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突然訪れる、ある日のために努力は存在している

30年間生きてきて、一番長い間熱中したものは野球だと思う。小学校2年生の頃からはじめて、高校3年までやったから、10年くらい続けたことになる。

今覚えば、高校生の時が一番努力をしなかったと思う。毎日の練習についていくのに必死すぎて、ほとんど家での自主練をしていなかった。でもやっぱりレギュラークラスの人間は、毎日の練習の後にも必ずと行っていいほど全員家でバットを振ったり、シャドウピッチングをしていた。

そんな僕も中学生の時は毎日バットを振っていた、クラブチームに所属していたので練習は土日しかなく、楽だったというのもあるが、中学野球が人生の中で一番楽しかった。

目に見えて上達するのが嬉しかったし、もっと努力して上手くなりたいと毎日思っていた。

ある日気付いたのが、野球は急に上手くなるということ。例えば強い打球を打つために日々いろんな練習をする、Tバッティングやロングティー、素振り。

コーチに教えてもらったことを実践するが、最初は全く言われ通りにできず、成功のイメージが全く掴めない。「これで本当にあっているのか?」と思いながら練習したことが何度あったことか。

しかし、その日は突然やってくる。いつものようにバッティングをしているだけなのに、急に打球スピードと打球音が今までと違う。

コーチや周りで見ている人も「おっ!」という顔をしている。自分ではいつも通りにやっているつもりなのだが、確実に変化しているのだ。

こういう経験はバッティング以外でもいろんなところで経験したことがある。

しかし、これは毎日の努力によっていろんな試行錯誤をして生まれた結果だと思う。教えてもらったことを自分の中で解釈して、一つずつ実践してみる。そして失敗する。それを毎日毎日繰り返す。

そしてやがて正解の形にたどり着く。それが上達なんだと思う。

僕がこの経験から学んだことは、全てにおいて努力というのは、突然訪れる「ある日」のために存在しているということ。

注意しなければいけないのが、この「ある日」というのは努力を諦めてしまった人には絶対に訪れることはない。なぜなら試行錯誤を辞めてしまったから。試すことを辞めてしまった人間に成功は訪れない。

今僕が書いている文章もそう。

書くとこ自体はそんなに嫌いな方ではなかったが、決して得意ではなかった。1年前は1000文字程度の文章の1時間もかかっていた。

数百記事という文章を書いたり、膨大な文章を読んでいるうちに、自分の中で突然変化が起きた。そして今では15分程度で1000文字書けるようになった。

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