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自分史 Vol.4-2

「自らの哲学について」と、大上段から構えて始めるnoteを読むのは、果たしてどんな方々なのか。まぁ、面白い人たちであろうことは想像に難くない。

「哲学科哲学専攻」という針路を取った理由を辿ってみると、その端緒は実家の本棚にあった1冊の文庫になる。

自分史3の辺りで記した受験期、『ことばの贈物 岩波文庫の名句365』という岩波文庫の別冊で出逢ったのは、フランシス・ベーコンだった。採録されている短い文章の傍らには、著者と原典の名前があって、勝機の乏しい受験で福岡へ飛んだ際に、天神のジュンク堂で買い求めたのをよく覚えている。『ベーコン随想集』というその本は、日に焼けて、鞄の中で零れた茶の痕が残りつつも、今でも岩波文庫ばかりが並ぶ本棚の一角を占めていて、きっと自分がこの世を去るときまで、座右に置いておくのだろう。

それから、ブログも電子書籍もなかった2000年代の前半に、読み耽っていたホームページがあって、本当の意味で哲学という在り方を知ったのは、実は書籍よりもこちらのおかげであった。
「かるばどすほふ」という不思議な響きのホームページは、10代の私が耳にタコができるほど聴いていた浜崎あゆみについて、そして彼女の歌と対比させて「トランスパーソナル心理学」のちに「インテグラル理論」と呼ばれる哲学について、圧倒的な構想力を持って書かれていて、それまでの教育では感じなかった知的興奮を呼び覚ましたのだった。膨大な内容のコンテンツが掲載されていて、新譜が出る毎に進化する浜崎あゆみの世界観と、人類の進化と深化を基調とする哲学とがリンクしていく様は、何度読んでも驚きと喜びに充ちている。
執筆されているかるばどすさんは、掲示板を通じて、浜崎あゆみの曲からオーディオ、そして哲学に至るまで、右も左も分かっていない私と親切にやり取りしてくださった。哲学科へ進むという報告をした際も、「哲学史の勉強には留まらないください」と仰ってくださり、ともすると狭い学閥の範疇に収まってしまう日本の大学教育について、入学前に進言いただいたおかげで、私は哲学的なドグマに陥らずにここまで来られたと、本当に感謝しかない。

上記のような受験期を経た当然の帰結として、第一志望ではなく哲学の道へと進んだ私は、哲学の基礎的な授業もそこそこに、大学図書館でケン・ウィルバーの『無境界』を借りて読んだのだった。当時(いや、今もだろうか)哲学科の範疇には全く収まりきらなかった彼の作品は、確か宗教だったか心理学だったかの棚にあって、誰が教えてくれるわけでも授業で取り上げられるわけもなかったけれど、デカルトやカントについての授業よりも段違いに面白かった。

哲学科の講読において面白みを感じたのは、ジョン・デューイで、丸山徳次先生の下『哲学の改造』(原題"Reconstruction in Philosophy")を3回生のゼミで1年かけて読んだ。この岩波文庫も茶色くヨレヨレになっていて、丸山先生の授業も熱が入っていたように記憶している。

教育学(という範疇自体、私は疑問があるけれど、それはここでは割愛)で著名なデューイをゼミで選ぶくらいだから、先生は専門領域を横断することが好きだったに違いなくて、龍谷大学が滋賀県の瀬田に持っていた社会学科の先生とも共著を出されていた。瀬田キャンパスは広い面積の里山を持っていて(キャンパス開発中に天然記念物のオオタカが営巣していることがわかり、「里山にしておくしかなかった」というのが本当のところ)、そこによく出入りされていた先生は、自然に関心が高い私にも声を掛けてくださって、ほんの2度ほどだったがご一緒させていただいたこともある。倫理学の授業をされているにも関わらず、間伐用のチェーンソーを手に「人を切ったら」などと軽口を叩ける先生だったので、この課外授業は双方にとって、とても楽しい時間であった。

自然と人との関係を学びたいという私の関心に寄せて、丸山先生はソローなどの近代アメリカ哲学をお薦めしてくださった。『森の生活』は読み物として気持ち良かった反面、私にとってはこれをどう学術的に纏め上げて良いかわからず、結局私は、自分で探し当てたホワイトヘッドを研究対象に選ぶことになる。とはいえ、これまた教えてくださる先人がいない哲学者で、2000年代前半には研究書もパラパラと出だした頃だった。『科学と近代世界』というそう分厚くはない著作についての私の卒業論文は、口頭試問において、「良く出来たブックレポート」と評される程度の出来ではあったけれど、着眼点についての新しさは、今でも間違っていないと自信を持って言える。

話をケン・ウィルバーに戻すと、十数年経った今になって、新訳が発刊されたりしているおかげで、私も新しく読む機会ができている。大変有り難いことで、編集に尽力された柏原里美さんにも、この場を借りてお礼を申し上げます。そして、自分史にここまでお付き合いくださった皆様にも、ぜひリンクを辿って知の冒険へ足を踏み出していただければ幸いです。

そして、浜崎あゆみとケン・ウィルバーについて一連の膨大なホームページを作成されたかるばどすさんにも、ここまで私を連れてきてくださったことに、心から感謝申し上げます。「風になれ!」のコンテンツは、折に触れて読み返し、羅針盤とさせていただいています。

上述のコンテンツ「風になれ!」の終盤に出てくるアルバム『I am...』からタイトル曲の『I am...』を取り上げて筆を置こう。余談のような主題のような話をすると、牡羊座を表す言葉は"I am"だそうで、占星術における元日3月21日生まれの私が、このアルバムやタイトル曲を抱えてここまで歩いて来られたのは、必然としか言いようがなく、西洋占星術について学ばせていただいているyujiさんへの敬意と深謝を込めて、この投稿を締め括りたい。

「ちゃんと聴いてて 伝わるまで叫び続けてみるから
私はずっと 此処に此処にいるの」


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