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復興まちづくりのプロセス〜仙台沿岸部の南蒲生地区の例〜その4

仙台沿岸部の南蒲生地区の復興まちづくりのプロセスについて、投稿しています。

 前回までのポストでは、2012〜2017年頃までについて、「#1:応急・復旧期」「#2:現地再建過渡期」「#3:ポスト復興のまちづくり期[ポスト復興部]」と、3回に分けて書きました。

今回は、このシリーズの最後で、2018年以降についてです。
フェーズ毎の記事としてはこれが最後になります。

■#4:平時の自立的まちづくり期(2018〜)

 復興まちづくりは、前項の#3のフェーズで大きな転換期を迎えました。町内会自体も、行政などの取り巻く状況が変わり、嵩上げ道路など様々な復興整備事業が進む中、コミュニティは落ち着きを取り戻します。

 これまでも、東日本大震災の被災各地の復旧・復興の速度の差には触れてきましたが、現地での再建が主流となった南蒲生地区においては「平時に戻った状況」と言えると思います。

 それぞれの暮らしが落ち着くと、震災直後に同じ方向を向いていた状態が、(また)それぞれ違って来ます。
 そんな中で、事実上は「復興」の取れた「まちづくり」を模索していくことになりました。

■このフェーズでのポイント

このフェーズにおいてのポイントは、以下の3つです。

●当初の計画や目標と照合〜アクションプランのチェックと更新
 アクションプラン(#1参照)の策定から4年経ち、更新(改訂)作業を行いました。
 基本計画の策定からは7年が過ぎて、活動の幅も大きく広がりました。それらの実績を踏まえつつ、当初のプランの中で未着手のものの削除や項目の刷新などの作業を、町内会役員やキーマンへのヒアリングにより行いました。

この際には、以下の観点を大切にしました。

・無理なく活動を“続けられる”こと
・新たに起こった活動を位置付けること
・抽象的だった項目を、町内の動き(実績)に合わせて具体化すること


●自立・自走を旨とした視点での活動チェック
 このフェーズでは、行政やコンサルタントのサポートの頻度が徐々に少なくなってきます。
 上記のアクションプランのチェック時もそうですが、地域の自立・自走という最終目標を念頭に、行政やコンサルタントはそれまでよりも少し離れた位置から見守る機会が増えていきます。
 そんな中で、町内会や地域内の各関連団体は、概ね順調に活動を続けていきました。
 これは、若い世代を中心に新たな移住者や地域外の団体等との連携・協働によるところも大きいです。

●伴走の「区切り」の見極め
 これらを踏まえ、伴走(サポート)の要不要の見極めが重要なフェーズでした。非常にデリケートな部分です。
 特に行政内の温度感によるところが大きく、コンサルタントと密にコミュニケーションや意思疎通が図られているかで、区切りの付け方が大きく変わってくるのではないかと思います。
 去り際が重要、とはよく言ったものだと思います。
 都市デザインワークスとしての南蒲生のサポートは、2018年度までとなりました。

■コンサルタントの役割

 こうした難しいフェーズで、コンサルタントは何を大切にすべきかを整理すると、以下のようなキーワードが浮かんできます。

●復興まちづくりの収束先は、次世代の担い手
 古くからのコミュニティでは、次世代の若手や移住者などの居場所や活躍の場が極端に少ない場合が少なくありません。
 これらの人々を招き入れ、時には主役になってもらいながら活動を続けられるかが大きなポイントなのですが、これは従前のコミュニティで鍵を握る人々の手腕により決まります。
 いつだって次世代の担い手の存在は重要なものですが、震災後は刻々とフェーズが変わり、災害の復旧時期を過ぎたあたりから特に念頭においた方が良いものです。


●ポイントは「実感、やりがい、楽しさ」

「実感、やりがい、楽しさ」

 これらは、自立した活動の継続の秘訣の一つで、原動力になります。
 ただし、バランスが肝要であって、趣味的になり過ぎてはいけないものです。
 そのアンカー的な役割としても「基本計画」のような指針や拠り所となる言葉の存在は重要です。


●震災後培った議論の進め方の工夫、町内でのコンセンサスのとり方を継続できるように
 震災後には、様々な課題解決のための議論が必要となり、そのそれぞれにスピードを求められたこともあって、会議や意思決定の場が頻度高く繰りかえし行われました。(#1参照)
 これらのスキルが一部には継続されたものの、十分には生かされなかったことは少々悔やまれるところです。
 また、キーパーソンを大切にしつつも属人的になり過ぎないことにも注意が必要でした。

 そして、町内会等への金銭的支援(助成金など)が、被災後から徐々に減ってくる時期でありました。そうした支援や助成金などが無くてもそれまで通りの多彩な活動を展開・継続できるかという課題も残りました。
 本来は(私個人としては)プロジェクトの収益事業化、自走化までもお手伝いできれば良かったのですが、今回のケースではこれにて時間切れとなりました。

まちづくりの活動は目に見える成果をコンスタントに出していくことが難しいことが多いのですが、このフェーズでは、一つ形になった成果がありました。

▶︎南蒲生屋号マップ
 「南蒲生には屋号がある(あった)。今の60代より上の世代はおおよそ知っているが、何らかの形で残し伝えたい。そして、何かに活かせないか。」
 という話を町内の居酒屋で町内の役員の方から聞いたところから、地図づくりのプロジェクトがスタートしました。
 一見のどかな農集落には、実はそれぞれの世帯に屋号があったという意外性もあってか、新聞などでもとりあげられました。

■まとめ

地域の思いを計画にし、それをアクションに。その一連の過程をお手伝いしてきたつもりです。
 #3、#4と地域の自立・自走という言葉を多用してきましたが、このフェーズでは同時にその一言の重さ、難しさを実感しながらのものとなりました。
 #3の分岐点を経てなお、どこを目指し、そのどこまでのサポートが必要か、という問いを#4でも引きずることになります。
 地域が主体性を持った活動においては、速度調整も重要で、最初から全速力で走ってしまってはどこかで息切れしてしまいます。無理ないペースで走り続けることが理想ですし、「止めること」「終わらせること」も選択肢の一つです。

 フェーズが刻々と変わる中で、年月はあっという間に過ぎます。将来を見越した時に担い手がいるかどうか、というところに持続可能性は収束していきます。

 いずれにおいても、共有できる言葉や目標、アクションプランを作って共有しておくことがかなり重要で、これは座標になりますし、何かの際には立ち帰れるものにもなります。

 行政もコンサルも、被災地と呼ばれた地域を少しずつ離れた場所から見守るような立ち位置になってきたら、復興もひと段落なのかもしれません。

 (完)

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