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サプライズは隠し通すからサプライズ

その日、最後の最後で空気が凍った。
より正確に言えば、凍らせてしまった、という表現が正しいだろう。
オンラインであっても、その空気がわかってしまう。
ああ、やっちまった。
パソコンの画面上。
その場に居合わせてはいない。
けれども、明らかにまずいことをした、こいつやっちまったな、みたいな空気が画面がから伝わってくる。

匂わせてしまったのだ。
サプライズを。
いや、正直にいうと露骨にサプライズがあることを口走ってしまったのだ。
オンライン懇親会はせっかく大盛り上がりだったのに、最後の最後でしらけさせてしまった。
完全なる失敗だ。

今までお世話になった方と最後のオンライン懇親会。
司会を予定していた方が急遽、熱を出してしまった。
その場で代役として私が指名される。
何の用意もない。
なるがままに進めた。
今までオンライン懇親会の司会をしたことがないから、頭をフル回転にさせて、会話の相槌をしたり、話してない人はいないか確認し、残り時間も確認して、懇親会を進めていた。
ようやくいい感じに終わった最後のタイミング。
みんなでバイバイと手を振っているタイミング。
そんな時に私は、サプライズのことを匂わせてしまったのだ。
時が止まる。
笑顔で手を振っていた人の顔が強張る。
振っていた手を下ろす。
終わりよければ全てよし、というが、最後の最後でやっちまったのだ。

本来ならば、このタイミングでサプライズを言っていただろう。
けれども司会の人が欠席になったから、いつお世話になった方にサプライズのお礼をするのだろう。
そんなことが私の頭をよぎった。
事前にLINEで、明日メールでサプライズの色紙を送ります、と書かれたのを忘れたわけでない。
けれども、色紙について何も触れないのはいかがなものか?
そんなことを考えてしまった。
司会の人なら、このタイミングでサプライズのことを話すだろう、匂わすだろう。
勝手にそう思ってしまった。
それがこの有様だ。

サプライズは最後まで隠し通すからサプライズなのだ。
チラ見でも出してはいけないのだ。
そんな当たり前のこともわからない私。
隠すなら隠す。
隠すから驚きが生まれる。
サプライズは、1mmでも漏らしてはいけないのだ。
匂わせてもいけないのだ。
予兆すら出してもいけないのだ。
ちょっとくらいならいいだろう、すら許されない。
なぜなら驚きを最大限にまで高めるため。
何も言わないことが相手への喜びにつながる。
それがわかってなかった。

失敗とは学びである。
最近、意識していることだ。
やってしまった過去は変えられない。
サプライズを最後まで隠し通さなかったら、それはもうサプライズでなくなる。
それを伝えてしまったのは事実だ。
その事実は変えられない。
変えるとしたら今、この瞬間から。
失敗してしまったことから学びを得る。
サプライズは最後の最後まで隠し通すからサプライズなのだ。
相手にそれをちょっとでも伝えてしまったら、サプライズではなくなる。

相手を驚かせるのなら、最大限驚いてもらって、感謝の気持ちを伝えるのなら、隠し通す。
何のため?
相手に喜んでもらうため。
相手の立場になって考えよう。
そう思った日だった。

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