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よわよわしい、僕 村上龍『限りなく透明に近いブルー』

酸っぱい、ヌルヌル、モルヒネ、女の太腿、ドラッグ、虫ーー。言葉はイメージを喚起し、それが作家のタッチを作る。村上龍的な文体はこの不快指数の高いことばを並べ、怒涛のように迫ってくるところにある。

虫は緑色の液体を流すし、部屋は体臭で酸っぱい匂いで満ちている。そういう世界を村上は描く。

けれど、そこにあるのはどこか弱々しい、「僕」だ。『限りなく透明に近いブルー』や『コインロッカーベイビーズ』しかり、居場所をなくしたリュウ、キク、ハシ、アネモネがいる。

ひょっとしたら明治の文豪と呼ばれる人が書くと、リュウたちみんな、自分という人間の中に閉じこもって、解を見出すのだろう。それに苦悩し、葛藤し、やがて自殺をするかもしれない。精神的な巣篭もり状態だ。

けれど、村上龍は違う。きっと、村上春樹も山田詠美も違う。村上春樹の場合は、悩むのではなく、諦めに近い諦観をもつ。山田詠美はセックスをする。村上龍はきっと、狂って、破壊して、倒れて気づく。

そこで「限りなく透明に近いブルー」というこれまでとは異なる、不快とは程遠い、爽やかさのイメージを持ってくる。不快指数の高い世界において、このブルーは紅一点。際立つ。

その透明に僕がなりたいと思おうが思わまいが重要ではない。むしろ、ただ、その透明さが透明さとしてそこにあって、愛おしく感じられること、そのシーンそのものが無目的に美しい、と思う。

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こんかいは、村上龍『限りなく透明に近いブルー』でした。巣ごもりしてると、読書がずいぶんと捗りますね。実はさいきん、マイブームはお香です。香を焚きながら、村上龍を読むと、なんだか別の意味でくらくらしそうですね。

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