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「常識」が重くなる時がある。

中学校を卒業した直後くらいの事だった。勉強を教えてくれる人と出会えたから、一年遅れで高校受験をすることにしたんだけど、私には当時常識というものが備わっていなかった。小さい頃からひきこもりで、義務教育も受けずに育ったから、家の中が世界の全てで、家族との時間が他人との関わりの殆ど全部だったから。

時々思い出す。勉強を見てくれた恩師の家に、遅刻して行った日の事だ。
そもそもが朝体調が悪くて「今日はゆっくり行くね」と伝えてあったんだけど、私がマイペース過ぎたのか、道を歩いてる途中で恩師の車が迎えにきた。私は「こらー!遅刻娘!」と冗談半分に怒られた。
これは言ってしまえば、何時頃に行きますと伝えていなかったのが原因で、相手に「いつまで経ってもあの子が来ない」と思わせてしまったのがよくなかったんだと、今ならわかるんだけど、当時は遅刻している自覚なんてなかったから私はその言葉がショックだった。

恩師は食の好き嫌いもなくしてくれたし、世間一般の常識も教えてくれた。
ただ、悪気はなかったと思うけど、私が何かしでかす度に、なんとなく、親の教育が行き届いていないと言われている気がして(子どもを育てる責任が親にあるのなら、流石に子どもは勝手に大きくなりはしても、知識は蓄えられないから、それはそうだと思うんだけれど)私は自分が情けなくて、悲しい気持ちになっていた。

恩師は基本的に立派な人だった。そりゃあ、義務教育を9年間不登校で終わらせた子どもを高校受験させるための計画を練って、得意分野で点数を取れるようにして、周りの大人も説得して、実際に私を高校まで進学させてくれたから、本当にすごい人だ。因みに勉強をがんばった私もすごい子どもだった。そこは自信をもっている。今も。

けど、立派過ぎて、時々辛かった。
遅刻した日、私は卸したてのローファーを履いて行って、とことこ田舎道を歩いていた。普段着のジーンズにローファー。高校ではローファーが制服だし、受験の面接の時にも履いていく必要があったから、今のうちに履きなれておこうと思って、そんなことになったのだ。

私を車で拾った恩師は、それをとても変だと言った。普通ローファーにジーンズは合わせないよって。
そりゃあ、今となったらわかる。ちぐはぐなファッションだった。でもあの時の私には目的があったから、意図を理解して貰えなかった、と思って悲しかった。
私の常識がなかったから、何かある度に恩師が指摘して価値観を直してくれたけど、その度に胸に宿るのは悲しい気持ちだった。

人は知るまで無知なのだ。無知であることは、知るまでは恥でもなんでもないが、知ってしまってからは恥だ。
ああ、自分は常識が身に付いていない世間知らずのばかなんだ、とその時その瞬間はどうしても自信を失くすのだ。

そんなことで、いちいち挫けていたら、それこそ人生やっていけないかもしれない。でも、その時その瞬間の悲しさを、ないことにはできない。
だから、恩師には感謝をしているけれど、それと同時に、世間知らずのばかだった頃の自分を思い出して、会いたくなくなるのだ。ひどい話だ。あんなにお世話になったのに。そう思うとますますだ。

本当に感謝はしている。でも携帯電話が壊れて連絡先がわからなくなって、正直少し安心もしている。大変身の時期は、トラウマの時期でもある。ボロボロになりながら一歩一歩進んだ時期だから、辛いことばかり印象に残っている。

説教の好きな人だったな。
自分が正しいとでも言いたげな人だったな。
そんなことばかり思い出して、恩師と呼びながら、結局今またひきこもりがちな自分を見られたくないなと凹んでいる。


常識って「その場での大多数にとっての正解」でしかなくて、少数派の中には、無知であったり、意思であったり、常識の通じない人がいる。
自分の意思で常識に唾を吐いているならそれは好きにすればいい。私はそういう人とは仲良くできないけれど、そちらもこちらと仲良くする気はないのだろうから、仕方ない。だってそちらからしたら、自分の考える常識が常識なんだから。それならそれで、いいんだ。あなたを変えたいとは思わないんだ。疲れるから。

でも、無知の人間を常識がないとばかにしたくはないんだ。自分もそうだったじゃないかと悲しくなるから。
こっそり教えてあげたいんだ。それで嫌われてもいいから。私が恩師を思い出して辛くなるみたいに、私のことをその人が拒絶してもいいから。

でもさぁ、私が考える常識だってさぁ、何も正解ではないんだよなぁ。 

自分が正しいと言える人がある意味では羨ましくもあるんだ。ただしさなんてその場その場で移り変わるものなのに、自分は間違わないと自信を持っていられるなんてすごいと思うよ。これは皮肉半分。

私は、そんな風にはなれない。


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