見出し画像

読書記スクラップ[震災・災害]07_津波のあいだ、生きられた村

07「津波のあいだ、生きられた村」饗庭伸/青井哲人/池田浩敬/石榑督和/岡村健太郎/木村周平/辻本侑生:著/山岸剛:写真

3月3日。
今であると、「もうすぐ東日本大震災から○年」と言う報道が増える。今年は10年ということで、ことさら多く感じる。
しかし、実は今日3月3日は、昭和三陸津波が発生した日だということが、そういう中ですっかり埋没しているのだ。
1933年(昭和8年)3月3日。今から88年前のことである。
それから78年後に東日本大震災は起きた。

さて、本書の話を。

画像1

タイトルの「津波のあいだ」というのが、何を指しているのか、手にとった時点では分からなかった。
「あいだ」は、今回の東日本大震災の津波によって浸水していた時間、あるいは、被害を受けていた時間なのだろうか、とも思った。(恥ずかしながら)
しかし、その答えは、まえがきを読みはじめてすぐにわかる。

周期的に地震と津波の被害に見舞われる。「そのあいだ」の時間のことなのだ。
(本書の帯にもあるのだが)

津波が周期的に来ることを前提として、その「あいだ」を我々(ここでいう村=綾里地区)は生きている。
そういうことを強く意識したタイトルである。

本書は岩手県大船渡市の綾里地区について、その「津波のあいだ」を明らかにしたものだ。
空間、社会、避難、復興、継承という観点で章立てされており、図表も用いて整理され、それぞれがグラフィック面でも優れている。

綾里(ひいては三陸)は、この百数十年の間に、明治三陸津波(明治29年/1896年)、昭和三陸津波(昭和8年/1933年)、東日本大震災(平成23年/2011年)と三度に渡り大規模な津波に襲われた。

昭和三陸津波の記録として、あるいは今回までの「あいだ」を浮き彫りにするベースとして諸所に、山口弥一郎の残した調査・研究が登場する。山口は地理学者であり、民俗学者でもある。民俗学は柳田國男に学んだという。

「津波の起こらぬようにすることは不可能であろうとも、避けることは我々に出来得るはずである。我々は津波直後に、惨害記録と哀話のみ綴っているべきではない

とは山口の談だとのこと。

「復興地」と呼ばれる高台への集団移転(料理の場合は4箇所)の経緯が語られ、それぞれの復興地における景観の特色が語られていることも興味深い。集団移転と個別移転の過程にも触れらている。
また、それらの復興地での住宅再建は、気仙大工の作法に則ったものであったとのこと。
綾里は気仙大工の一大排出地だとのことで、例えばどの家も必ず親類に大工がいるような状況だったとのことで、復興過程での様子が窺える。

また、本書では、地震直後の行動と避難行動や、復興計画や再建後と被災前の住宅の比較などが明らかにされており、どれも興味深いもので、貴重な記録といえよう。
特に、住宅の移転前後の変化を平面図で明らかにされている点が目を引いた。

終章の「津波のあいだの過ごし方」には、村の仕組みを“鍛える”ことだとある。
ここで言う村の仕組みとは、住宅や道路、漁港や防潮堤などの空間的なものと、集落の各組織やイエ組、生業などの地域社会の仕組みに整理され、昭和三陸津波から東日本大震災まではそうした村の仕組みによって「生きられた」とされる。
これから次の津波までの「あいだ」へのそれらの仕組みの立て直しが必要ではなかろうか、と。

まえがきに戻ると、こう書かれている。

昭和三陸津波と東日本大震災の間は78年であり、その津波のあいだは一人の人の人生がすっぽり収まるか、収まらないか程度の長さである。
78年後は子供達にとっては漠然とした将来のさらに先にある時間であり、大人たちにとっては自分がいなくなった後の時間である。78年前のことは子供達にとっては教科書に書いていある時間であり、老人たちにとっては懐かしい子供時代である。
これまでは正確に理解する必要がなかったこの「津波のあいだ」が私たちの目の前にあらわれ、その過ごし方、切り抜け方が問われたのである。

丁寧に説明されてもなお、示唆に富んだ文章だと思う。

本書の舞台である綾里地区に限らず、我々は自然災害の「あいだ」に生きている。
さて、そのあり方は時代の技術等に合わせつつも、考え方の根本は実は凄くシンプルなものなのではなかろうか。

時間の流れを意識できる著作だと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?