幸せについて本気出して考えてみた。

タイトルにあるように「幸せ」について考えてみることにした。幸せという言葉は日常的にあり、よく使っているがこの幸せについて深く考えたことがなかった。皆さんは深く考えたことがあるだろうか。
そんなことに気が付いたので今回、幸せについて本気出して考えてみようと思う。

あなたにとっての幸せとは何ですか?
あなたはどんな時に幸せを感じますか?
あなたは本当に幸せですか?
なぜ幸せは続かないの?
じゃあ幸せとは何だろう?

この悩みは生きている中で永遠の課題のように感じられるかもしれない。答えのない問を答えようとしている感覚だと思う。それはたぶん間違っていないのかもしれない。私もここに書きながら本気で「幸せについて」考えている。ちなみに皆さんは・・・

なぜだと思う?

それは幸せに対しての定義が違うからなのではないだろうか。幸せは継続するものではなく瞬間瞬間に感じる感情の一つなのではないだろうか。
これがまず私が考えた幸せについての考えだ。

幸せとは「楽しい」「嬉しい」「悲しい」「辛い」という感情の中の一つではないだろうか。そう考えたときに楽しいや嬉しいの延長線上に幸せがあり、悲しいや辛いという感情があるから余計幸せに感じる。
幸せとは状態のことではなく感情なのだ。感情なのだから継続するわけがない。感情なのだから環境や状況に左右させてしまうことは当然なのだ。

少し考え方を変えてみよう。
人間は環境に慣れる生き物だということは皆さんがよく言っていると思う。気持ちを変えたりモチベーションを上げたところで環境が変わらなければ人間は変われない。それだけ人間は弱い生き物なのだ。
例えば、幸せな状況が続いたら、本当にずっと幸せに感じられるだろうか。幸せという状況に慣れてしまい間違いなく幸せを感じられなくなるだろう。
幸せが続いたら、それが普通になり幸せに感じられなくなる。それが慣れるということだろう。だからこそずっと幸せでいたいのであれば幸せと感じる度合いを上げていくしかない。

幸せという表現だからイメージしにくいと思うが、食べ物にすると分かりやすいかもしれない。高級料理のコースを食べたとしよう。トリュフがでてフォアグラがでて、はじめはなんて美味しいんだと感動すると思う。しかし毎日同じコースを食べていれば、飽きてお茶漬けが食べたくなるし、カレーやラーメンだって食べたくなる。人間は良くも悪くも慣れてしまう。もちろんお茶漬けやカレー、ラーメンがまずいなんて言ってない。お金を持っている、使うことイコール幸せではない。しかしお金を使ったほうが幸せにはなりやすい。どんなことだって繰り返すことで幸せの度合いは薄くなる。
幸せっていろいろなところに散らばっているのではないだろうか。
そうだからこそお金を持っているから常に高級料理を食べているわけではないと思う。高級料理を毎日食べている人もいるだろうが人それぞれだと思う。

幸せとは感情の一つでだと書かせてもらった。その感情は自分の問題で相手がどうこうできるものではない。幸せのきっかけは与えられるかもしれないが幸せにすると言って行動して幸せを与えられるものではない。
もし幸せが環境であればつくれるものだけど、感情だからつくれないなのだ。冷たい言い方をすると相手が勝手に幸せになるだけ。幸せと感じるだけなのだ。

幸せは押し付けるものではなく、自分の状況やタイミングで感じる感情だ。
この幸せを共有することはとても大切だが押し付けるものではない。押し付けてしまった時点で幸せという感情は少し潰れていびつになり幸せの容積が減ってしまう。

【幸せは様々な感情の一つであり環境や状況ではない。】

まつでした。またね。

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