑うこともせず、クラスメイトとは争いごとが起きない平和な子供のほうがよほど心配になる

ここで常務の実体験を少し

新卒で勤めていた会社での会議の話
そもそもみんなイヤイヤ参加する状態で始まった会議
毎週やるけど基本的にだれも生産性のある発言はしない

淡々と時間だけがすぎていく無意味な会議
幹部クラスに「会議をした」という報告をするために仕方なく
疑うことを忘れた日本企業にありがちな形態

ありがたいことに新人ながら発言する機会が巡ってきた
まじでラッキー!話せる!って当時は思ったけどそもそもそんなこと思う時点で闇は深い

「趣旨とは異なるけどそもそもこの会議は誰のためのものか。会議のための会議なら誰も得しない。この貴重な時間を使ってお客様に調子伺いの電話でもしていたほうがよっぽど金になる。それと会社を成長させたいのであれば真っ先に使えない人材を切ればいい。いちばんの無駄な固定費は”仕事ができない人材”だから。話はそこから。」と発言をしたことがある

案の定、空気は凍りつき、終いには「生意気な新人」のレッテルを貼られた
退化する会社に手を差し伸べることを諦めた瞬間でもある

それが正しかったのかは不確かだけど、確かなことを言わないと行動自体を否定されることになった

これらは会社単体というより日本社会全体の問題だと思っている

クリエイティブな発想などもディスカッションを通じて更に発展する傾向にある
だから一人で「じっくり考えてから初めて発言」するはまるで向かない

間違ってもいい!
まだ考えてる途中でもいい!
どんどん手を挙げて!
そんな教育の方がずっといい

どんどん手を挙げて、どんどん前に出て、前に出た人を突き落とさない

そんな素敵で活気のある社会が到来してほしい
まずは教育現場からのドラスティックな変化を切望する

サーマルスプリングに向かう途中

【定数と変数】

とはいってもここまで話したことは定数に近い
定数というのは「自分の力ではどうしようもない事」
要するに叶うことのない努力

もしかすると変わっていく事なのかもしれないけれども意外と現実は甘くない

途方に暮れた期待をするよりもすでに自分にとって理想の環境が整っている場所へ突っ込んでいく方がよっぽどいいかもしれない

定数じゃなくて変数に目を向けているってこと

世の中には残酷なことがたくさん
それって考えても仕方ないことだよね、とか
祈っても変わる問題じゃないよね、とか
自分の力では本当にどうしようもないことがある

与えられた環境で行動するんじゃなくて自分で環境をつくっていくことに徹したほうがよっぽど楽しい

いま置かれた環境が非合理的な定数であればサヨナラをすればいい


ぜひみなさんの意見も聞かせてください。
本日もありがとうございました。

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